Racco

ウィキペディアのこととか。

少しだけNeil Peartさんのことを書く

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Neil Peartは最高のロックドラマーである。「スクール・オブ・ロック」でジャック・ブラック先生がドラム担当の生徒に「Neil Peartを聞け」と言ってRushの「2112」というアルバムを渡すくらいだから間違いない😀

 

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1977年ごろにTVKでやっていた京都の番組「Pops In Picture」で川村ひさしさんがRushのプロモーション・ビデオを流してくださったことがきっかけだった。


曲は「A Farewell to Kings」と「Xanadu」。

https://www.youtube.com/watch?v=eV-5iNu6Sd8

 

https://www.youtube.com/watch?v=1I2gmT3rarY

 

Rushは3人のバンドで、ベースの人が歌い、キーボードを弾き、足でも(エレクトーンの下にあるような)鍵盤を弾く。
そして、ギタリストとドラマー。


Xanadu」ではフロントの二人がダブルネックを抱えていて、ドラムはいろいろな打楽器を叩きまくっていて、見た目がたいそう大げさでびっくりした記憶がある。

 

このころのNeilさんはダリのようなヒゲを生やしていて、どことなくプリミティブなイメージがあるドラマーとは少し印象が違っていた。
そしてほとんどの曲の作詩をNeilが担当していると知った。

 

Rushの詩は難解と言われる。ラブソングはほとんどなく、初期のSFや神話などをモチーフにしたものから、現代的なもの哲学的なものなど、その時々のNeilの興味の対象がRushの詩になり、音楽性もそれにつれて変わっていっているように思えた。

 

Neilの訃報を受けて、以前、娘さんを事故で、そのすぐ後に奥さんをがんで亡くしていることを引き合いに出して(その後再婚して子供をもうけているのだけど)いる人もいて、Neilの人生を見ると輝かしい音楽的キャリアに対して、いろいろな困難があったなぁと感じてしまう。

 

2015年にRushがツアーを停止し(理由はNeilの腱鞘炎だとも言われていた)、2018年にはNeilはドラムをたたくことをやめたという他のメンバーの発言から、ゆっくりと余生を楽しむのかなとも思っていたが、実際には闘病していたという事だ。3年以上脳腫瘍と戦っていたという。

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Facebookにも時々書いているNeilの言葉がある。
この言葉は、今は、また違った意味で刺さっている。

 

”敬虔なクリスチャンとして、いかに模範的な人生を歩んできたとしても、天国の門で待つのはマホメットかもしれない。何が起こっても不思議ではない。それが運命というものだ”

"You might have lived a good long life as an exemplary Christian, only to be met at the gates of heaven by Mohammed…
Anything can happen. That is called fate."

 

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ジョーカーを見た

映画のレビューはあまりしない。

というか初めてかもしれない。

 

前評判が良かったので見に行った。

救いのない映画。陰鬱な映画。誰でもがジョーカーになりうる。

そんな評判を目にして耳にして、興味がわいて、見に行った。

 

バットマンの映画は見ていない。

つまりは、この映画を語る資格のようなものがあるとしたら、私にはおそらく、ない。

 

率直な感想。

映像は美しいし、描かれている世界も非常にわかりやすい。

印象的に登場する階段も、ジョーカーになる前は登り、ジョーカーになった時にしか下っていくシーンはなく、とてもわかりやすい比喩になっているように思った。

スタンダードな曲が多く使われていて、これもわかりやすく逆説的な使い方がされていて、心理的な息苦しさを演出するのだが、それを現代的な効果音がチープなものにしてしまっているように感じた。

 

この主人公は結構満たされていると思う。

救いはあるし、陰鬱でもない。

それが妄想であっても、現実であっても。

狩野川台風とウィキペディア

このタイミングでの台風の話でもあるので不謹慎かもしれませんが、お許しください。

 


気象庁が迫り来る台風19号の形容ひとつとして、昭和33年(ここはあえて和暦)の「狩野川台風(かのがわたいふう)」の名前を出した。

 


この台風のことを覚えている人は60歳を越えている人ということになる。

 


気象庁が会見で名前を出すくらいの台風なのだから、多くの人が興味を持つ。

 


すると、ウィキペディア狩野川台風の記事へのアクセスが増える。現時点では画像の通り。

これがここ数日でどう増えるのか。

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さて、この記事は出典の付け方など、現在の推奨されている体裁には不足しているものの、根幹となる記述は主に1人のユーザーが2006年に力を入れて書いたものである。

その方にはアカウントはなく、IPアドレスで記録されている。

 


また、精力的にこの記事に手を入れていた、初版立項者でもある(台風関連に熱心な)ユーザーは、2012年に他の台風の記事名改名の議論に疲弊し、引退している。

 


記事を読むと、とても大きな台風で、被害も甚大で、気象庁が公式に名前を付けた台風で、菊花賞馬🏇のラプソデーも巻き込まれてることがわかる。

 


現在版でも、出典として指し示されている箇所は少ないが、参考文献はリストになっている。

 


個人的には、狩野川台風について少し情報が欲しいという時、鵜呑みにはできないものの、参考になる情報は得られる記事になっていると思う。

 


根幹なる記述がされてから13年経って、多くの人々が注目し、役に立つ記事となる。

 


ウィキペディアというところは、そういうスパンで取り組むところなんだなと改めて思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ウィキペディア全文検索Withoutその記事自身の巻

【レファレンスをやる方は読んでみてくだ🦏】

 

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沖縄の民謡「谷茶前節」の記事を例に。


「この記事に来てくれる人を増やすため」に「記事どうしを繋げるため」に、ほかの記事からのリンクを貼るといいのです。

 

だけどウィキペディアで「谷茶前節」と検索すると、当然この記事に飛んでしまう。

 

それを回避する技(という程のものでは無い)を知っておくと、ウィキペディア内の全文検索が出来ます。つまり、ズバリの記事以外の手がかりが増えるからレファレンスに役立つ。

 

 

方法:
ウィキペディアに行って、右上の検索窓の🔍を押す。この時に何も文字を入れない。

 

すると、空の検索ページに飛ぶ。

 

今回の場合、谷茶前節は谷茶前と略されることも多いので「谷茶前」と入れると………


ほかの記事のなかで「谷茶前」という文字列が登場している記事が出てきます

 

さあ、それらのページに行って内部リンクを貼りましょう。

 

そして、レファレンスの手がかりになる技としてメモっておきましょう。

自分の活動の事

何回か同じようなことを書いていますけども、またちょっと真面目に書きます。

 

ウィキペディア関連のイベントに話をする立場として参加する時、私は事前に主催者の目的をできるだけ理解しようと努めます。

 

どのような目的で、どのような成果を求めているか、イベントを継続する予定なのか、規模、参加者の層などを含めてヒアリングし、打ち合わせをします。当日までに動員状況もうかがいます。

 

それは単なる「講師」という立場からは踏み込んでしまってしまっているときもあるかなと感じるときもあるのですが、イベントはすべて異なるので、できるだけの事をします。

 

この辺、これまで私を呼んでくださった方はきっとうなずいていることでしょう。

 

その上であえて書きますと、私ができることはウィキペディア関連のついてお話をしたり、ワークショップを行うことだけですから、どちらかというと私ができる範囲のことで、主催者の目的にどうアジャストするかを考えてイベントデザインします。

 

そんなに引き出しは多くはないんですけれど、複数回私の話を聞いてくださっている方は、毎回例示やアプローチが違うなぁと思ってくださっているかもしれません。

 

先日のWikiGapについて書きますと、自身がフェミニストであると思わないし、ジェンダーに興味があるわけでもないです。かといって極端に何かのポリシーがあるわけでもないです。

 

ジェンダーの研究をされているさえぼーさんに対しても「靴下がかわいい」とか平気で言ってしまうわけで、怒られても仕方がないなと思いつつ。

 

それはさておき、私はウィキペディアンとして皆さんに認識されています。

 

お話を聞いてくださる人からすれば、どうしても「ウィキペディアってこういうものなんだ」というイメージを私の話から持つことになる可能性が高いわけです。

 

だからことさら気を付けているのは、ウィキペディアに書いてある方針とか決まり事とか数字とか以外に、「ウィキペディアってこういうものだよ」という価値観を押し付けないように注意しています。

 

なぜか。

 

ウィキペディアはずっとずっとアメーバのように変化していって、その中には方針変更や流行もあります。すべてを把握することもできません。実際に活動していなければ見えなくなるものもあります。あっという間においていかれます。


だからおのずとふんわりした観念的なことをとらえてもらって、受け手の興味と好奇心と未来に委ねているからです。

 

ですから、何かのワード、例えば「女性の記事をイベントで増やす」という見出しで、イベントそのものが批判的に受け取られることがありますが、そんなことは大したことではないし、すべてはウィキペディアの過程の中のちっぽけなひとつの事です。

 

そんなわけで、私はお座敷がかかれば、田んぼに地道に苗を植えるように活動し、小石があればだれも転ばないように拾うというようなスタンスで、ゆったりと活動しています。

 

これはこうあるべきだ、と言い出したら既得権益に寄り掛かる老害になってしまいます。

 

私がそうなる状態を少しでも遅らせたいのです。

【WikiGapエディタソン東京】


https://ja.wikipedia.org/…/WikiGap%E3%82%A4%E3%83%99%E3%83%…

海獺側のまとめ。

 

所は東京都港区六本木。スウェーデン大使館で日本初のWikiGapイベントが行われました。WikiGapとはなにか? について詳しくはここを参照してください。https://wikigap.jp/wikigap%e3%81%a8%e3%81%af%ef%bc%9f/

 

最近のいくつかのイベントでご一緒している北村紗衣(さえぼー)さんに誘われる形で、アート+フェミニズムのユミソンさんとのお導きもあって、私もこのイベントをお手伝いすることになりました。

 

幸いにもふたを開けてみれば多くのウィキペディアンが参加してくださり、のりまきさん、すわにーさん、荒井さん、篠田さん、空飛ぶ太田さん、キャンベル・アーリーさん、Rasalghulさん、漱石の猫さんなどなど。

 

図書館組も中野さん、つかささん、萬谷さん、子安さん、小曾根さん、田子さん、三富さん・・・豪華ですねぇ

 

総参加者は約50人。

 

大使館側のスタッフも10人以上。

 

受付を済ませると、ウィキペディアン(編集をレクチャーできる人)は白、一般参加者はパープルのTシャツが渡されて、よかったら着てねのシステム。

 

広いホールにテーブルと電源とWifiとロゴが準備され、機材面でもぬかりなく。

 

タリーズのコーヒーがポットサービスで準備されていたり、フリーのドリンク(エルダーフラワーのシロップのジュースはうまい)も数種類用意され、お昼にはホットドッグもふるまわれ、16:00からはバーベキューという飲食のおもてなし。

 

開会のあいさつには駐日スウェーデン大使からも。その後国連職員の中満泉さん。

 

スペシャルゲストには若宮正子さんがいらっしゃいました。

 

私の役割は、ウィキペディアに関する説明。
さえぼーさんはウィキペディアにおけるジェンダーギャップを中心に話してもらい、分担。
篠田さんには、あらかじめ用意していただいた「若宮正子」さんの記事をリアルタイムでアップする役目をお願いしました。

 

このイベントの試みとしては、
Wikipedia:オフラインミーティング/WikiGapイベント@東京」 https://w.wiki/4FH
のページに、誰が何の記事を手掛けるかを記入してもらい、
編集のガイドとして、「Wikipedia:オフラインミーティング/WikiGapイベント@東京/ガイド」 https://w.wiki/7Fz
を設けることで、イベント後にも編集のやり方などを参照しやすい工夫をしました。

わかりにくい画面の見方も、スライドで説明するとともに、URLを載せました。
https://www.slideshare.net/RaccoJawp1/20190929-swedeninst

 

ウィキペディアの説明は大幅に端折りました。
普段のタウンと違い、数名がひとつの記事を書くのではなく、編集初心者がひとつの記事をその日にアップするところまでがわかりやすい目標のひとつなので、編集時間を多くとるためです。

 

反省点としては、下書きページで編集を重ねた後、どのようにウィキペディアの記事としてアップするかの説明が少し足りなかったかもしれないなという部分。

 

ただ、今日の参加者の方々は「北欧に興味がある」「翻訳の仕事をしている」「ジェンダーについて興味がある」という方々が多く、「ウィキペディアに興味があって」という方は少なかったにもかかわらず、みなさんめちゃめちゃキレッキレで、時間切れで間に合わなかった方も数名出ましたが、これを書いている時点で40以上の新規記事が作成されました。

 

もちろん、翻訳途中だったり、スタイルマニュアルに沿っていなかったりはありますけれども、それらを後からどんどん直していけるのもウィキペディア

 

皆さん編集を楽しんでくださり、達成感も持っていただけたと思います。

 

私は細々としたことで動いたり、取材を受けたりしたので、残念ながら大使にも若宮さんにもご挨拶できず。


それでも(めっちゃ疲れたけど)担当のアップルヤードさんとエラノアさんに「らっこさんのおかげですー」と言ってもらえたので、肩の荷が下りました。

 

とても大げさですけれども、今日のイベントはウィキペディア日本語版にとっての重要なイベントのひとつになったように思います。この規模のエディタソンがトラブルもなく進行できたことを、誇りたいです。

 

この秋はまだまだ大きめのイベントが続きますが、切り替えてフレッシュな気持ちで頑張ります。

館山に行きませんか?の話。

2ヶ月弱後になりますが、11/9(土)に館山市図書館(館山の駅から500㍍)でウィキペディアタウンが開催される予定です。

会場そのものは決して大きくないので、参加人数は地元の方を少し優先したいなという気持ちもあるものの(継続的にイベントを行える土壌を作るため)、皆さんご存知のように、館山の現状はとても厳しいものであることから、市外の方にも沢山来て欲しいところではあります。

私は講師としてこの日のスケジュールは空けてあります。


今からの復興で当日までにどうなっているかはわかりませんが、主催者がウィキペディアタウンを開催するという意思は最優先であると思います。


何が言いたいかと言いますと、ここを見てる方はだいたい海獺が何をやっている人なのかなんとなく理解出来ていると言う前提の上で、ウィキペディアタウンの参加としては会場の広さ的に難しいかもしれないけど、その日に館山に遊びに来ませんか?= 館山に来て、風景を見て、人々を見て、一時休憩所としても機能している図書館を見て、お金を館山に落としませんか?という、漠然とした投げかけです。


もちろん、もろもろ調整すれば(立ち見かもしれないけど)ウィキペディアタウン体験も出来ますし、とりあえずのWikipediaの説明も聞けます。

ウィキペディアタウンの効果のひとつは、地域の再発見です。
あなたの地元だけでなく、その場所の再発見のためにもご検討ください。

 

プラットフォームは色々あると思います。
WikipediaOSMのように、街を歩いて情報を記録するイベントの役割は、街の記憶だけでなく、何があって、何が不足して、何に弱く、どれは機能して/機能せず、人はどう動き……なども今後に行かせるのではないかと思いました。

新潟でも千葉(松戸)でも、防災というキーワードは少しだけ出ていました。

災害支援の形は色々あるけど、見て、聞いて、次に活かす機会としても考えていただければと思います。

もう少しジブンゴトとして引き寄せて考える機会にもなると思います。

 


https://teamchibaken.wixsite.com/home/wikipedia-town