自分の活動の事
何回か同じようなことを書いていますけども、またちょっと真面目に書きます。
ウィキペディア関連のイベントに話をする立場として参加する時、私は事前に主催者の目的をできるだけ理解しようと努めます。
どのような目的で、どのような成果を求めているか、イベントを継続する予定なのか、規模、参加者の層などを含めてヒアリングし、打ち合わせをします。当日までに動員状況もうかがいます。
それは単なる「講師」という立場からは踏み込んでしまってしまっているときもあるかなと感じるときもあるのですが、イベントはすべて異なるので、できるだけの事をします。
この辺、これまで私を呼んでくださった方はきっとうなずいていることでしょう。
その上であえて書きますと、私ができることはウィキペディア関連のついてお話をしたり、ワークショップを行うことだけですから、どちらかというと私ができる範囲のことで、主催者の目的にどうアジャストするかを考えてイベントデザインします。
そんなに引き出しは多くはないんですけれど、複数回私の話を聞いてくださっている方は、毎回例示やアプローチが違うなぁと思ってくださっているかもしれません。
先日のWikiGapについて書きますと、自身がフェミニストであると思わないし、ジェンダーに興味があるわけでもないです。かといって極端に何かのポリシーがあるわけでもないです。
ジェンダーの研究をされているさえぼーさんに対しても「靴下がかわいい」とか平気で言ってしまうわけで、怒られても仕方がないなと思いつつ。
それはさておき、私はウィキペディアンとして皆さんに認識されています。
お話を聞いてくださる人からすれば、どうしても「ウィキペディアってこういうものなんだ」というイメージを私の話から持つことになる可能性が高いわけです。
だからことさら気を付けているのは、ウィキペディアに書いてある方針とか決まり事とか数字とか以外に、「ウィキペディアってこういうものだよ」という価値観を押し付けないように注意しています。
なぜか。
ウィキペディアはずっとずっとアメーバのように変化していって、その中には方針変更や流行もあります。すべてを把握することもできません。実際に活動していなければ見えなくなるものもあります。あっという間においていかれます。
だからおのずとふんわりした観念的なことをとらえてもらって、受け手の興味と好奇心と未来に委ねているからです。
ですから、何かのワード、例えば「女性の記事をイベントで増やす」という見出しで、イベントそのものが批判的に受け取られることがありますが、そんなことは大したことではないし、すべてはウィキペディアの過程の中のちっぽけなひとつの事です。
そんなわけで、私はお座敷がかかれば、田んぼに地道に苗を植えるように活動し、小石があればだれも転ばないように拾うというようなスタンスで、ゆったりと活動しています。
これはこうあるべきだ、と言い出したら既得権益に寄り掛かる老害になってしまいます。
私がそうなる状態を少しでも遅らせたいのです。