映画を見てきました。
「サンキュー、チャック」というスティーヴン・キングの短編小説「If It Bleeds」が原作の映画です。ホラーではありません。
なかなか説明するのが難しい映画で、まだ公開中であるため、ネタバレ的なことは書かずにおきたいという気持ちだけは持ちつつも、ここをご覧になっているかたが興味を引きそうな視点での、ひとつ掘り下げた話をします。
ですのでネタバレ的な箇所があります。 この映画は予備知識がないほうが面白い映画で、見る前にどんな映画なのか説明するのも難しい映画なので、まだ見ていない人は見てから読んでいただくといいと思います。
老人が一人死ぬとき、一つの図書館が燃える
『老人が一人死ぬとき、一つの図書館が燃える』(Every old man that dies is a library that burns.) この言葉は、マリ出身の作家・民族学者、アマドゥ・ハンパテ・バー(Amadou Hampâté Bâ, 1901–1991)が、1960年にユネスコの場でフランス語で述べたものです。 原文は「En Afrique, quand un vieillard meurt, c'est une bibliothèque qui brûle.」(アフリカでは、老人が一人死ぬとき、一つの図書館が燃える)
西アフリカの口承伝統を記録・保存することに生涯を捧げたバーは、アフリカの多くの社会では書物ではなく長老たちの記憶と語りによって歴史や知識が継承されていくこと、その長老が死ぬということは、文字にされていない膨大な知識が永遠に失われることだとして、この言葉を発しています。
もちろん、アフリカに限ったことではありません。
キングは原作小説「If It Bleeds」を書くとき、「アフリカのことわざ」として、このバーの言葉をふと頭に思い浮かべたそうです(実際にはことわざではないのですが)。そこからさらに、ウォルト・ホイットマンの詩にある「I contain multitudes」(私は無数のものを内包している)というフレーズへと思考がつながっていきました。
映画はそこを起点に、「主観的観念論」にも似た世界観で構成されています。厳密には主人公には知覚できているはずもない事柄も描かれ、また章立てのちょっとした仕掛けのために、ストーリーを楽しめるようになっています。
キングがこの話を書く着想のひとつに「老人が一人死ぬとき、一つの図書館が燃える」というフレーズがあったことは、映画や小説に興味を持って少し調べないとなかなかたどり着かない話です。だからこそ、あえて記しておこうと思いました。
もっとネタバレ
この映画を乱暴に言うと「自分が死ぬと世界が終わる」というテーマです。
主人公である自分が舞台を降りれば、その物語は終わる。
映画では脳の病気によって、あるいは痛み止めによって、意識が混濁していく様が冒頭で描かれます。主人公が退場していくにしたがって舞台が崩壊していきます。そこには秩序や統合性などはなくなり、自覚している印象の強さに関係なく、人や景色が現れます。
その人の図書館が、なくなっていくのです。
保存と継承
SNSで少し親しくさせていただいている(と私が勝手に思っている)谷口ジョイ先生は静岡の井川地区の言語を研究してらっしゃいいます。
ある言語学者の事件簿|くろしお出版WEB
ご著書の中には「方言がなくなって何が問題なんですか?」という見出しもあり、はて、と考えてしまいます。でも、なんとなくなくなってはいけないと私は感じるのです。
私は言語学者ではないので、専門的なことはわかりません。
ただ、昨今のAIの普及やウィキペディアの仕組みなどを見ていると、「やがて言語は均一化していってしまうのではないか」という、不安とも何とも言い難い感情に襲われることがあります。
『翻訳できない世界のことば』という本が、以前とても話題になりました。
局所的にしか使われない言葉は、そのニュアンスに文化や地域性や風習をまとっているので、説明されても100%伝わるわけではありません。 例えば西日本で使われる「チョケる」という言葉は、東日本での「ふざける」では説明しきれていない感じがします。
関西のみなさん、「ちょける」は標準語じゃありません 通じる地域はごく一部...全国調査で判明(全文表示)|Jタウンネット
近年AIによって、例えばその開発言語が英語ベースであり、情報量が圧倒的に多いのが英語表現ならば、WEIRDバイアス(Western-西洋、Educated-教育水準が高い、Industrialized-工業化社会、Rich-裕福、Democratic-民主主義的)が加速されるだろうという想像は容易いです。
他方で、ネット時代でも局所的に通じるスラングは発生します。あるゲームのあるクランでしか通じないものまで含めると、言語の多様性について憂うことはないのかもしれません。
では、今ある言語はどうか、風習はどうか、文化はどうか。
一人一人の頭の中にある図書館をどのように継承していくかというのは、均一化が加速しつつある今、とても大事なことなのかもしれません。
私はウィキペディアや情報リテラシーに関する講演でこのように話すことがあります。
「記録することは、未来への贈りもの」
誰かが記録したから 私たちは知ることができる
私たちもまた 記録することができる
アーカイヴとは「私が死んでも世界は終わらない」ための装置なのですから。
