福岡巡業 その4 [福智町の歴史・文化まち歩きプロジェクト~自分のチカラで世界中にタカラ発信!]
福岡県滞在4日目。10/8。
早朝、日向先生と坂ノ下さんを乗せた鳥越館長の車が私が泊まっているホテルの駐車場に着きました。
さあ、いよいよ今回の旅のメインイベントです。
このイベントは「福智町の歴史・文化まち歩きプロジェクト~自分のチカラで世界中にタカラ発信!」というタイトルで、またポスターが素晴らしい。
ガイダンスの会場はメインのワクワクワ広場です。
私が先にウィキペディアについての説明をして、そのあとに坂ノ下さんがオープンストリートマップの説明をして、どっちやりたいか決めて、現地にゴーという流れ。
合同でやることになったのは、私の希望でもありました。
ふくちのちでの大きなイベントとして位置付けるならば、スタッフさんは大変でしょうけれども、百科事典や地図だとかに限定せずに「発信すること」でまとめてやってみるのはどうだろうと思ったのです。
細かい経緯は省きますが、講師を含めて全員がそれで行きましょうということになり、綿密にスケジュールが組み立てられます、
結果的に現地にいる時間が多い方がいいオープンストリートマップチームは、ウィキペディアチームよりも30分現地滞在時間を長くし、編集時間を短くしました。現地で情報を吸い上げないことには進まないOSMと、資料がないと立ちいかないウィキペディアの特性を考慮したものです。
成果発表までの時間は1時間短縮して、様子を見ながら延長の必要があればやるということに。この表ではまだ18時に成果発表ですが、17時から成果発表ということになりました。
このOSMとWPの現地調査・編集のスケジュールをずらして行うという作戦は、結論から言えばとても効果的でした。編集が初めてという方が多いイベントでは有効ではないでしょうか。
ガイダンスはいつもの感じ。40分くらいでまとめましたが早めに終わったかな。
スタッフの葛西さんが撮影してくれたガイダンス中の写真。図書館スペースの真ん中でやっていることが良くわかります。
めっちゃ大きなスクリーンにスライドを映して説明。
20171008.ふくちのち スライド
スクリーン左下の魔法使いの扮装をして説明しているのが私でございます。
どうしてこんな扮装をしようと思ったかのひとつに、イベントとは関係なく来館した方々にも、ちょっとだけでも注目してもらえればいいなと。
坂ノ下さんの説明も終わり、何台かの車に分乗して、まずウィキペディアチームは「九州日立マクセル赤煉瓦記念館」へ向かいます。
この建物は1904年に建てられたもので三菱方城炭鉱坑務工作室でした。方城炭鉱についての知識や基本的な炭鉱のことを含めてガイドの中村さんが建物や作られた経緯などを楽しく(怖く)紹介してくれます。
参加者は大学生中心なので炭鉱についてはなじみがありません。たとえば「ボタ山」という語句。中村さんとしては知ってて当然の語句ですけれども、大学生には何のことかわからない人もいるので説明の途中で解説してもらいました。
「ボタ」は確かふくちのちの2階にも展示してあるのですけれど、あらかじめ見た人は少なそうです。
ボタ山 - Wikipedia 高さが100メートル以上のものもあったようです。
ウィキペディア日本語版の「方城炭鉱」の記事はほとんどが爆発事故のことで占められています。
方城炭鉱 - Wikipedia この項目も加筆が望まれます。
炭鉱での暮らしをうかがわせる、もともと浴場だった建物も案内していただき、そのあとは徒歩で伊方古墳へ。
そうそう、ガイドしてくださった中村さんはとてもダンディで、靴も乗ってる車(NSX?)もすごくかっこよくて。
伊方古墳でも古墳を説明するための用語や基礎知識を解説してもらい、なんと古墳の中にも入れるという貴重な体験ができました。私はと言えば沼津のウィキペディアタウンでのりまきさんや学芸員の方に古墳について聞いていたので、少しだけ知識がある気になっています。
ちなみにここまでずっと扮装をしたままです。
さあ、今日はこの二つの記事を書きますよっ
「九州日立マクセル赤煉瓦記念館」「伊方古墳」
オープンストリートマップチームの動きは、私にはよくわからないので他のレポートに譲ります。
お昼ごはんは、館内にあるカフェ「としょパン」のランチ。写真を撮り忘れましたっ。
さあ、お腹がいっぱいになったらレンガ、古墳どっちを編集するかを選んで、編集開始。古墳チームには元管理者のあの方がヘルプでつきますが、ここではどのように紹介していいかわからないのでしません。
さてさて、ふくちのちのスタッフのウィキペディアの方をメインで担当してくださった松尾さんは、どうやら当日を迎えてもなお不安だったそうです。昨年の11月にウィキペディアタウンは体験しているのですが、大掛かりなものではなかったらしく、イメージがわかなかった部分もあるようです。
今回は着々と記事の形になる姿をプロジェクターで映しながら、進行具合が誰からもよく見えるスタイルで行いました。
記事はこのような形になりました。
古墳や炭鉱に興味がある人? という問いかけに誰一人として手を挙げることがなかったのに、そのような立派な記事が。
作っている最中から、グーグルの検索上位にウィキペディアの項目が現れていくさまや、坂ノ下さんがオープンストリートマップへリンクを入れてくださったりとかの変化も含めて解説を伴っていくうちに、松尾さんの表情がどんどんとほっとしたものになって行ったようです。よかったよかった。
交流会は2階の一番奥のお部屋でお酒は抜きで。ここでもとしょパンとふくちのちのクッキングラボがフル回転でおいしそうな料理が並びます。おにぎりもあるっ。
私は、年齢が高めのテーブルにお邪魔して改めてご挨拶。
筑紫女学園大学の副学長の渡辺さんと、九州国際大学の現代ビジネス学部教授の島浦さん。
お二人は仲良しとのことで、お時間が合えば明日(10/9)の九州国際大学のワークショップにもぜひぜひというお話をしていたところ、島浦さんは九州国際大学の前図書館長であることがわかり、「いや、実はまだ明日図書館のスタッフさんがどの程度ご協力いただけるかが不明なのです」みたいな不安をお話してしまいました。いろいろ事情もあるのかなぁという感触はありましたが、はてさて。
お二人ともお忙しいので今日の明日で来てくださいねなんていうのもおこがましいのですが、今日のイベントにはとても興味を持ってくださったので、今度は教育現場で授業としてどう展開するかにも興味を持っていただきました。
健全に夜は更け、大学生の皆さんと写真撮影をしたり、心の中では今日が終わった安堵感と、明日の不安が募るものの、烏龍茶がおいしい。
さてさて、またもや館長の車で宿までお送りいただいて、あしたは少し朝寝坊ができるスケジュールなので、10時にまた迎えに来てもらうことにし、お疲れ様でした。
ふくちのちでいただいたおにぎりとから揚げを部屋に持ち込んで、寝る前にまた食べてしまったり。