Racco

ウィキペディアのこととか。

落ち込みマネジメント

 

アンガーマネジメントという言葉がある。一言で言うと怒りをコントロールすることで、怒りによってもたらされるマイナスを減らしていく方向に持っていくことだ。

怒っていることで周りを不安・不快にさせたり、また『怒っている』(ポーズの場合もある)とアピールすることで、周りに自分の主張を受け入れさせるという些か幼稚な振る舞いも時々見かける。

どちらにしても厄介な感情である。

幸いにここ数年、怒りで自分の感情がいっぱいになってしまうことはないが、心底がっかりしたり、理不尽な思いに心が捕われることがある。

また、ストレスマネジメントは、より広い範囲でのストレスそのものをコントロールしていこうというものだ。

こうした内面のマネジメントは自身をコントロールするものの、原因の根本の部分は相変わらず存在しているということを意識せざるを得ない場合もある。

さて。

受験シーズンとなり、合否以前に自身の試験の出来が良くなかったと自覚しているというひともいることだろう。

結果を知る前に、このわずかな時間である程度の枝分かれを想定して準備を進めなければならないというストレスまでがつきまとう。

試験などの合否を待つストレスは大きく、個人的にも『結果待ち』は1番心に重たい。

『自己採点ではあるが、子供の試験の出来が悪かった』とある人が話題にしていた。
とても落ち込んでいて、第一志望は難しいだろうと思い込んでいる状態で、その感情が『では、今は何をすべきか』という切り替えを妨げている、と。どんな言葉を掛けていいかわからない、と。

他人様の大事なお子様のことなので、偉そうなことも言えないし、第一私には子供がいないので、気の利いたアイデアもないな、と思っていたその時、ふと、もう一段階俯瞰する感情マネジメントが浮かんだ。

落ち込みマネジメント。

こんな風に考えた。

受験という人生の中でも大きなイベントにおいて(まあ、先々もっと大事なイベントはあるし、受験が人生の全てのように思う期間は実はそれほどないし、後々まで受験が一番自分にとってでかいイベントだったと思い続ける人は多分ツマラナイ人なんじゃないかと思うけど、カッコの中が長いと読みにくいですよね)、例えばそれが失敗に終わるかもしれないと不安になった時、あるいはそれが失敗に終わったと思い知らされた時、そこから立ち直るために、あなたが要した時間、人、言葉、手段はなんだったのか、記録をしておくのはどうか。

問題そのものを客観視することで、やるべき事とやっておいた方が良いことを振り分け、さらに今後の人生においてあなたが困難な状況に臨むとき、この記録はとても役に立つのではないか、と。

などと言うことを話した。

『こういうケースだと私は立ち直るのには3週間かかるから、4週間めからの私は大丈夫かな』なんて考えると少しはココロが整理できるのかもしれないなと。

2016年1月24日の「ウィキペディア15周年イベントTokyo」のレポートまとめ

これはFacebookに書いた、2016年1月24日の「ウィキペディア15周年イベントTokyo」のレポートをまとめたものです。

3年前に何をして、何を感じていたかの備忘を兼ねて。

 

*****************

#wp15tokyo  その1

ウィキペディア15周年イベント 東京は無事に終わりました。

けが人はゼロです。

 
そんなわけでほかに発表する場もないので、この場でつらつらと何回かに分けて書き連ねます。

 
このイベントに先立つこと半年くらい前。

さかおりさんとウィキペディア街道で初めて実際にお会いしました。正確に言うと私が誘ったのですけども。

そのあとのウィキペディア街道でのりまきさんと会いました。さかおりさんも来てくれました。

 
WP15Tokyoにいらっしゃった方はピンとくると思うんですが、のりまきさんが本当に熱心に、執筆者で会いたい人がいっぱいいるんだよ、すごい記事を書く人たちと会ってみたいんだよ、とおっしゃるので、メールで会いたい人リストを送ってもらいました。

 


12/6にそうそうたる執筆者が(くさかさんは除く:入れてもいいんだけどさ)7人集まり、私から見れば高い高い空で行われている空中アクロバットを見ているような濃いお話が展開されました。

 
その時にくさかさんが「来年1/15にウィキペディア15周年なんだけど、関西はなんかやるみたいなんだけど、関東もやれみたいな気配なんだけど、どうする?」的な、出たよ、いつものくさかさんの投げっぱなしジャーマン、とでもいうべき、誰かやれイベントの話になりました。

 
結局関西では行われなかったみたいです。

日本では何もやりませんでした、という形にならなくて本当によかったと思うし、すいすいさんがおっしゃっていた「日本語版をめんどくさい存在だと思われたくなかった」の故事をギリギリ回避できたのです。

 
# 出てこないキーワードとして「ドーナッツ」「タルト」がありますが、それはわかる人にだけわかるキーワードです。

 
で、私がそれを持ち帰り、お風呂の中で歌いながら考えた結果、今までのウィキペディアの名前が入ったイベントは、ウィキペディアをどう活用するかという面や、その存在そのものにスポットをあてたものが多くて、肝心の執筆・編集によって記事を増やしたり充実させたりしてる人たちのためのものはあんまりないなーと思い、ほんだばせっかくなので、さかおり・のりまきの両巨頭に講演依頼するべと思ったのが発端です。執筆をどのようにしているか? 興味がある人はたくさんいることでしょう。

 


さえぼーさんもやはりウィキペディア街道にお誘いしたことがあり、ウィキペディアに対する実績からご登壇をお願いしました。教育現場とウィキペディアという視点からのお話が期待できます。のり・おりコンビではカバーできないビジュアルも魅力ですが、あまりこういうことを書くと怒られるので見なかったことにしてください。

 
くさかさんにもお話をいただくとして、運営上、こまごましたことが苦手な私をフォローしてくれる若いもんがどうしても必要なので、あらいしょうへいさんにお願いしました。あらいさんは今後のウィキペディアのスポークスマンになりうる人ですから、トップバッターでプレゼンをさせるという、親心もセットにしてお願いしました。

 
すいすいさんとはなんだかんだで連絡を取っていました。勝手な想像ですけれど、体調のことがなければ(かつ、飽きていなければ)ウィキペディアにまだ携わっていた方だと思うし、その功績が忘れられていくことも、私にとっては不満でした。

なのでダメもとで、ギャラも交通費も出ないけど、移動と前に出て話す体力があるならお願い、と依頼しました。

 
すいすいさんが、あこさんと海獺の組み合わせは面白いかもみたいなことをぼそっと言って、それならば、あこさんの活動を伺った上で、あこさんにも登壇依頼をしました。あこさんも教育機関+ウィキペディアのテーマでということになります。

 
ウィキペディア街道でお邪魔したカタリストBAはとてもとてもすてきな会場で、イベントもできたらいいなと勝手に考えてました。そこで高橋さんに会場をお借りできないかと打診。

残念ながら17日の週末は既に予約が。なので24日に何とかと無理をお願いしました。そして、めでたく開催に協力ということで、カタリストBAさんに会場提供いただくことができ、おそらく私には見えてない部分を含めての高橋さんのご尽力があって24日の全日、会場が使えることになりました。

私は全く物事に臆さない面がありますので、高橋さんにご登壇もお願いしちゃいました。地域情報とウィキペディアのテーマ。

 
私がずっとお邪魔しているウィキペディア街道で、お世話になっている小池さんにもご登壇をお願いしました。2015年だけで5回も開催しているということだけでも驚異的です。

 
こうして(敬称略)

バリバリ執筆のさかおり、のりまき

教育機関+WPのさえぼー、あこ

地域情報+WPの高橋、小池

そして、すいすい、あらいしょうへいのウィキペディアの中のことを話すよ組、

くさかさんには締めのコメントを、ということで固まったわけです。

 
こんな風に、私は何もできないんですけど、草々たる登壇者のメンツが揃ったというわけです。

 
司会はワタクシ、らっこでございます。

 
(続く)

 
#wp15tokyo その2

 
取材の方々にも感謝です。

共同通信社さん、フジテレビさん、Jタウンネットさん(中身はウィキペディアン)、そしてWikimedian Asian Newsletter向けにTakotさん。

 
取材が記事や放送となって現れるかどうかというのは出来上がるまでわかりませんけれども、このように興味を持ってくださってることはとても光栄ですし、内容的に面白いものを司会の立場で何とかできるとことはするぞというキモチでした。

あとは、できるだけポップに。ウェイ系ではないあったかい感じのPOPで。

 
さて、エラソに所感を

 
あらいちゃんの役目はほんとうにいろいろあって、その上プレゼンはきつかっただろうと思います。

ウィキペディア15年のあゆみと日本語版の13年半。そして100万記事達成の成長とともに、ご自身も成長したあらいちゃんをトップバッターにしてほんとによかった。内容もかっちりまとまっていて導入としてはすごくわかりやすかったと思います。

 
高橋さん(Yoitさん)も会場でのいろいろな調整をしつつのプレゼンでした。早めに登壇から解放してあとは運営に専念できるようにと思い、2番手にお願いしました。

プレゼン内容はとても興味深く、牛の画像のインパクトには会場がどよめきましたね。

ウィキペディアよりも自由なLocalWikiがもっともっと充実して、いろんな地域で情報発信するようになったらいいなと願ってやみません。

その上ビールの買い出しまでやってくださって・・・

 
さえぼーさん。皆さん気づいたでしょうか。膝に猫があしらわれた可愛いソックス。私は気付きましたとも。ひざ裏にはしっぽがあると教えてくださいました。ツイッター上ではコワイ時もあるさえぼーさんですが(以下36文字抹消)

さえぼーさんの活動はウィキペディアにおいて非常に大きなものとなっています。2015年の一年だけで約100の翻訳記事が増えました。100の記事だけ添削し、整え、採点をする。約3日に一本ですよ。しかも軒並み5000バイト以上という。

そのノウハウを他の方にも伝授するよーとあの場で言って下さったこともありがたいし、さえぼーさんの活動に刺激され理解をしというからも増えたと思います。

 
のりまきさん。

私は鉱山に少し詳しくなりました。

本当にこの人の頭の中はどうなってるんだろうというほど、知識の宝庫です(数学は苦手らしいよ)

印象に残ってるのは「執筆者はマケズ(負けず嫌い)」という部分で、12/6の執筆者の集まりや自らが会いに行った執筆者との交流、そして今回のイベントを通じて、もっと良い記事を書きたいぞというエネルギーがのりまきさんの中に新たに芽生えたとしたら、嬉しいことです。

プロジェクタを使わないのりまきさんのフォローで、あらいちゃんが話の内容に沿った形でウィキペディアのページを表示させていて、ナイスプレイ!

 
で、飲み会でも言ったけど、次回はもっと執筆のノウハウについても時間内にたどり着けるようにしてね、のりまきさん(笑

 
(続く)

 
#wp15tokyo その3

 
壇上の横のテーブルにトロフィーがふたつ。

Yahoo Internet Guide誌のWeb Of The Yearの対象をウィキペディアが受賞した時のトロフィー。

持ってきてくれたのはSuisuiさん。

なぜスチュワードになったのか、始まった当初のウィキペディアはどうだったのか、など会場ではどよめきにも似た反応が見受けられました。

ウィキペディアが普通にそこにあるものとして扱われていることが嬉しい」というのは本当に重みのある言葉でした。

当初は平気で一日以上つながらなかった、エラーが出てせっかく書いたものを投稿できなかったなど、15周年の今があるということを実感として喜ぶとき、Suisuiさんの受ける感情はひとしおなのだろうと。

無理やりだけど、出てもらってよかった。本当に。

あまり話ができなかったけれど、近いうちにまた会いましょう。お互い生きてるうちに。

 
小池さん

いつもお世話になっています。

5回のウィキペディア街道を通して、その実現に至るまでの下準備って結構大変なんだなーという部分が印象に残っていて、でもでもいろいろな場所で開いて欲しいのでノウハウ共有という意味で、実りのあるプレゼンでした。小池さんの中で明確なビジョンがあって緻密な計画があってというのが良くわかりました。

ウィキペディアタウンならぬ、ウィキペディア街道ってすごいと思うんですよ。だって場所が移動するから飽きないんです。毎回新鮮な気分で、ウィキペディアンとしての目でその街を見る。でも単発じゃないから経験もノウハウも蓄積されていく。皆さんもぜひ参加してください。

 
あこさん。Saichi31さん。

今回が初対面でした。すごくプレゼン慣れしていて勉強になりました。成果を発表してアナウンスしなければ、次回につながりにくいと思うので、ネット上のやり取りの中で忌憚のない意見も言わせてもらっていたのですけど、あこさんが持っている情熱と人柄で今後がますます楽しみになりました(偉そうだわ私)

Suisuiさんが、「あこさんとらっこの組み合わせはおもろいかも」と言ったのが何となくわかる気がしました。

 
さかおりさん。

さかおりさんは話が上手なんですよ。地方病に関する話、なぜ書こうと思ったか、どんなフィールドワークをしたかなど、すごくわかりやすくて、これは(内緒の)本業でのテクニックを使っているに違いないと感じました。この人は悪い人じゃないぞ、と思わせる笑顔がまたよくて、微笑みながら話をされると思いテーマでもスッと入ってきます。

会場に来られなかった人にお教えしますが、「ウィキペディアの地方病という記事をまだ読んだことがない人」と、私が質問をしたら会場では3人だけでした。すげぇな地方病。すげぇなさかおりさん。

そんなさかおりさんですが、「私が書いたみたいに言われてますが、いろいろな意見も頂いてのものですし、セクション丸ごと書いてくださった方もいるので、決して私が私がというわけではないんですよ」とあくまで謙虚におっしゃっていたことを、書いておきます。

 
(続く)

 
#wp15tokyo その4

 
会場に来てくださった方は本当にすごい方ばかりで、いいカードをたくさん持ってる方ばかりだと、鈍い私でも気づきました。

 
むかし、ロックコンサートに行ったときに、ベーシストにアクシデントが起き「ヘイ、だれか俺たちの曲を弾ける奴はいないか」と言われておもむろに自分がステージに上がる姿を妄想したものですが、ここまでのプレゼンを見た方々も、もしかしたら内容が刺激となって「俺もなんか話をしてぇぞ」という気分になってもおかしくないし、なによりもいろいろなクラスタの人がそれぞれの分野の中でカードを出し合うとそのほとんどがウィキペディアにフィードバックしうる状況なのです。

それはコラボであったりノウハウの共有やヘルプであったり。

 
そんなわけで時間が押している中、会場をうろうろしながら海獺隊長はライトニングトークを募っていました。

直にウィキペディアに関係なくてもいいんです。こういうことをやっている、やる予定、が伝われば、ここで何かが進むかもしれないぞ。

 
というわけで6人の方がお話をしてくださいました。

 
LinkData.orgの下山さん。

http://linkdata.org/

ページもカッコいいけど、下山さんがまたカッコイイ。

「表データを公開するのに便利なサービスがあるのでよかったら使ってくださいねー」とのことなので、みなさまよろしくお願いします。

すげープレゼンがうまいの。勉強になったわん。

WikiDataとの可能性についてきらっと目を光らせていたのを見逃してはおりませぬよ。

 
図書館総合展 運営委員会の増井エドワードさん。

図書館総合展に来てねというものなのですが、私はここで脱線します。

昔読んだ4コマ漫画で

「ああ、私も美人に生まれたかったなー」→「ほーれ」(屋根からバケツで水を流す)→「ああ、屋根から水をぶちまけても美人になれるわけじゃないのに」みたいな不条理モノがありまして、増井さんを見てると屋根から水をまいてみたくなるくらいのイケメンでしかもいい声でしかもいいヤツなんです(初対面だけど)。

なんでいいヤツかというと、もう少し下の方に再登場しますので、ご期待を。

第18回図書館総合展 教育・学術情報オープンサミット2016

展示会:2016年11月8日(火)~10日(木)

図書館総合展週間:11月6日(日)~12日(土)

会場:パシフィコ横浜

 

オープンデータ京都実践会の青木さん

関西でのウィキペディアタウンの活動についてのお話です。

私は東京と京都のハーフなので、機会があればぜひ行きたいのですけども。

特に2/6のWikipediaArtsは本当に心惹かれるのですけど・・・いかれませぬ。https://artlogue.doorkeeper.jp/events/36855

スライドにうぃきぺたんが出てきたりして、ポップなプレゼンでした。

やはり開催したという事実とその報告が伴って、次回の糧になる気がするので、こういうイベントの時は成果報告はどんどんしてほしいなと思いました。

 

カン・ショウさん。

中国語版のウィキペディアについての現状と、中国語翻訳チームを立ち上げたのでよろしくねというお話。

四川省のご出身だそうですが、日本語版のウィキペディア四川省の項目の「文化」のセクションは空欄で(今もだよ?!)画像は麻婆豆腐しかないということを自虐的に。会場からは笑いとともに嘆く声も。

で、カンさんはとてもシャイな方で、そんなカンさんと同じテーブルになったイケメンエディ(勝手に命名)こと増井エドワードさんが私にカンさんを紹介してくれて(私とエディすらあいさつしてない段階で、だよ?)カンさん活動を私にプッシュして微笑みながら「彼をライトニングトークに出すべきだと思わないか?」と目だけで訴えてくるんですよ、イケメンが。

私も長いこと生きてるので増井エドワードさんの考えてることは(初対面未満なのに)なぜか理解できて、カンさんに「発表するべきだ」と励ましたというわけです。

この時点で増井エドワードさんは図書館総合展のことを話す予定ですらなかったのに、まずはカンさんのことを考えて私に引き合わせた。いいヤツでしょ?

 
小俣おとうさん

小俣さんにも毎回ウィキペディア街道でお世話になっています。

新丸子/武蔵小杉でのウィキペディアタウン開催のお知らせ

詳細はこちら

http://www.slideshare.net/homata/wikipedia-town-wikipedia15-20160124

このレポートを読んでいる方やイベント参加者でウィキペディア街道に参加したことのない方。ぜひご参加ください。

実はロックファンで、世代的にも趣味的にも私と合致することが最近明らかに!

 

ハヤシユカ姉さん。私の中では「猛毒コリラックマ」(いい意味で)

ハヤシさんの「彼氏」こと E2D3のご紹介。http://e2d3.org/ja/

ウィキペディアと関係ないかもーと躊躇されていましたが、まったく問題ないです。いろんなクラスタの人がここで出会えば、きっと誰かの役に立つし、その人たちは「ああ、そういえばウィキペディアのイベントで知ったんだっけ」となっていつか恩義に感じてくれるかもしれなせぬ。

無料ですので、一度お試しくださいませ。

 

そんなこんなでライトニングトークも終了。

あとはあのおやじに締めてもらえば、めでたしめでたし。

 

くさかさん

忙しいのはとてもわかるんだけども、今日前に出て話をするってことになってるんだから、ちゃんと準備してちょうだいな。

当日いきなりの登壇ならともかく、他の人ががんばってお話している中、会場の後ろの方でパワポで資料作るのはどうかと(笑

 

内容については割愛いたします。

 

以上、海獺がお送りしま。

 

あ。

 

「こういうイベントは定期的にやってるんですか」

「東京ウィキメディアン会に入りたいんですが」

「次回はいつやるんですか」

「イベントの告知はどこを見てれば見逃さずに済みますか」

 

等の反応をいただきましたので、今回のイベント、一応の成功の手ごたえを感じつつ、最低でも年一くらいには何かやった方がいいよねとくさかさんに振ったところ、「誰かがやるなら手伝う」と、コーナーポストから動かないやる気のないタッグマッチのパートナーみたいなことを言っていましたので、また巻き込みながらぼちぼち計画したいと思います。

 
漠然と考えているのは、会場で執筆者にインタビューをライブで行って、それをみんなに聞いてもらう感じ。ちゃんとログを取ってWeb上にアップしておけば、執筆のコツとかヒントが共有できるかも・・・とか考えてます。

 
なにかこういうイベントが良いとかいうアイディアがあったら、あらいさんまでメールで。

(若いもんに任せて)

 

 #wp15tokyo 番外編

 
ご登壇はいただいていませんが、イベント当日は素晴らしい記事をたくさん書いている方が何人か参加していました。

 
会場にいる数人だけで、一体何本のFAGAがあるのかと思うくらい。

 
いずれ劣らぬ執筆者を見て、

タモリさんの名言と言われる言葉を思い出します。

「真剣にやれよ!仕事じゃねぇんだぞ!」

 
ウィキペディアの執筆って、まさにそうですよね。

 
オフでほかの執筆者に会うことによって、また刺激になったりして

今後もすごい記事を書いていただけることを祈ります。

 
あとは、私が普段ウィキペディアについて考えてることや、ウィキペディアタウンを開催するにあたって、ウィキペディアンはどんなことをすればいいかなんて話もしたかったのだけども、結構司会者にしてはでしゃばったので、また今度ね。

 
すごくエラソに最後に書いておきますけど、あのくらいの規模のイベントで司会をするとき、一番大事だなと私が思ってることを、内緒で皆さんに教えましょう。たぶん、こういうことを言った人は今までいないと思うので、目からウロコのTipsですよ。

 
それはね・・・

 

質疑応答タイムで会場の質問者にマイクを持っていくときは、必ず駆け足。

参加者は無意識にそういうところを見てるし、そこがテキパキしていないとイベントがダレて見えます。

 
ここ、試験にでますよっ(。・_・。)ノ

【イベントのレポート】

 

1/12 1/21と(いずれも21:00から)2回にわたって、ZoomとUDトークで遊んでみる的なオンラインイベントを開催しました。

今回は東北から九州まで同じ時間を共有して、顔も見ながらワイワイと。のべ18人が一堂に会して。予定時間を大幅にオーバーして遊んでしまいました。ごめんなさい🙇💦

さて(反省してない)、ざっとこちらでも説明を書いておきます。

 

https://zoom.us/jp-jp/meetings.html

Zoomというアプリを使って、無料でどこまで何が出来るか(個々の通信環境やデータ通信容量はありますが)、ここではわかりやすく3人の参加者で説明します。

まず、いわゆる『テレビ会議』が出来ます。
AさんのPC(またはスマホタブレットなど)の画面共有ができ、BCの端末に映し出されます。
BからAC、CからABも同様に出来ます。各自の資料を見せあったり、リアルタイムで説明などが簡単に。
動画+音声も共有可能で、例えば上映会も可能ですが、データ容量や遅れの問題があります。
なので、例えば共有したい動画がある場合はYouTubeなどに上げておいて、各自参照する方が現実的かなとも思います。
文字チャット機能もあります。
各自のカメラオンオフ、マイクのオンオフも出来ますから、すっぴんでも、部屋が見せられない状態でも切り替えられます。

これによって、例えば私が講師役としてイベントに参加したいのだけど、現地まで行かれない事情がある時に、ある程度のことが可能になるというわけです。

Wikipediaのイベントにおいて、主催者とは切り離した形でウィキペディアンが現場にいるメリットは沢山あるので、できる限り現地には行きたいのですが、なかなかそうも行かない場合もあるので、ひとつのツールとしてみんなで何が出来るか確かめようというイベントでございました。

 

http://udtalk.jp/

UDトーク
こちらの方が馴染みはないとおもわれます。
これはAndroid/iOSのアプリで、音声を入力する、つまりスマホに向かって話すことで、その言葉を文字にし、各国語に翻訳し、録音も出来るというものです。読み上げも出来ます。

今回、このアプリの紹介をおこなった理由は、参加者がライブラリアンや教育関係者が主なので、使うことによって、またZoomなどと組み合わせることで何が出来るかを考えたいなと。

私が思いついたのは、例えば朗読会などでは、
(もちろん一字一句たがわずとまでは行きませんが)、読み上げたものを文字としてプロジェクターなどにもリアルタイムで表示できるので、
聞き取るということが困難な環境・条件でも色々対応出来るのでないか、あるいは講演の同時多言語通訳の一助になるのではないか、はたまた会議の議事録作成に便利じゃないか……などなど、アプリの存在を知ることで、使い方のアイデアが広がるのではないかとおもい、河野さんにお手伝い頂きました。
昨日はZoomでワイワイしながら、みんなが話してることがどんどん文字になっていくのを見る機会でもありました。

こうやって説明しても、なかなか上手く伝わらない感じがするので、希望される方がいましたら、また機会を持ちたいと思います。
『ちょいとやりましょか』で、出来てしまうので気楽にまた。

映画『ボヘミアン・ラプソディ』の評価を訂正します。

このブログでは、自分が知っている情報をもとに映画『ボヘミアン・ラプソディー』について何回かに分けて書いてきた。

これを書いている時点でまだ映画はロードショー上映されていて、海外でも応援上映が検討されているというニュースが入ってきている。

そんな中、ブライアンとロジャーのゴールデングローブ賞の2部門受賞に伴うインタビューが同賞を主催するハリウッド外国人記者協会によって行われ、新しい事実が判明した。

eiga.com



これにより、この映画の印象を変えざるを得ないので、訂正の意味も込めて書かせていただく。

上記のインタビューでブライアンはこういっている。

――ではライブ・エイドのときは、彼がHIVに感染していることは知らなかったのですね。

メイ「いや、彼が問題を抱えているのは知っていたし、放射線治療を受けているのも知っていた。彼が自分で告白するまでのあいだ、僕らはずっと疑っていたけれど、直接問いただす勇気がなかったんだ」

 またその前には

僕らは脚本を書いていないが、この映画でいくつかのを出来事が起きた時期をずらすことを許可している。

 とも発言している。

つまり時系列については、彼ら(May&Taylor)は許可という形である程度の意見を聞かれる立場ではあった。

とすると、史実でもライブ・エイドの時点で、フレディはフレディで自身の健康状態について何らかの異変をすでに察しており、少なくともブライアンは、フレディが問題を抱え、放射線治療を受けているのを知っていたという心理状態の中でライヴエイドに臨んだということになる。

役者による演技はもちろんのこと、彼らの楽曲とパフォーマンスが映画の感動を呼んでいるというだけでなく、そのパフォーマンスには彼らなりの理由が存在していたということになる。

つまり、映画で描かれた結束は、(知られていなかった)事実ということだ。

****************************

これまではジム・ハットンによる本「フレディ・マーキュリーと私」の中で、1987年に検査を受け、フレディは自分がエイズにかかっていることを知り、アルバム「The Miracle」(1989)を製作中にメンバーに伝えたということが事実として伝わっていた。

Lesley-Ann Jones.による「フレディ・マーキュリー~孤独な道化~」ではBarbara Valentinによる発言として、1985年にフレディは検査を受けたと書かれていることを教えてくださった方もいて、「多くの報道とちがい、バーバラはこれを85年だったと信じている」というような注釈がついていることから、ながらくは1987年のジムの記述が信じられてきた。

しかし、ブライアンの今回の発言は、時系列からしてもバーバラの記憶と合致してることになるので、「フレディはライヴエイドの時点で、体の異変に気付いていた」ということになる。

ブライアンは知っていたからこそ、この映画の多少の時系列の前後を気にしてなかったのかもしれない。

映画が成功すると、こうしていろんなことが明らかになるのだなと改めて感じる。


初心者のためのクイーン楽曲ガイド

YouTubeのクイーンのオフィシャルチャンネルでは、なんとクイーンのほとんどすべての楽曲が聞けます。https://www.youtube.com/user/queenofficial

なので映画『ボヘミアン・ラプソディ』のサントラやベスト盤を聴いてみたけど、もうちょい沼に浸かりたい方向けに、このあたりを聴いてみて、よかったらアルバム単位で聴いてみてくださいのガイド的なものを書くことにしました。

クイーンは1978年の『Jazz』まで、レコーディングするときはアルバムを作り、シングルは出来上がったアルバムから選ぶというやりかたを守ってきました。
つまりある意味で、アルバムという姿を通して聴くのが、クイーン自身が聴いてもらいたいスタイルであると言えます。
ですから、ベスト盤に飽き足らず、よりもっとクイーン堀り下げたいという方は、せめて『Jazz』まではアルバムを通して聴いていただきたいなと。

1980年の『The Game』以降は、シングル先行になったことと、シンセサイザーの導入により、楽器のプレイについては70年代ほど冒険をしなくなったような気もするので、絶対にアルバム単位で聴いてねというお勧めはしません。

 

『The Game』までのアルバム順と主な曲はこんな感じ

1973 Queen 「KeepYourself Alive」

1974 Queen Ⅱ 「The Seven Seas Of Rhye」

1974 Sheer Heart Attack 「Killer Queen

1975 A Night At The OperaBohemian Rhapsody

1976 A Day At The Races「Somebody To Love」

1977 News Of The World 「We Are the Champions

1978 Jazz 「Don't Stop Me Now」

1980 The Game 「Another One Bites The Dust」

 

年代順に古いアルバムから聞いていただくのがいいのですが、それはそれとして、 今回は「こんな曲があるよ」という感じで進めます。


では、はじまりはじまり。

 

【ブライアンのギターに興味を持った方は】

「プロセッション」  Queen

youtu.be


ジョン・ディーコンが作ったアンプ「Deacy Amp」によるギターの多重奏がアルバムのオープニングを飾ります。

 

「グッド・カンパニー」A Night At The Opera

www.youtube.com

この曲では、クラリネットトロンボーン、トランペットなどのディキシーランド・ジャズをギターで再現しています。


「タイ・ユア・マザー・ダウン」A Day At The Races

www.youtube.com



無限音階とよばれる、音程はどんどん上がっていくのに、まるでだまし絵の階段のように昇り詰めることなく続くイントロ。

f:id:RaccoWikipedia:20190104225311j:plain

 

などはいかがでしょうか?

それまでは、ブライアンのようにギターの音を幾重にも重ねて録音して、オーケストラのような効果を得たり、色んな楽器を模したりを突き詰めた人はいませんでした。

 エレクトリック・ギターの歴史からいけば革命的な試みで、ジミ・ヘンドリックス、エディ・ヴァン・ヘイレンマーク・ノップラー、などのギタリストのように、ギターの可能性を拡げたギタリストと言えると思います。

ブライアンの使っているギターは手作りのものであるというのも有名です。

レッド・スペシャル - Wikipedia

 

初期のアルバムには「シンセサイザーは使っていません」とわざわざ表記されていました。


【ジョンのベースに興味を持った方は】
ベーシストとしてのジョンは、派手なプレイはあまりないという印象や評価が多いようですけれども、ルートをダダダダダダと弾き続けるようなシンプルなプレイは驚くほど少ないです。


「ジェラシー」Jazz

www.youtube.comいわゆるロックのベーシストのアプローチとしては、とても珍しいベースラインです。

「ミスファイア」Sheer Heart Attack

www.youtube.comこちらはジョン自身の作曲によるものですが(アコースティック・ギターのほとんどもジョン)、この曲にベースをつけろと言われても、なかなか思いつかないラインです。
曲の骨格は「ブレイク・フリー」に近いところもありつつ、両極のベースラインのアプローチで全く違う曲調に聞こえるというわけです。

 

「ゲット・ダウン・メイク・ラブ」News Of The World

www.youtube.com

「アンダー・プレッシャー」はベースのリフが印象的な曲です。この曲も同様に、フレディのピアノの左手に合わせつつも、ベースが独立しているような雰囲気を醸し出し、曲を彩る細かい動きがちりばめられています。


【ロジャーに興味を持った方は】
70年代のロジャーの楽曲は、ロジャー自身がギターやベースをプレイしているものがあります。

 

「さまよい」A Day At The Races

www.youtube.com

ロジャーには「Radio Ga Ga」や「カインド・オブ・マジック」「輝ける日々」などの評価が非常に高い楽曲がありますが、個人的にはロジャーが歌った曲の中ではこれが一番素晴らしいと思っています。


「フリック・オブ・ザ・リスト」Sheer Heart Attack

www.youtube.com

テンポとしては速いと言えるほどではないのに、ロジャーのドラムのアプローチでサビ部分やギターソロ部分からはものすごい疾走感を感じます。

「シーサイド・ランデブー」A Night At The Opera

www.youtube.com

クリームのジンジャー・ベイカーみたいなドラマーとしてブライアンの前に姿を現したドラマー、ロジャー・テイラーが、フレディによる様々な曲調の楽曲にどのようにドラムアレンジをしていったのかは興味がつきません。

0:58からの不思議な音は、フレディとロジャーがマイクに口を押し当てて出している音で、まあるい優しい感じの音がフレディ、金管楽器を真似ているのがロジャーです。


【フレディの歌に興味を持った方は】

「谷間のゆり」Sheer Heart Attack

www.youtube.com

 

「ネヴァーモア」Queen

www.youtube.com

 

「ドゥーイング・オール・ライト」Queen

www.youtube.com

これら3曲はいずれもファルセットの美しさが際立つ曲で、後期の力強い声とはまた違った、繊細で嫋やかな歌唱が印象的です。


【バンドとしてすごい】
すごいにはいろいろあると思いますが、この3曲を挙げます。

「デス・オン・トゥー・レッグス」A Night At The Opera

www.youtube.com

ピアノによるロックソングでこんな風にエッジを残しながら且つエレガントに聞こえてしまうという不思議な曲です。ブライアンは、フレディの作ってきた曲にギターを載せていくのはいつだってチャレンジだというようなことを言っていました。

 

「ザ・ミリオネア・ワルツ」A Day At The Races

www.youtube.comこの曲こそが「豪華で華麗なクイーンの集大成」ではないでしょうか。楽曲に対する深い理解がなければ、メンバーひとりひとりのプレイに昇華されなかったと思います。
ボヘミアン・ラプソディ」の衝撃があるのでこの曲は埋もれがちですが、ポップからも逸脱しかけている危うさもあり、非常に完成度が高いように思います。

 

「フェアリー・フェラーの神業」Queen

www.youtube.com

挙げた3曲はいずれもフレディの作曲ですが、フレディのイメージする世界を超えたレベルでメンバーのプレイが光っています。

ただし、この曲は複雑なコーラスワークも含め、錯綜するアレンジの緻密さは、インスパイア元の同名の絵画と同じく、フレディの偏執狂的ともいえる細部まで神経が行き届いた仕上がりになっています。

f:id:RaccoWikipedia:20190105001112j:plain

Richard Dadd
The Fairy Feller’s Master-Stroke
1855–64

 

 

 

映画『ボヘミアン・ラプソディ』を数回見て気づいた結論

ロックフィールド・スタジオでのシーン。

 

ポール・プレンターと『Love Of My life』を作曲中のフレディの間のやり取り。

フレディのことは理解できてるというポールに対して、


『願望を投影してるだけだ』と返す。
( "You just see what you want to see." )

 

これはあくまでポールに対するセリフで、それ以上もそれ以下でもない。おそらく脚本家が書いたセリフだろう。

 

フレディは生前、自身の生い立ちや健康状態などをほとんど公にしてこなかった(ザンジバルバルサラは明かしていたが)。

 

死後に明らかになったいろいろな関係者による言葉が紡がれて、フレディ自身の情報が明らかになった。もしかすると、今、″事実″として共有されている情報にはフレディが公にしたくなかったものも含まれているかもしれない。

 

何度か映画を見て、フレディについて、彼が書いた曲について、色々と分析をしていくことは、誰かの、或いは自らの『願望を投影してる』に過ぎないと、改めて感じる。

 

 

 

映画『ボヘミアン・ラプソディ』と実際の時間軸の対応表

追記:これを書いていた時点で知られていなかった事実が判明したため、2019年1月11日に訂正記事を書きました。併せてお読みください。

映画『ボヘミアン・ラプソディ』の評価を訂正します。 - Racco

 

 

f:id:RaccoWikipedia:20181125111138j:plain

一覧にしてみた

f:id:RaccoWikipedia:20181125104636j:plain