Racco

ウィキペディアのこととか。

「Citation Hunt」

https://tools.wmflabs.org/citationhunt/ja  太田 尚志 (Ota Takashi)さんがこのシステムにウィキペディア日本語版を追加するようご尽力してくださったのは少し前でした。  ウィキペディアの編集では、文章に出典をつけることが基本的な決まりごととして重要な方針となっています。
このシステムは、記事の中にある”{{要出典}}タグ” をランダムに表示し、出典をつけてみませんかと促すものです。  誰かの手によって「ここには出典が不足してるので、出典をつけてください」という印(タグ)がつけられている部分を抽出しているわけです。
そんなタグをつけるほど知りたいのならば、タグをつけたい人が自分で調べるなどすればいいのですけれども、まあなかなかそういうわけにもいかない事情があるのか、このタグがついたまま何年も経過しているものあります。  さて、今日「Citation Hunt」を見ていたら、「平和祈念像」(長崎県にあるもの)の記事中の
"平和祈念像のモデルはハッキリと特定されておらず、長崎県大村市(旧 東彼杵郡)に住んでいたこともある力士・プロレスラーの力道山とする説と、徳島県脇町出身で柔道・レスリング等の指導者であった吉田廣一(通称、「せんとうはん」)という説がある[要出典]。"
が表示されました。  より詳しく記事のソースを見ると、
{{要出典|date=2012年9月|title=力道山説、吉田廣一説、それぞれの出典をお願いします}}
と、書かれていましたので、さしあたってWeb上にこれらの説を記載している場所がないか探してみました。  気を付けたことは、ブログやSNS、質問サイトなどは出典に適さないということと、ウィキペディアに書かれていたことを参考にしているサイトではないことです。
後者は日付などで確認するのですが、なかなか難しい。ただし、今回の場合は、「このふたつの説がある」ということだけ示す根拠があればいいのですから、そこまで厳密な根拠が出典に求められるわけでもなく、”ないよりもあるほうがましである出典をつけること”は有効ではないかと考えました。 そんなわけで、こんな編集をしました。https://ja.wikipedia.org/w/index.php?diff=64491253&oldid=64404460 で、何が言いたいかと言いますと、
ウィキペディアの編集に慣れるために「Citation Hunt」
https://tools.wmflabs.org/citationhunt/jaWikipedia:出典を明記する」
https://ja.wikipedia.org/…/Wikipedia:%E5%87%BA%E5%85%B8%E3%…などを活用していただけると良いなーと

第1回ウィキペディアタウン 沼津 4/9

4月10日

【海獺レポート】沼津のウィキペディアタウン編まずは『実は』の話になってしまいますが、最初に沼津でウィキペディアタウンが開催されると知った時(後から小俣さんがやるなら大丈夫かなと思ったものの)、なにかあってせっかくの開催がうまくいかなかったりしたら、続けてやっていくモチベーションが下がってしまうかも、との老婆心から一般参加を決めました。なにかあったら対応するつもりで。それと古墳に詳しい、のり″インテル入ってる″まきさんにも早めに声をかけ、ご都合が合えばいきませんかと。これも後で聞いたら沼津はのりまきさんにとってゆかりの場所なのだそうです。参加を表面した時、主催者の市川さんご夫妻とはFacebookでもお友達ではなく、お会いしたこともありませんでした。ただ坪井さんとはお友達だったので間接的には繋がりがあり、坪井さんにはたぶん市川さんご夫妻に『あいつらは、こんな奴らだ』的なお話をしてくれていたかも知れません。さて、主催者の数だけウィキペディアタウンのやり方があります。
今回、とても感心したのは、記事編集対象がきちんとフォーカスされていて、地元の古墳記事を充実させるという目的がしっかり提示されていたことです。
これにより、参加者もウィキペディアタウンはよくわからないが、古墳のことをなんかするという共通認識があったように思います。市川さん夫妻による、主催の目的に関するお話でもそれは顕著で、国、県、市の指定文化財の話、古墳の話があり、私はいつものウィキペディアウィキペディアタウンのお話をしました。ここにも事前には多少の懸念がありました。
昨日Googleマップを見てくださいとポストしましたが、高尾山古墳は道路計画線上にあり、参加者の中には古墳の保存寄りの運動をしている地元の方もいるとの事。
私は保存なのか道路計画を推進するのかの意見は持っていないし、ウィキペディアでも当然偏りがあっては行けないデリケートな題材です。
もしかすると展開によっては、プロパガンダ的な編集が行われる可能性もあるのでは?と。
結論からいうとこれらは全くの杞憂でした。私は話の中で、中立的な観点のところをいつもよりも少しだけ詳しく、原発推進反対の例も交えつつ、個人がどう考えていても、偏ることのないように、偏りは自分では気づきにくいものでもあるという話と、ウィキペディアは誰でも編集できるので、行った編集が書き換えられる所でもあるというおはなしを強調しました。
はい、杞憂でした😃もうひとつ感心したポイントは市の文化振興課の学芸員さんによる古墳の解説です。たくさんの資料を携えてお話を頂きました。私のような古墳なにそれ?おいしいの?のものにもわかりやすく、興味を抱かせる内容で、学芸員さんはフィールドワークにもご同行下さって、現地の説明をして下さいました。のりまきさんはウィキペディアの編集者として、古墳記事はどのような点に注目して書くのかのレクチャーを3分(10分)して下さいました。
Facebookのタイムラインでもそれ聞きたいという声が出ていましたが、こちらも参加者の方が身を乗り出して聞いてくださってました。会場を後にし、2箇所の古墳へ。
ご飯はそれぞれ別々に。
編集会場の市立図書館は駅の反対側なので、市川のぞみさんの車ににハロワンド、のりまき、海獺がのせてもらい、ランチ。午後からはいつもの濃密な時間。
プロジェクター、電源コードなどの機材を主催者がちゃんと用意して下さっていて、図書館や大学などの団体が行うのでなはいイベントにしては(いや、だからこそ?)痒いところに手が届く運営でした。(*゚▽゚ノノ゙☆パチパチメディアの取材もあり、写真のアップロード講座もあり成果発表まで、参加者の皆さんの笑顔と自然発生拍手は起き続け、大成功です。沼津でのウィキペディアタウンは今後、遺跡コンプリートまでガンガン開催予定とのことで、毎回私が行けるかどうかということも含め、地元に近いお住まいのハロワンドさん(ウィキペディア日本語版管理者)に今後はメインを任せるつもりで、バックアップしていきたいと、画策してまいりました。いやー良かった良かった。
雨が心配されてましたが、降られた感じはほとんどなく。傘もいりませんでした。晴れ男 のりまき恐るべし😆加筆!参加者のお1人が沼津市立図書館の司書さんでした。リファレンスどんとこいの感じが頼もしかったですし、ブックトラックにいっぱいの資料も用意されていました。
実は沼津市立図書館の記事はまだないんです(ご存知ですよね? Cantabrio Asturioさん)。
お話を振ってみたところ、身内やイベントで記事が出来るより、どなたか作ってくれた方が個人的には嬉しいとおっしゃってました😊 

WikipediaTown 沼津 ~沼津の古墳をデータ化しよう!#2~  6/3

WikipediaTown 沼津 ~沼津の古墳をデータ化しよう!#2~

らっこれぽーと。

 

沼津駅北口に8:30集合だよっ!

これはなかなかのハードルなのですが、お天気もいいので移動中にテンションが上がります。

前回は小田原からパスモで行ってしまい、沼津で「ピンポーン。係員のいる改札で・・・」と止められましたが熱海から先(?)はJRの区分が違うとかで交通系ICカードだとそのまま通れない模様。

 

 

時間より少し前に沼津駅に着くと、もうすでに笑顔がいつも素敵な主催者のNozomi Ichikawaさんが待っていてくれました。ここから会場までを車で送ってくださることになっています。

裾野市坪井 正人 (Masahito Tsuboi)さんもほどなくいらっしゃり、今回の講師の(ウィキペディア日本語版の管理者のひとりである)ハロワンドさんも到着。遠路京都から前泊ので参加のStroly 高橋さんも少し遅れて到着。早朝からホテルの自転車を借りて、Nozomiさんオススメのおいしい朝ごはんを堪能なさったようです。Code forの若手Shuta Kudoさんはもっと遅れるとのことで置いていきましょうということに。

 

 

一路「沼津市役所 金岡地区センター」へ。沼津駅の北側2Kmほどのところにあり、歩くと2~30分はかかってしまうので、車で快適移動です(バスもあるはずだけど)。

参加者は20人ほどかな。

ここで、Nozomiさん、市川 博之 (Hiroyuki Ichikawa)さん、によるイベントの趣旨説明と、ハロワンドさんによるウィキペディアウィキペディアタウンの説明、高橋徹さんの地図に関する説明があり、学芸員さんによる古墳の説明がありました。そうこうしているうちに10時。

本日はじめてお目にかかるウィキペディアン、創田季近さんからメッセージがあって「沼津市役所 金岡地区センター」の場所を聞いたら「沼津市役所」(駅の反対側の狩野川の向こう)に案内されてしまい少し遅れますと書いてあるので「もしわかんなくなったら泣いてください」と返信。めでたく10時少し前に着いて、合流。初めまして。

ウィキペディアの重鎮のりまきさんの姿が見えません。

(・_・ ) ( ・_・)キョロキョロ

 

 

さて、再び数台の車に分乗して(私はCodeForの髙木さんの車に、たかぎさんのぼっちゃんと、創田さんと一緒に乗せてもらい「清水柳北1号墳」へ。古墳のそのものについてはウィキペディアに出来上がった記事を見ていただくとして。

既に昨日レポートした通り、今回も学芸員さんが現地まで同行してくださって、学術的な背景から、公表されていること、研究結果としては未公表のこと、それに対する考察など、そこにいる人しか味わえない知的な情報がもたらされます。

工業団地開発に伴って移築されていることや、ウィキペディアでは記載できない類いの情報など(主に情報の合成となってしまうような見解)エピソードが多い古墳でした。

 

 

再び車で移動。次の場所は子ノ神古墳。

ウィキペディアの中の人のひとりとして、記事の題材という視線で対象を見るとき、どれくらいの特筆性があって、記事の文章量はどれくらいになるだろう、編集作業分担はどうすればいいのかななどと、考えながら現地調査の場所に赴きます。

ひとつめの「清水柳北1号墳」でも「北の他に南はある?」「1号のほかには2号3号はある」とか、そういっためちゃくちゃ単純な疑問点をつぶしていって、閲覧者が理解しやすくて他の関連情報に行きやすいような記述をイメージを膨らませていました。

 

 

この「子ノ神古墳」は、1956年に行われた近くにある長塚古墳の発掘調査の時に測量調査が行われ、1970年には沼津市の史跡に指定され、その後は1999年沼津市の遺跡発掘調査は本格的な発掘は行われず周溝が確認されるなどの簡易的なことしか行われていないようで、いわゆる未調査の遺跡。前方後円墳の(壊された? 崩れた?)前方部分跡には神社が建っているけれども、それもよくわからず。未調査なので年代の確定もなかなか難しくて、あっちにあるあの古墳と形状や規模が似ているなどの説からの推測しかできません。(教育委員会による記述もちょっとあてにならない面があるとかないとかむにゃむにゃ)

さて、ウィキペディアにどう書くか。

 

 

お昼ごはんは食べたいもので挙手をして(海鮮、洋食・・など)それぞれ車に分乗し、13:30に沼津市立図書館の4階で合流しましょうという流れ。

私の今回の最大の目的は海産物を食べることでもあるので、Nozomiさん、高橋さん、創田さんとともに、駅前の流れる(回るではなく)お寿司屋さんのランチへ。私は炙り丼をいただきました。冷奴とアオサのお味噌汁がついて丼は結構なボリュームで税込み1,000円。ああ、地元にもあればいいのに。

となりの創田さんがアオサの味噌汁で幽体離脱してましたね。

 

楽しいごはんの後は、いよいよ編集作業。駅をはさんで南側の沼津市立図書館へ車で向かいます。

 

 

50人弱がセミナーで使えるくらいの規模の部屋で、ホワイトボードもスクリーンも完備。機種によってはWi-fiルータが多少入りにくい?

 

ここで改めて自己紹介コーナー。司書さん多め?

どこまで紹介して良いかわからないのでお名前を出しにくいですけども、前回から引き続きの方も多くて、アットホームなムードで編集スタートです。

 

難航しそうな「子ノ神古墳」の編集サイドに私はいるようにし、創田さんと「子ノ神古墳」の名称をググるなどしながら、曖昧さ回避ページの作成と、記事名の決定、インフォボックス埋めを任せちゃいました。

 

坪井さんには交通アクセスなど、高橋さんは画像などと分担してくださり、お三方の司書司書ロッカーには、内容をお任せ。これでだいたい役割が決定。

私が持ち込んでいるノートPCにて、それぞれログインとログアウトを繰り返しながら、少しずつ記事を作成していきます。

 

「清水柳北1号墳」のほうはハロワンドさんと Keiko Fujiiさんがいるのでもうお任せ。

 

 

ここでのりまきさん登場。

前回のウィキペディアタウン沼津での題材「高尾山古墳」について、今日のイベントに同行せずに前乗りで沼津図書館にこもって文献を調べていたのだそうで、少々興奮気味に計画道路と古墳の関係の真実を突き止めたーとおっしゃっていました(この辺はおいおいウィキペディアに反映されることを期待します)。

 

途中書きかけのものをいじっている最中に、私のノートPCの電池がなくなってふーっと消えていくなどのアクシデントはあったものの、なんとか形になりました。

 

「清水柳北1号墳」

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E6%B0%B4%E6%9F%B3%E5%8C%971%E5%8F%B7%E5%A2%B3

 

「子ノ神古墳 (沼津市)」

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%90%E3%83%8E%E7%A5%9E%E5%8F%A4%E5%A2%B3_(%E6%B2%BC%E6%B4%A5%E5%B8%82)

 

成果発表の後の創田さんによるコメントは、多くの人の心に響いたようです。Nozomiさんが取り上げてくださっている文章を、こちらにも再掲させていただきます。

ウィキペディアタウンで初めてウィキペディアを入力してみて、上手に書けなかった部分、できなかった部分があると思う。

うまくいかなかったから辞めてしまうのは自由だけれども、自分が出来た部分を見つめて欲しい。」

 

 

同様に、限られた時間の中でここまでできたということを、もっとたがいに褒め合いたいものです。

 

今これを書いている時点で、私のPCからのグーグル検索では

「清水柳北1号墳」「子ノ神古墳」も検索結果の3番目に昨日作ったウィキペディアの記事が、表示されるようになっています。

 

今回のイベントに参加したみなさんが成し遂げたことは、きっととてもすごいことであるし、関わった記事を今後も可愛がって下さったらなと思います。

 

あ、そうそう。

画像にあるように、ログイン状態で「履歴表示タブ」の右の星が青い状態だと、その記事はあなたのウォッチリストに入ってます。青くなかっったら、ぽちっとクリックすると青くなります。

すると、記事が編集されるたびに、ウォッチリストに反映されますので、編集されていく様を眺めることができます。活用してみてくださいね

5/27 その2

5月27日
成蹊大学鶴ヶ島ウィキペディアタウン その2

鶴ヶ島市は、東京から行くと川越の少し先。車に乗る人にとっては関越道の鶴ヶ島JCTとして馴染みがあるところ。お祭りなどに詳しいかたには4年に一度の『脚折雨乞(すねおりあまごい)』が知られています。

この日、吉祥寺から、砂生さんが迎えに来てくれる東武東上線若葉駅までの移動時間は1時間17分。新宿と池袋で乗り換え。いつも笑顔の絵里奈様が(あ、砂生さんのことです)可愛い車で既に駅のロータリーで待ってくださいました。今日もサロンがステキ。
車のなかで鳥越館長に『図書館、カッコイイんだよー』と私から説明(あまり具体的でない)。カッコイイ鶴ヶ島市立中央図書館について、会場に入るともうほとんどスタンバイOK。
(OKだったってことでいいですよね?律子様)今回は時間の関係で、フィールドワークなし、資料はあらかじめ用意されている、講義は20分となっていますが、図書館関係者のかたばかりなので、内容を絞ってお話。新しい試みとしては、先に財団の『事実が重要』という短い動画を見てもらい、自己紹介のあと、方針の話など。
最後に前述の『脚折雨乞』のウィキペディア日本語版の記事をプロジェクターに映して、記事の現状を見てもらい、さしあたってどうすればもっと良くなるかということで、用意しておいたWeb出典を使って、その場で編集しました(出典の追加)。この動作により、
1.記事がどう変わったかの『差分の比較』
2.記事の編集履歴と、版が重なっていくということ
3.投稿者の投稿記録
4.要約欄とプレビュー
5.ウォッチリストとは何か
などが、一度の編集でどう紐付けられるのかが可視化され、理解しやすいと考えました。その説明をした後に、もう一度、ほかの箇所に出典を付け、再度説明しながら、再確認しつつ、編集が利用者:海獺によって2回行われたことを印象づけました。ええ、時間を見たら40分経過してましたね😨今回のウィキペディアタウンの編集対象は、『鶴ヶ島市立図書館』の新規作成と、出典がほとんどついていない『鶴ヶ島市』の記事に出典をつけるというふたグループです。
絵里奈様チームは『鶴ヶ島市』、律子様チームは『鶴ヶ島市立図書館』の新規作成。あらかじめ『鶴ヶ島市』の記事を大きめの紙にプリントアウトして下さっていて、出典がつけやすいところに赤ペンで印を付け、載っていそうな資料を探す方式。マークアップが印刷された資料の他に、同じものをwebにアップしてURLを短縮してメモってもらい、複雑なマークアップを手打ちせずとも、コピペでできるようにしました。
萬谷さんがとても積極的にテキパキと把握し、1人ひとつは出典をつけるという経験が出来たようです。鳥越館長も編集デビュー。
ちょっとの加筆もありました。資料から文章を作るという、藤井さんが再三おっしゃっていた壁が少しあったようです。新規作成はちょっと難航しました。
インフォボックスを埋め、定義文を書いたところで、律子様のPCのウィキペディアの編集タブだけがフリーズ!あえなくロストで振り出しに戻る…という惨事が。
それでも林泰子様、岡本紀子様の不屈の闘志で乗り切り、律子様はダッシュで図書館を撮影するというフットワークを見せ、鶴ヶ島の『ヶ』を『ケ』にしたりしなかったりなど混乱を見せつつも、なんとか体裁を整えアップできました。
『もっと明るい時に撮影すればよかった〜』と嘆く律子様。成果発表をしていただき、エラソに講評を。
いつも言ってますが『お家に帰ってもウィキペディアタウン』です。私のウォッチリストに入ってるので全然編集がされていないとわかりますよーと脅して、めでたく終了。その後は図書館ツアー。
布製の本を、100円ショップの、中が透けて見えるファスナー付きのA4サイズの書類入れに入れて、フェイス陳列していたアイディアが素敵でした。帰りも砂生さんが若葉駅まで、萬谷さんと、鳥越館長と私を送ってくれて、新宿まで両手に花で移動。
さすがに疲れて新宿までの電車で寝そうになってしまったけど、バレてないよね?😑椎名林檎さんの『歌舞伎町の女王』の歌詞の話(じぇいあーる しんじゅく↑ー えきのー ひがしぐちをー でたルあー)などしながら鳥越館長を宿の前まで送り届け、ミッション完了。みなみなさま、お疲れ様でした。あ、えっと。
ウィキペディアタウンに前半だけいらしたお兄さんと、鶴ヶ島図書館のお兄さんが文中に出てこないのには、深い意味はありません😆いつも不思議なのですが、絵里奈様と律子様は、海獺を見ると何故か笑います🤔🤔

5/27

5月27日
成蹊大学の図書館と鶴ヶ島ウィキペディアタウン

海獺氏が尾道市立大学にてウィキペディアタウンの講師をした時に、ふくちのち館長の鳥越さんが見に来て下さり、その帰りに慌しく尾道駅前で尾道ラーメンをかんたくんたちと一緒に食べたご縁もあって、結構前から武蔵野の図書館総合展ではまたご一緒しましょうという話になっていました。

もともとこの日(5/27)は色々な予定が重なる可能性がありまして、当初予定では鶴ヶ島ウィキペディアタウンやるぞーだったのが、いろいろな事情で開催無理かもーと砂生さんからご連絡がありました。では、その日は一日総合展にと思っておりましたところ、『私の行動力は53万です』とばかりに砂生さんがめちゃ頑張ってなんとか調整を重ね、フィールドワーク抜きで(ランチで優雅に過ごしたあと)午後から小規模での開催が可能になりましたとのこと。そこで海獺氏はお話をするタイミングの午後3時くらいに会場につく感じで、それまでは吉祥寺の成蹊大学に出ますとお返事。鳥越館長に、そんなわけで海獺は午後から移動して埼玉の鶴ヶ島ウィキペディアタウンに行きますと伝えたところ、勉強になるし見てみたいので鶴ヶ島に一緒に行っても良いですか?と。結構遠いので路線図を示して移動がしんどいとお伝えしたものの、やはり見たいとのことで、海獺氏はエスコートすることに。さて、そんなこんなで当日、東京はわからないし電車もあまり乗らないという館長の今回の宿はゴジラがいるホテル。その建物の入り口まで迎えにいくことに。
いきなり!ラッコのマスコットを頂きました😆😆😆
吉祥寺までの電車移動も一度ホームを間違えた以外は完璧にこなした海獺氏。無事に10時頃吉祥寺に着き、駅前の地図で位置関係を確認。「吉祥寺図書館」の文字を見つけた館長は是非見たいとおっしゃる。私も角っこの街路樹を見たいので同行しました。やはり館長、企画や取組、掲示物、レイアウトなどが気になるようで、海獺氏はまるで皇室所縁のかたを護衛する感じの距離でついていきましたとさ。図書館から成蹊大学までは徒歩15分だとGoogleマップが言ってます。駅まで戻ってバスにのりますか?
館長『歩きましょう』
この日は日差しが強くてなかなか暑い。日焼けしそう。右側に学校らしい樹木が見え、手前のローソンで飲み物を買ってスマホを見ると、Facebookによれば茂出木理子さまも、こちらに向かっているとの事。2度目の初対面で御挨拶できるかな?
(一度、東工大博物館でご一緒しているが、御挨拶出来ておらず)鳥越館長をご存知の方も受け付けにはいらっしゃるなど、こちらはあまり顔バレはしてないものの『ウィキペディアのらっこ』としてマイナーな知名度もあるかもしれないなと思いつつも、こちらから挨拶はしづらい面もあり、館長が紹介してくださった方には御挨拶しようと決める。成蹊大学の情報図書館前で奥山さんにお会いしました。今までFacebookでお友達申請しても『会った人とじゃないと('ω'乂)ダメー』と言われていたため、めでたく。余野さんをご紹介頂き、鳥越館長を紹介するなど。少し遠くから、オシャレなお姉さんが受け付け棟の方へ移動しているのを確認。
|ω・`)じー
あ、あの人はっ!
『茂出木さん!』
感動の瞬間でございます。まわりに人がいなければ、ダンスでしたね。鳥越館長と茂出木館長の御挨拶はオシャレの競演でございます。野原みあちゃん、岡本さん、小池さん、鎌倉さん、小田垣さん(初対面)にもお会いできました。成蹊大学の情報図書館では、私はもっぱら荷物係で、上記の皆さんが中をぐるーっと回っている間、良い子で座っておりました。
その後少し茂出木さんとお話が出来て、大変ラッキー🍀そんなこんなで、砂生さんが車で迎えに来てくれる若葉駅の約束の時間に間に合わせるにはそろそろ大学を後にしないといけない時間になりました。
受け付けでネームプレートを返却して、たまたまそこにいらした岡本さんに挨拶してからと思ったけど、相変わらずお忙しくなかなか声をかけられそうにありません。もともと、砂生さんと私は、岡本さんを通じて知り合いになれたし、それが本日のウィキペディアタウンという形になった事への報告と感謝をメッセージして、成蹊大学を後にしました。大学構内では、途中、どこかの業者さんが、鳥越館長からちょっと離れた位置にいる海獺氏を見て『ご結婚なされたとは知りませんでした』みたいなことを言ってて、なんだか申し訳ない、というエピソードは書いていいんでしたっけ?😳長いので、ウィキペディアタウンについてはまた次回。

5/22

香川県の三日め

急遽、中俣教授が取ってくれた、宇多津駅前のホテルの朝ご飯はブッフェ形式。麦を食べて育った🐓さんの🥚は黄身が白っぽいけど栄養価が高いそうで、ご飯のおかわりをしてTKGでいただきました。大変満足。

10時に中俣教授とホテルの前で待ち合わせ。
ちょっと遅れた教授は、昨日ドサクサで私が食べられなかった大福を買ってきてくれました。ありがとうございます。三日も一緒にいるので多少見飽きましたけど、良い方です😆

講義は13時からなので、その前に宇多津を案内して下さるという。神石神社、宇夫階神社、重さ300㌧の巨石、そして、お遍路さんの78番目、郷照寺
ここの観音堂はすごかったです。いずれウィキペディアみたいなものを見るだけで行った気になれるようなテクノロジーができるのかな。ホテルに戻って荷物を受け取り、中俣教授は原付バイクでいったん香川短期大学へ。私は歩いてイオンの中のケーズデンキへ。そう、ノートパソコンのACアダプターを探しに。昼ごはんはまたどこかで食べましょうと言って別れました。ケーズデンキに規格が同じアダプターがあったのだけど、税込で5000円くらい? うーむ。手が出ません。
ほかの人のパソコンを借りれば済むし。
と、そこで海獺は思い出した。
隣にハードオフがあったぢゃないか。いそいそとハードオフに行ってみるとベースがたくさんあって本来の任務を忘れそうになる。ジャンクコーナーの箱にいっぱい入ったACアダプターを探すけど、同じ規格のはなかった。もう講義の時間も迫ってきたなと思っていると中俣教授から着信があったことに気づく。折り返してケーズデンキのとこで待ち合わせしていると、原付バイクで現れた。大学までの道をレクチャーしてもらい、あとからトコトコ歩いて行くのだが、途中道を間違ったため3マス戻る。やっとついて応接室に通され、大福で腹ごしらえ。
ACアダプターは規格が同じの事務の方を借りることが出来た。ラッキー😆一昨日、お会いした、三豊市ウィキペディアタウンを計画している田中さんご夫妻や、香川短期大学の教員のかた、近隣の図書館の方などが教室の最後方で見守る中、約80人の学生さん(男女比2:8くらい?)にお話をします。コミュニケーション学科の授業なので、ウィキペディアタウンよりも、ネットリテラシー情報リテラシーについて多めに、ウィキペディアの管理者をやってきた時の経験を交え、こういうことも実は危ないよーなどの話を75分ほど。まだ現時点でエントリーシートを見ていないので、どこが響いたかはわからないけれど、チラッと見た中には『小山くんと加藤くんはどんな感じでしたか?』みたいな質問もあり。講義の後は丸亀市立中央図書館の館長さんたちが、中俣教授と面会とのことで、なぜか同席しろといわれ、良い子で座る。なんだかんだで17時の電車に良い時間になったけど、ちょっとお腹が空いたので、駅前の一鶴という有名店で骨付き鳥をいただく。岡本さん御用達のお店らしい。
骨付き鳥をかぶりつく海獺を微笑みながら見つめる中俣教授。夜ごはんが近いので教授は軽く。わたわたと時間が過ぎ、帰る時間となりました。三日間すべて好天。おみやげはほんのちょっと。
とても刺激的な体験でした。
私で役に立つならば、またお邪魔します。
丸亀の美術館もゆっくり見たいし。香川の皆さん、ありがとうございました!😆😆😆

5/21

【初日5/21 晴】
丸亀2日目。
「うどんを食べに行くから7:50に駅に集合ね!」
というわけで、海獺氏は早起きをして少し散歩をして、駅まで5分ほどの距離を少し遠回りして、アーケード商店街を通って駅へ。
早朝なので、アーケード商店街で営業している店はないのだけれど、前日の土曜日にちらっと見た時も、そもそも営業している店はとても少ないように見えたし、朝歩いてみても、昼間に賑わっているイメージが湧かなかった。

この滞在の間、ずっと気になりつづけたのは、丸亀という街の元気のなさだった。これはdisりたいわけではなくて、うどんで有名な、お城で有名な四国の都市のイメージは、もう少し観光地っぽく、観光客を迎えるような、そんな活発さがあると思い込んでいて、でも、そうではなかった。駅前にはうどん屋さんはない。尾道の駅前にはラーメン屋さんがあったのに。
いろいろ聞いてみると、車社会なので郊外のイオンにみんな買い物に行く。駅という場所には電車で移動するために駅に行く以外の目的がない。だそうだ。うーむ。再び車で移動。ノートパソコンの電源ケーブルは、近くに電気屋さんがないのでとりあえず充電で持たせる方向で。
「よしや」さんといううどん店へ。幸い待たずに入れて、注文の仕方を店員さんにきいて、食べていると、どんどんお客さんが入ってきて、少し外で待つ人も出てきた。8:10ごろ。海獺氏が「もう少し効率的な提供ができるようにすれば、行列を減らして、回転が良くなって、もっと売り上げが上がりそうなのになー」と言うと、正面でうどんをすすっているファンキー高橋氏が「海獺さん、それは都会的な考え方なんだ。客はこの洗練されていないことも含めて楽しんでいるのだからこれでいいんだ」というような主旨のことをおっしゃり、深くうなずく。駅に戻る道すがら、中俣教授は大福を購入。一度駅に戻り、他の方々は会場となる「城乾コミュニティセンター」へ。海獺氏は今日の夜の切符を明日に変更するためにみどりの窓口へ。無事に変更完了。今夜の宿泊は中俣教授が手配してくれる。会場までは徒歩10分ほどかな。
わらわらと人が集まってきて、ちょっと会場が手狭な感じも。
いよいよウィキペディアタウンの始まり。
中俣教授のご挨拶と主催者の大西さんのご挨拶が終わり、海獺漫談の始まり。プロジェクタの位置とケーブルの長さの関係で、□の形に囲われたテーブルの中に、さらにテーブルをひとつ置いて、潜って、出てきて、プレゼン。
目の前にはおごはらさん(きれいなお姉さん:よいしょ)。
なんだかんだで、海獺氏のミッション完了。高橋さんのトーク
そしてフィールドワークへ。会場前の説明で猫を見かけるが逃げられる。
この辺の動きは他の人が書いてくれると信じてあまり書かないけど、玄要寺については、もっと予備知識があったほうがよかったかな。寿覚院の前の家には二階のベランダに柴わんこがいて「あそべっあそべっ だれっだれっ」とにぎやか。
会場に戻ってMiya.mさんによるガイダンス。
ワークショップの後半、名探偵ラッコナンが札所の札を見せてもらえたという喜びは、3月の時間切れギリギリの髙瀨さんの出典発見のメロス状態に匹敵するウィキペディアタウンならではの、光がさすような嬉しい一瞬でした。
さてさて、ワークショップも講評もつつがなく終わり、高橋さんが示す古地図の変化に一同驚嘆。
そして懇親会。「カフェ・ラ・トープ」はとてもとてもおしゃれなお店。下北沢っぽい雰囲気。ここでも高橋さんと語りまくる。トイレに行ってる間にMiyaさん夫妻は帰途に。
懇親会も終わり、駅までみんなで歩く。
町屋、屋敷、明治以降の堅牢な洋式建築など、時代的な建築物が次々と壊されていく丸亀。空き家になっているところが多いため、防災面も維持も大変だと思う。この日も図書館近くの間口が広い町屋が取り壊されていた。だけれど、街の景観に統一感を持たせて、古い建築物を移築していき、商店街の軒を彩れば、もしかしたら歩いてお城までの道を楽しんでくれる観光客が増えるし、古い建築物も有効に活用できて残しておけるんじゃないかなと、素人考えを披露。
かんたくん、きむらさん、高橋さんお疲れ様でした。
主催の大西さん、お疲れ様でした。丸亀の隣の宇多津駅まで車で送ってもらい、2日目は終わり。明日の朝食はホテルのバイキング。3月の京都の朝食のホテルバイキングはあまり楽しめなかったから、今度は食べられるものがたくさんあるといいな。明日は10時に中俣教授がホテルの前まで迎えに来てくれる。明日の講義用に資料をアレンジ。電池の残量が気になるので、USBメモリに移すのを忘れずに。