Racco

ウィキペディアのこととか。

映画『ボヘミアン・ラプソディ』を見終わった人へのガイドみたいなもの その2

映画を見てから読んでくださるほうが良いと思います。
ネタバレを多く含みます。

追記:これを書いていた時点で知られていなかった事実が判明したため、2019年1月11日に訂正記事を書きました。併せてお読みください。

映画『ボヘミアン・ラプソディ』の評価を訂正します。 - Racco

 

 

 

『Sheer Heart Attack』の次のアルバム

先日も書いたが、映画に登場するEMIの担当者であるレイ・フォスターは架空の人物である。同席しているのは、マネージャーのジョン・リード、グループの世話係のポール・プレンター、そして弁護士のジム・ビーチ。実際にジムは”マイアミ”と呼ばれていたらしい。

史実ではジムは1975年1月にクイーンと出会っている。トライデントとの契約に関して相談を受けた。
1975年4月には初来日を果たし、その歓待ぶりはメンバーに強い印象を残す。


1975年5月1日の武道館が初来日の最終公演で、ビデオ撮影が行われている。

Queen - Live in Tokyo 1. May 1975 - Killer Queen / In The Lap Of The Gods revisited - YouTube

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トライデントとの関係を断ち切り、ジョン・リードがクイーンのマネージャーになるのは1975年9月。ただしトライデントとはすっぱり切れたわけではなく、以降の印税の1%を支払い続けるという条件が課せられたそうだ。1977年までこの条件は継続した。
そのためか『A Night At The Opera』の当時のアナログ盤の中ジャケットには、Management - John Reidと記されているものの、その下に大きくトライデントのロゴが記されている。


『A Night At The Opera』のレコーディング準備は、日本公演の直後の5月から始まり10月までレコーディングが続いている。

つまり、映画で4枚目のアルバムについてミーティングをしている時点では、実際にはジョン・リードも、ジム・ビーチも同席していることはあり得ないことになる。

さて、映画ではビゼーカルメンよりハバネラのレコードをフレディがかける。
マリア・カラスによる歌唱ではないかな。

Carmen - Habanera - Maria Callas - YouTube


映画のスクリーンに田園風景が広がる。Rockfield(ロックフィールド・スタジオ)で『A Night At The Opera』の一部はレコーディングされた。他にSarm, Roundhouse, Olympic, Scorpio, Trident, Lansdome等のスタジオをも使用したとクレジットされている。
Tridentのスタジオも1975年の7月から8月半ばにかけて『God Save The Queen』のレコーディングに使用されていることから前述のロゴ表記につながっているのかもしれない。

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Trident Studio。フレディとベヒシュタインのピアノ

このころのリハーサルの画像が多く残っており、大半はRidge Farmという農場の中の施設のもので、ここではリハーサルはしているがレコーディングは行われていないらしい。

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Ridge Farm。ジョンとロジャー。

また、伝えられるところによると、Rockfieldでメンバーたちはマルクス・ブラザーズの映画『A Night At The Opera』(オペラは踊る)(1935年)を見たという。

オペラは踊る - Wikipedia
仮タイトルとして制作中のアルバムをこの映画の名前で呼んでいたということらしい。

 

Love Of My Life

Love of My Life (Queen song) - Wikipedia

訳詞:http://www5f.biglobe.ne.jp/~lerxst21/queen/opera.html#Mylife


フレディがメアリーのために作ったとされる曲。『A Night At The Opera』に収録。

スタジオ・バージョンではブライアンがハープを弾いている。

 

I'm In Love With My Car

I'm in Love with My Car - Wikipedia

訳詞:http://www5f.biglobe.ne.jp/~lerxst21/queen/opera.html#Lovemycar

映画ではこの曲をめぐって特にブライアンとロジャーの間で諍いが起こっている。

その背景となる史実は、この曲が『Bohemian Rhapsody』のシングルのB面になったため、作曲者であるロジャーに多額の印税が入ったことによって、後年メンバー間の不満が顕著になった原因と言われている。
それまでのシングルでは、フレディとブラインの曲でAB面とも占められており(日本でのみ『The Seven Seas Of Rhye』のB面にロジャー作曲の『The Loser In The End』がカップリングされたことがある)

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ロジャーとしては、シングルに自分の曲を入れたかったのかもしれない。

スタジオ・バージョンに入っている車の排気音は、当時ロジャーが乗っていたアルファ・ロメオのもの。

ライヴのこの曲は、1小節半歌って残りの半小節にドラムのフィルインをいれるパターンなので、非常にステージ映えがする。

www.youtube.com

Sweet Lady

Sweet Lady (Queen song) - Wikipedia

訳詞:http://www5f.biglobe.ne.jp/~lerxst21/queen/opera.html#Sweetlady

この曲のバッキング・トラックは少なくともベースとドラムは同時に録音されていて、

www.youtube.com

0:19~0:23あたりのベースのフレーズに、スネアのスナッピーが共振しているのが聞こえる。

また、サビに入るところではドラムのパターンが変わるが、歌の1番と2番のさびに入るところでは、ドラムだけ2小節ほど遅れてパターンが変わる(1:06と1:49)。4/4拍子の大サビ(2:15)あとの3回目のサビではしっかり切り替わるので(2:41)、もしかするとロジャーがこの曲の構成をしっかり頭に入れないまま、ベースがサビのパターンになったのを聞いてから合わせている可能性があり、これはこれでOKとなったのかもしれない。

Making Of ”Bohemian Rhapsody” 

ボヘミアン・ラプソディ」が作られるシーン。
ロジャーは小さいころ聖歌隊に入ってたらしく、フレディよりも音域が高い。コンサートにおいても高音パートをきちんと担当していた。ブライアンはコンサートではさほどコーラスに熱心ではないときがあるが、ロジャーは一時期「コンサートの役割の半分は歌うことだ」と発言していた。

ギター・ソロのレコーディングのシーンでブライアンが時折ギターに向かって話しかけている。エレクトリック・ギターのピックアップ(マイク)部分は、通常のボーカルマイクのようにコツコツとたたけばその音が増幅され、話しかければ(音量はどうあれ)ミキシング・ブースへアンプを通じて話ができる。

再びEMIのレイに会うシーン。
前々回も書いたが、レイは「この曲では車の中で頭を振って聞けない」というセリフは、1992年の映画『ウェインズ・ワールド』でレイ役のマイク・マイヤーズは「ボヘミアン・ラプソディ」に合わせて車の中で首を振っていたことに対する、ジョークが含まれている。

ウェインズ・ワールド ボヘミアン・ラプソディ Wayne's World Bohemian Rhapsody - YouTube
0:40~からそのシーンが出てくる。黒い帽子をかぶっているのがマイク・マイヤーズ=EMIのレイである。一度止まった後、1:33~から再び曲が流れる。2:07~からはまさに頭を振っている。
マイク自身によるこの辺の経緯はこの動画の冒頭に。

Queen-Queenという現象4 - YouTube


愛称として、映画の中でロジャーが発している "Bo Rhap"という呼び方は実際にも言われていた。

6分の曲がシングルとして適切でラジオでかかるか、プロモーションが可能かがこのミーティングの焦点だが、実は、フランスでは当時3:30に編集されたプロモーション用のシングルが作られている。

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ケニー・エヴェレット(Kenny Everett)はキャピタル・ラジオのDJ。出来上がったシングルをフレディが持ち込んで、というエピソードは史実に基づくもの。
このシーンで、シングルのB面が「I'm In Love With My Car」になったとわかる。

このあたりの話は、ここに詳しい。

The Story Behind Queen's "Bohemian Rhapsody"

歌詞についての分析は多くなされているが、この映画でも語られている通り「歌詞はリスナーの解釈」であり、フレディ自身から詳細な解説をしたことはない(つまり、得られる情報は誰かの解釈でしかない)。

 

You're My Best Friend

シングル候補として挙げられた「You're My Best Friend」はジョン作曲で、「Bohemian Rhapsody」の次のシングルとしてカットされた。

You're My Best Friend (Queen song) - Wikipedia

訳詞:http://www5f.biglobe.ne.jp/~lerxst21/queen/opera.html#Bestfriend

イントロから全編にわたって流れるエレクトリック・ピアノはジョンが弾いていて、一説によればフレディがグランド・ピアノ以外の鍵盤を弾きたがらなかったという話も伝わっている。しかしながらファースト・アルバム収録の「Liar」ではハモンド・オルガンをフレディが弾いているとされており、真偽はわからない。

ジョン・ディーコンはこのころ(1975年1月)結婚した。

 

Now I'm Here

訳詞: http://www5f.biglobe.ne.jp/~lerxst21/queen/sheer.html#NowIm

Now I'm Here - Wikipedia

映画で使われているバージョンは、1975年12月24日のロンドン、ハマースミス・オデオンでのもので、2015年に映像ソフトとして発売されている。

A Night at the Odeon – Hammersmith 1975 - Wikipedia

コンサートは『A Night At The Opera』発表直後のイギリス・ツアー最終日で、クリスマス・コンサートとして撮影と録音がなされた。


前回記したように、クイーンにとっての初のアメリカ上陸は、モット・ザ・フープルのオープニング・アクトとしてのものだった。「Now I'm Here」の歌詞の中には,

Down in the city just Hoople 'n' me

 という箇所があり、モット・ザ・フープルへの敬意が込められている。

なお、映画で使われている「Bohemian Rhapsody」「Now I'm Here」のライヴ・シーンは衣装や照明から推測すると1977年~1978年ごろのステージを参考にしているようだ。

 

Love Of My Life

自宅に帰ったフレディはメアリーに「Love Of My Life」を観客が一緒に歌ってくれているビデオを見せる。
このシーンに使われている音源は1985年1月18日の『Rock in Rio』のもの。時系列から言えば未来の映像となる。


この曲がライヴで演奏される際は、ブライアンのアコースティック・ギターのみの伴奏で歌われる。クイーンはライヴでもめったにキーを変えないのだが、この曲は短三度低く演奏される。1977年の11月に始まったアメリカ・ツアーからライヴで披露されるようになった。
1979年の『Queen Live Killers』に収録されたバージョンは1979年2月2日のドイツ、フランクフルト公演のもので、6月29日にシングルカットされた。イギリスでは最高位63位だったが、アルゼンチンとブラジルのチャートで1位となっている。南米で特に人気が高い曲で『Rcok in Rio』では25万人の観客が一緒に歌ったという。

このシーンで描かれる、フレディがメアリーに”告白”をしたのは1976年だという。

 

Delilah

映画は、ヒゲを蓄え始めたフレディがロジャーに新居を案内するシーンに変わる。
実際にフレディがヒゲを生やしている姿になったのは1980年ごろから。

新居には猫のためのスペースがあり、猫の名前がいくつか発せられ、その中に「Delilah」という名前の猫がいることがわかる。ディライラは実際には1987年ごろから飼われている。

 

アルバム『Inuuendo』(イニュエンドゥ)(1991年)には「Delilah」(愛しきデライラ)という曲が収録されており、フレディの寵愛っぷりと、曲の後半に猫の鳴き声をギターで再現するブライアンのあくなき探求心が垣間見える。

Queen - Delilah - (Official Lyric Video) - YouTube

訳詞:http://www5f.biglobe.ne.jp/~lerxst21/queen/innuendo.html#delilah

映画をご覧になった方はわかると思うが、映画『ボヘミアン・ラプソディ』は効果的に、それも頻繁に、美麗な猫の姿と表情、愛情を感じられるシーンが随所にあり、ある意味で強力な猫映画でもある。

楽曲としては、ロジャーはこの曲をあまり気にいってないようである。


Crazy Little Thing Called Love

Crazy Little Thing Called Love - Wikipedia

訳詞:http://www5f.biglobe.ne.jp/~lerxst21/queen/game.html#crazylittle

映画ではパーティーのシーンに変わり、他のメンバーとの軋轢やギャップが描かれていく。フレディの服装は1985年のミュンヘンでの誕生日パーティーがモチーフとなっている。

Freddie Mercury's birthday party in Munich 1985 - YouTube

0:40あたりからパーティーの様子が映像として残っているが、ブライアンも楽しそうに参加しているのがわかる。

 

また1978年の『Jazz』のリリース・パーティでも、同様のパーティをアメリカで開催している。

 

さて「Crazy Little Thing Called Love」(愛という名の欲望)はアルバム『The Game』(1980年)に収録されているが、これはのちに収録されたという表現が正しく、シングルとして1979年10月にリリースされている。

年代順に少し整理をすると、

  • 1979年4月 3度目の日本公演
  • 1979年6月 『Live Killers』からのシングル「Love of My Life」発売
  • 1979年6月 アルバム『The Game』のための製作開始
  • 1979年10月 シングル「Crazy Little Thing Called Love」発売

当時のほとんどのクイーン・ファンがこのサウンドの変化に驚いたが、アメリカでは好意的に受け取られ「Bohemian Rhapsody」も「We Are The Champions」も成しえなかった全米1位を獲得する。

1980年1月には「Save Me」、5月には「Play The Game」がシングルとして発売され、アルバム『The Game』は6月に発売された。
今までクイーンはシングルはあくまでアルバムが完成してからどれにするかを決めるやり方を取ってきたため、このリリース順も大きな変化となった。

この曲は風呂に入っているときにできた曲だとフレディは語っており、映画の中でもそのシーンは撮影されたが、今回のバージョンではカットされている。

Live Aidでも演奏されているが、そのシーンも映画ではカットされている。こちらも実際には撮影がされている。

また 1975年から息子であるショーンの子育てに専念し、ハウス・ハズバンドとして生活してきたジョン・レノンがまた音楽を作ろうと思ったきっかけになった曲ともいわれている。

なお、続くシーンでジム・ハットンとの出会いがあるが、二人が出会ったのは1984年である。


We Will Rock You

We Will Rock You - Wikipedia

Queen - We Will Rock You (Official Video) - YouTube

訳詞:http://www5f.biglobe.ne.jp/~lerxst21/queen/news.html#Rockyou


We Will Rock You」は1977年10月にアルバム『News Of The World』(世界に捧ぐ)からの先行シングルとして「We Are The Champions」(伝説のチャンピオン)との両A面でリリースされた。

1977年1月から始まった『A Day At The Races』(華麗なるレース)に伴うツアーで5月29日のビングレー・ホールのでコンサートの後、

Bingley Hall - Wikipedia

観客が(サッカー・チームの)リヴァプールFCのサポーターソングである「You'll Never Walk Alone」をアンコール前に大合唱した。それに感銘を受けたブライアンは観客と一体になれる曲を作ろうと思い立つ。
Stomp,Stomp,Clap(休符)によって成る単純なビートで構成されるこの曲は、後半にブライアンのギターが入ってくる。最後の3回のフレーズは全く同一でひとつのフレーズをループさせている。

ライブではFast Versionがあり、コンサートのオープニングで演奏されることが多かった。

Queen - We Will Rock You (Fast) - Live at Montreal - YouTube

Live Aidでもこの曲は演奏されているが、映画ではカットされている。

 

映画と史実の時系列における強力な違和感として、「News of The World」の時期に、フレディはヒゲを生やしていないということが挙げられる。

 

ここまでのまとめ

  • 4枚目のアルバムのためのミーティング(1975-5~?)→1975年5月時点ではミーティングにはジョン・リードもジム・ビーチも参加できない
  • Bohemian Rhapsody」と「Now I'm Here」の演奏シーン→衣装などから1977~8年がモチーフ
  • 「Love Of My Life」大合唱と告白(1976年?)→大合唱は1985年の音源
  • ヒゲ→1980年ごろ
  • パーティ→1985年のパーティがモチーフ
  • ジムと出会う→1984年に出会っている
  • We Will Rock You」がどんどんぱん→1977年(フレディはヒゲなし)。

 

気が向いたらその3へ続く