Racco

ウィキペディアのこととか。

映画『ボヘミアン・ラプソディ』を見終わった人へのガイドみたいなもの その1

映画を見てから読んでくださるほうが良いと思います。
ネタバレを多く含みます。


追記:これを書いていた時点で知られていなかった事実が判明したため、2019年1月11日に訂正記事を書きました。併せてお読みください。

映画『ボヘミアン・ラプソディ』の評価を訂正します。 - Racco



 初めに

映画のパンフレットにブライアン・メイ自身が

「これは伝記映画ではなく、硬い岩から掘り出されたような、純粋なアートだ。(中略)誰にとっても共感できるような物語として描かれている」

と書いている通り、宣伝文句や紹介のされ方はどうあれ、この映画はブライアンとしては伝記映画という位置づけではないようだ。


多くの批評で「史実と異なる部分がある」と書かれているが、野暮を承知で「史実、あるいは史実とされて伝えられていること」とこの映画の内容を比較してみようと思う。

 

コアなファンならずとも、クイーンに関しては一家言を持つ人々に取っては、いろいろ言いたいことが満載な映画だということはよくわかる。

ベスト・アルバムになんであの曲が入っていないのか、という思いに近い感情がこぼれ出すのもやむを得ない。それだけクイーンは多種多様な魅力があるということだ。

 

個人的には、『フレディが(若くして)45歳で亡くなったとしても、その出自や生い立ちやセクシュアリティや性格がどうであっても、クイーンの創り出した音楽そのものが偉大なのであって、死んで、伝説で、すごいってわけではない』というスタンスなので、映画ならではの演出や物語としての強調やクローズアップする部分は理解している。

 

あえて言うなら、フレディの生い立ちや出自やセクシュアリティを楽曲と結びつけて考えたり、分析したくなったりするのは、ひとりひとりのファンや批評家や映画のような作品にする時には仕方がないことで、恐らくフレディ自身からすれば『自分が何者であるかは関係ない、ただ楽しんでくれ』だと思う。

 

映画を見たあなた。

いくらあなたがクイーンに詳しくて、映画の設定やちょっとしたことに違和感を覚えたとしても、映画館の大きな音でさんざん聞いてきたクイーンの楽曲が流れてきただけで、胸の奥が熱くなったはず。

 

何よりも凄いのは、楽曲のちから。

 

さて。楽曲の素晴らしさはもちろんのこと、この映画の素晴らしさを踏まえたうえで、もうちょっとクイーンのことを知ろうと思ったときに、この文章が参考になればいいなと思う。

 

 

それでは  はじまりはじまり。

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20century Fox Fanfare

お馴染みの絵が映し出される。

f:id:RaccoWikipedia:20181120140148j:image

流れてくる曲はお馴染みだが、いつものオーケストラではなく、ブライアンによるレッド・スペシャルのサウンドで奏でられるギター・オーケストレーションによるバージョン。

Red Special - Wikipedia

ブライアンのギターによるイギリス国歌『God Save the Queen』はこちら。

Queen - God Save The Queen [Instrumental] (Official Montage Video) - YouTube

『A Night At The Opera』(オペラ座の夜)の「ボヘミアン・ラプソディ」の後に収められている。

 

こういったスタジオでのギターの多重録音に使われていたアンプは『Deacy Amp』(ディーキー・アンプ)と呼ばれていた。

大学で電子工学を学んだジョン・ディーコンが作ったものだからである。

 Deacy Amp - Wikipedia

Somebody To Love

映画の本編はフレディが咳をしながら起き上がるシーンから始まる。

1985年のライヴ・エイドの朝という設定だ。

最初に流れる曲はクイーンの5枚目のアルバム『A Day At The Races』(華麗なるレース:1977年)のB面の1曲目に収録されている「Somebody To Love」(愛にすべてを)。1976年の暮れに先行シングル・カットされた曲である。

誰か、愛する人を見つけて欲しい・・

毎日、起きるたびに少しずつ、(心が)死んでいくような気分がする

(by Sarie)

訳詞:http://www5f.biglobe.ne.jp/~lerxst21/queen/race.html#Somebody

ビデオ:Queen - Somebody To Love (Official Video) - YouTube

映画の後半では、このライヴ・エイドの日に「愛する人を見つける」ストーリーになっていることと、咳をしている、つまり健康状態が思わしくないことを示していることから、冒頭のシーンにはこの曲が選ばれたのかもしれない。 

映画のストーリーは後半にこの日に戻るので、史実との比較は後述する。

 

ステージへと向かうシーンで入れ替わりで階段から降りてきて、右側にすれ違うのは、衣装から推測するにU2 である。

U2 - Bad (Live Aid 1985) - YouTube

U2は実際のライヴ・エイドではクイーンのふたつ前の出番だった。

 

Doing All Right

ブライアン・メイがインペリアル・カレッジの伝言板でバンド・メンバーの募集を掲示し、最初にティム・スタッフェル(ベース&ヴォーカル)、そしてロジャー・テイラーが加わったことでSmileは形になった。1968年のことである。

 

映画ではティムが脱退した日にフレディと出会っていることになっているが、史実としてはティムはフレディと同じイーリング・アート・カレッジに在学しており、むしろブライアンやロジャーよりも先にフレディと知り合っているようだ。フレディはSmileを気に入っており、いろいろなアイディアを出したり、励ましたりしていた。

 

近年になりメアリーとブライアンは旧知の中であるという話がブライアン本人から語られ、フレディはブライアンを介してメアリーと出会った。メアリー自身によれば1969年だったという。

 

同じ1969年。ティム、ブライアン、ロジャーの3人からなるSmileは、アメリカのみで発売されたシングルの2曲を含めトライデント・スタジオで少なくとも6曲のレコーディングをしており、

Smile - Gettin' Smile - Full album (Japanese Edition) - YouTube

1982年に日本で6曲入りLPが「Gettin' Smile」というタイトルで発売されている。

その中の1曲が「Doing All Right」(Doin' Alrightなどの表記もある)であり、この曲はのちにクイーンのファースト・アルバムにも収録される。

訳詞:http://www5f.biglobe.ne.jp/~lerxst21/queen/debutq.html#Doing

映画のサントラに入っている「Doing All Right」はこれが恐らく初出である。もともとあった音源をもとに作り直したようにも聞こえる。

 

1970年3月に、ティムはHumpy Bongに参加するためにSmileを脱退。
残されたブライアンとロジャーは4月からフレディと活動を始める。この頃からフレディ・マーキュリーを名乗り始める。

 

フレディがメアリーが勤める店BIBAに行くシーンでクリームの「Sunshine of Your Love」(サンシャイン・ラブ)が流れている。

Sunshine of Your Love - Wikipedia

Smileのころブライアンはクリームのギタリストであるエリック・クラプトンに強い影響を受けており、ドラマーの募集広告には「(クリームの)ジンジャー・ベイカーみたいなタイプのドラマー」と書いていた。前述の「Gettin' Smile」に収録されている「Blag」という、のちの「Brighton Rock」の原型ともいえる曲では、ロジャーはまさにジンジャー・ベイカーのようなアプローチでドラムをプレイしている。

 

Keep Yourself Alive

訳詞:http://www5f.biglobe.ne.jp/~lerxst21/queen/debutq.html#Keepalive

映画では、フレディとジョン・ディーコンが加わった形でのライブのシーンに続く。バンド名は明示されていないが、ここではSmileとしてのステージという体裁だろう。

クイーンというバンド名についてメアリーとの会話があるのは後のシーンとなる。

 実際には、クイーンというバンド名になったのは1970年の6月であり、その間ベーシストは何人か入れ替わり、フィットしたベーシストが見つかるまで苦労していた。ジョンは7人目ともいわれている(名前が判明しているベーシストはジョンの他に4名)。

 

1971年2月、既にクイーンと名乗って活動していたバンドにジョンが加入する。ディスコで共通の友人に紹介されたとも、クイーンと名乗って2度目のコンサートにジョンが観客としてきていたとも言われ、オーディションを経ての加入だった。

 

映画で演奏されている「Keep Yourself Alive」(炎のロックンロール)はクイーンのファースト・アルバムの1曲目に収録されることになる曲で、最初のシングル。

Keep Yourself Alive - Wikipedia

映画に使われている音源は、1974年3月のレインボー・シアターでのライヴのもの。

http://www.queenconcerts.com/inc/tickets/1974-03-31.jpg

映画で、フレディはマイクの扱いに四苦八苦している様子が見て取れるが、ブームスタンドのマイクのブーム部分だけを外して歌うパフォーマンスの誕生という意味合いのシーンだろうと思われる。

車が故障したシーン。このころはロジャーの地元であるTruroでライヴを行うことが多く「ロジャー・テイラー&クイーン」名義での開催もあったと伝えられている。PAが会場に到着したのが開始寸前だったというエピソードが載っている資料もあるが、いつ、どこでかは定かではない。実際に車が故障したことがあったのかもしれない。

 

映画では、車を売ってアルバム作成の費用にしようとフレディが持ち掛ける。
史実では1971年にデ・レーン・リー・スタジオで5曲入りのデモテープを制作(Keep Yourself Alive, The Night Comes Down, Great King Rat, Jesus, Liar)。1972年11月、トライデント・スタジオとの契約で誰も使っていない時間帯にスタジオを使い、アルバムのための曲がレコーディングされた。トライデントに曲の権利を渡す代わりに契約金をもらい、EMIとのレコード契約を得る。

 

The Seven Seas Of Rhye

レコーディングのシーンは「The Seven Seas Of Rhye」(輝ける7つの海)の制作現場となっている。実際には歌が入っているこの曲はセカンド・アルバム『Queen Ⅱ』(クイーン Ⅱ)に収録されており、ファースト・アルバム『Queen』(戦慄の王女)の段階では歌が入っていないバージョンである。

Seven Seas of Rhye - Wikipedia

訳詞:http://www5f.biglobe.ne.jp/~lerxst21/queen/queen2.html#Sevenseas

曲名を発売当初の形で正確に表記するならば、ファースト・アルバムのほうは「Seven Seas Of Rhye...」とレコードジャケットに記載されており、セカンド・アルバムでは「The Seven Seas Of Rhye」と記載されている。このことからこのシーンでは歌が入っているので「The」をつけた表記で曲名を示す。

タイトルに入っている「Rhye」という単語はフレディの造語で、架空の国の名前である。この単語は「Lily of the Valley」(谷間の百合)(『Sheer Heart Attack』収録 1974年)にも登場し”King of Rhye”と書かれていることから”王国”であることがわかる。

2012年ごろから活動を始めたRhyeという名前のデュオ・グループがあるが、そこでは「ライ」とカタカナが振られている。

Rhye | Hostess Entertainment Unlimited

 

レコーディング・シーンでのアイディアの数々や完璧主義振りは、伝えられている話に近く、ジョンとともにミキサー卓の前に座っているのはロイ・トーマス・ベイカーだと思われる。

「変な学生バンド」というセリフがあるが、ブライアンとジョンは勉学を続けており、ロジャーとフレディは古着屋を続けていた。

フレディがクイーンのネーム・ロゴと、4人の星座を象ったマークをデザインしたのは1971年と伝えられている。
このあたり、クイーンと名付けた時期などは、映画と史実の時系列が大きく異なっている。

ベッドで「Bohemian Rhapsody」(ボヘミアン・ラプソディ)を逆さ向きで弾くシーンがあるが、このフレーズがこの時からあったかどうかは定かではない。

 

Lazing On A Sunday Afternoon

映画では「フレディ・マーキュリー」と改名してことを父親に告げるシーンで、ハッピー・バースデー・トゥー・ミーとピアノで弾いた後に「Lazing On A Sunday Afternoon」(うつろな日曜日)がワンフレーズ歌われる。

Lazing on a Sunday Afternoon - Wikipedia

4枚目のアルバム『A Night At The Opera』(オペラ座の夜)の2曲目に収録されている曲。
訳詞:http://www5f.biglobe.ne.jp/~lerxst21/queen/opera.html#Lazysunday

この曲はサウンドトラックに入っていないので、トリビアを書いておく。

 

クイーンの曲と呼べる作品(フラッシュ・ゴードンの収録曲や、メイド・イン・ヘヴンのyeahなどを除く)の中では最も短い曲のひとつで、サード・アルバム『Sheer Heart Attack』(シアー・ハート・アタック)に収録されている「Dear Friends」とほぼ同じくらいの1分07秒である。

 

曲調はボードビルであり、フレディにとってのさまざまな音楽的ルーツのひとつが表れている。

初期には「Bring Back That Leroy Brown」(『Sheer Heart Attack』)や「Seaside Rendezvous」(『A Night At The Opera』)など、どこかコミカルなテイストの曲がいくつか入っていた。

Seaside Rendezvous - Wikipedia

 

オリジナル音源をよく聞くと、ピアノのイントロの2小節めの後、レコーディングのテープをカットして繋いであることがわかり、元々のイントロはもう少し長かった可能性がある。

この曲の歌詞は1週間形式で、水曜日に自転車に乗っていることから、自転車のベルの音が入っている。つまり「クイーンの曲で、自転車のベルの音が入っている曲と言えば・・・Bicycle Raceともう一曲は何でしょう?」というクイズが出せる。

 

・・・さて、映画ではこのシーンでEMIからの電話でジョン・リードとのマネジメント契約にこぎつけてめでたくデビューとなる。

 

実際にはだいぶ後の1975年の8月にリードとの契約がされている。史実ではトライデントとの契約がなかなか解消ができず、サード・アルバムである『Sheer Heart Attack』まではその契約から、バンドにほとんど金が入ってこない状態が続いた。ジョンもブライアンもこの頃までは学校の先生としても稼いでいたという。

 

同アルバム収録の「Flick Of The Wrist」はその契約の酷さと苦悩と恨みについて歌ったものであり、

Flick of the Wrist - Wikipedia

訳詞:http://www5f.biglobe.ne.jp/~lerxst21/queen/sheer.html#Flick

「A Night At The Opera」に収録された「Death On Two Legs (Dedicated to...)」も同様だと言われている。

Death on Two Legs (Dedicated to...) - Wikipedia

訳詞:http://www5f.biglobe.ne.jp/~lerxst21/queen/opera.html#Deathon

おそらく、トライデントとのことは映画に含めたくなかったのだろうと思われる。

 

Killer Queen

イギリスの音楽番組『Top of the Pops』の出演シーンへと映画は進む。

演奏される曲は『Killer Queen』。

Killer Queen - Wikipedia

訳詞:http://www5f.biglobe.ne.jp/~lerxst21/queen/sheer.html#Killerq

後にブライアン・メイが『この曲がターニングポイントだった』と発言している曲である。

映画では、初めての出演で口パクであることに戸惑っている様子が描かれている。フレディの衣装や使っている楽器からすると、1974年の12月27日出演時の様子を参考にしていると思われる。

 

史実としては、この時の『Killer Queen』がTop of the Popsの初出演ではなく、それ以前にクイーンは1974年2月21日に『The Seven Seas of Rhye』で出演している。

 

この頃はテレビ出演が多いのだが、口パク(mimedと表現されることもある)によるものがほとんどで、普段使わない楽器を演奏している振りをしていることが、資料的価値として残っている。ブライアンはフェンダーストラトキャスター、ジョンはフェンダージャズ・ベースリッケンバッカーなどを使用している画像が残っている。また初期のツアーではブライアンがレス・ポールを使っている画像もある。

 

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Fat Bottomed Girls

映画での次のシーンは、メアリーにフレディがプロポーズするシーンである。
メアリー自身が語ったことによれば1973年にフレディはメアリーにプロポーズしている。正式な結婚という形にはならなかったが、フレディはそう望んでいたことは確かなようだ。

バンドのメンバーたちがぶしつけにフレディの家に乱入し、アメリカ・ツアーが決まったと告げる。映画の構成上しかたがなかったかもしれないが、クイーンというバンドにおいてメンバーの誰かが知らないうちに、(たとえ電話に出なかったとしても)ましてフレディ抜きでツアーが決定することはないであろうし、他の3人のメンバーがどやどやと部屋に入ってくることも恐らくしないように思うので、このシーンは少し違和感があるが、とにかくアメリカ・ツアーに話は続く。

実際のクイーンは1974年の4月から5月にかけて初のアメリカ・ツアーを行う。とはいってもヘッドライナーや単独ではなく、モット・ザ・フープルのオープニング・アクトとしてのものだった。

モット・ザ・フープルはイギリスのバンドで、1972年にデビット・ボウイが作曲した『All The Young Dudes』(すべての若き野郎ども)をヒットさせた。

All the Young Dudes - Wikipedia
この曲は1992年の「フレディ・マーキュリー追悼コンサート」において、ブライアン、ロジャー、ジョンの3人と、作曲者のデヴィッド・ボウイモット・ザ・フープルのメンバーだったイアン・ハンターとミック・ロンソン、デフ・レパードのフィル・コリン、ジョー・エリオットらによって演奏されている。

さて、アメリカ・ツアーのシーンでは「Fat Bottomed Girls」が流れている。

訳詞:http://www5f.biglobe.ne.jp/~lerxst21/queen/jazz.html#Fatbottomed

Fat Bottomed Girls - Wikipedia


この曲はアルバム単位では1978年発売の『Jazz』に収録されている曲で、クイーンが実際のこの曲をアメリカではじめて演奏したのは1978年の10月28日のダラス公演でのことである。
映画では1974年ごろのことを描いているので、実に4年ほどの時系列の開きがあるが、歌詞の内容がツアー・ソングであることによるものと思われる。

この曲についてのトリビア

キーがDであり、ツアーで演奏するときは6弦をEからDに落とす、ドロップDチューニングを使用する。クイーンの曲の中でドロップDを使用する曲は「The Prophet's Song」(予言者の歌)や「White Man」がある。
映画に使われているバージョンは1979年2月27日のパリでのライブ・バージョン。2月27日から3月1日までの三日間のライブはすべて録画されたが、正式発売には至っていない。動画としてYouTubeで閲覧できるのは、サウンドトラックに収録された日のものではない。

Queen Live In Paris 1979 Fat Bottomed Girls.mpg - YouTube

0:21あたりをよく聴いてみて欲しい。6弦をEからDに落としてチューニングしているのがわかる。

この曲は「Bicycle Race」とともに両A面シングルとしてリリースされた。 

2002年にキリンジがアルバム「Omnibus」でカバーしており、個人的にはとても秀逸なカバーであると思う。

Fat Bottomed Girls キリンジ - YouTube

ここまでのまとめ

映画の時系列
  • Smileからティム脱退
  • フレディとメアリーが出会う
  • ブライアン、ロジャーとフレディが出会う
  • ジョンを加えた4人でライヴを行う
  • 車を売った金でレコーディングを行う
  • 「The Seven Seas Of Rhye」のレコーディング中にEMIのA&Rが来る
  • フレディがロゴをデザイン。クイーンと名付ける
  • ジョン・リードとマネジメント契約
  • Top of the Popsに「Killer Queen」で初出演
  • 初のアメリカ・ツアーで「Fat Bottomed Girls」を演奏

 

史実とされている時系列
  • ティムとフレディ知り合う
  • Smileとフレディが知り合う
  • フレディとメアリーが出会う
  • Smileからティム脱退
  • フレディとブライアンとロジャーとベーシストでSmile継続
  • クイーンにバンド名変更
  • ジョン加入
  • デモテープを作る
  • トライデントと契約
  • Top of the Popsに「The Seven Seas of Rhye」で初出演
  • 初のアメリカ・ツアーでは「Fat Bottomed Girls」は演奏されていない

 

ここまで長くなるとは思っていなかったので、気が向いたらその2へ続く