Racco

ウィキペディアのこととか。

【田中未知さんとお話をした】

ここまでの長いおさらい。

 このブログでは4回にわたって経緯を書いてきた。

第2回wikipediaブンガク in 神奈川近代文学館
高尾霊園を訪れる
【快挙!】

【とても素敵な出会い】


さて、ちゃんと記録を追っていくと、7/22にメッセンジャーで「Wikipediaブンガク」の打ち合わせを田子さんとしている時に、神奈川近代文学館での『寺山修司展』の編集委員の一人である『田中未知』さんの名前が挙がった。

 

もう少し細かく言うと、編集イベントを行うにあたり、寺山修司関連で
「記事があっても良いのに作られていないもの」
「記事はあるが内容が薄いもの」
「出典があまりついていないもの」
など、2人で打ち合わせる中で、田子さんが「記事があっても良いのに作られていないもの」候補として『田中未知』を挙げた。


他の編集委員である、三浦雅士祖父江慎の記事は、すでにウィキペディアにあった。

 

私は寺山修司の仕事の方に心を奪われていて『毛皮のマリー』は書かれていてしかるべきだと考えていて、展覧会に携わっている人物には無関心だった。

 

9/30の、田子さんとの現地での事前打ち合わせの時、神奈川近代文学館の藤野さんが『イベント前日の10/7(日)には朗読とトークショーのイベントがあって、俳優の三上博史さんと、田中未知さんがお見えになります』と教えてくれた。

藤野さんは『田中さんは、寺山が亡くなるまで公私にわたるパートナーだった』と教えてくれた。

 

家に帰って、イベント用のスライドに新規作成対象として、私は『田中未知』を加えた。

 

イベント当日。

自由に編集しても、新規作成しても、加筆しても、出典補完しても、なんでもOK。それぞれやりたいことを選んで構わない。と私は参加者の皆さんに話した。その際の対象の大まかなリストをスライドに映した。そのあと展覧会を見てもらって、編集となる。

 

さえぼーさんの到着を館外で待って、入場券を渡して、展覧会の会場に進んだ。
周りの迷惑にならないように、さえぼーさんをいろんな人に紹介していると、ちょうど部屋と部屋の間の通路に、のりまきさん、伊達さん、逃亡者さんなどが集まるでもなく集まっていた。
壁に貼られた展覧会の解説リストを眺めながら、逃亡者さんは「今日何を書こうか」と考えていた。

 

『田中未知』にしようかな。でも、人物は難しいんだよな、とか言っていたと思う。
そこで私は先日身につけた知識を得意気に披露した。この方は寺山修司のマネージャー的な存在であり、公私にわたるパートナーで、ご存命であること。昨日この館でトークショーと朗読のイベントで来ていたこと。

 

逃亡者さんは存命であることを知ると、少し迷ったように見えた。
ウィキペディアでは存命人物の記事はセンシティブで難しいと、ベテラン編集者なら思うだろう。

 

逃亡者さんの心の中で何が動いたのかわからないが、結果的に逃亡者さんは新規記事作成対象として『田中未知』を選んだ。

 

ここからは少し駆け足で記す。

イベント後に私は寺山修司の墓を訪ね、戒名が彫られているのを確認した。墓や戒名はないと記された資料があり生前の寺山もそう言っていたそうだ。

この日『寺山修司展はとても素敵だ』という旨のツイートをしたところ、田中未知さん本人にリツイートされた。
私は寺山修司関連の疑問点がある、とりわけ戒名のことを知りたいと田中未知さんにダイレクトメッセージを送った。
作成された『田中未知』の記事は新着記事に選ばれた。

 

ここまでがおさらい。

ここからが続き。

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そして、実際に田中未知さんにお目にかかってお話を聞くことになった。

 

Twitterで相互フォローをさせて頂き、ダイレクトメッセージで何度かやり取りを繰り返した。田中さんはこの形で色々答えることにどうも乗り気でないようだった。何度かのやり取りのあと『11/3に神奈川近代文学館で映画の上演会とトークショーがあるから、そのあと15:30くらいからなら』ということになった。

 

私はイベントの主催者である田子さんにこの話をし、神奈川近代文学館の藤野さんに話を通さなければと思った。幸いにも藤野さんはとても親切にして下さり、映画のチケットまで確保してくださった。
上演される映画は寺山修司監督の『草迷宮』と田中未知監督の『質問』。

 

『質問』という映画はとても短い作品で、田中さんが投げかける(声は別の方)質問に寺山修司が答えると言うだけの構成になっている。

 

「行く道と帰り道とどちらが好きですか」

――「好き嫌いを問わず、帰り道っていうのを通ったことは一度もない。生まれてからずーっと行きっぱなしだという、そういう風に思っています」(寺山修司)(『質問』より)

 

 

こういった質問に淡々と、鋭く、おどけて、答える寺山修司の姿を見ることができる。

『質問』というタイトルの著書もある。1ページにひとつずつの質問が書かれている本。田中未知という人はそういう人だ。

その人に質問をする機会を得た。
執筆者である逃亡者さんと、主催者の田子さんに、会えることになったと知らせるのはいいとして、第三者的にこの出来事を記録してくれる人がいたほうがいいと考えた。
文芸評論家・編集者である「マガジン航」の仲俣さんに連絡を取り、事情を話し、同行していただくことになった。

本来であれば「Wikipediaブンガク」に参加した方全員に事前にお話をして、というのが筋かと思ったのだが、失礼を承知で言えば田中さんは73歳で、オランダに在住の方がこの展覧会の期間中、日本に滞在していて、2本の映画の上映会のあと、1時間のトークイベントの進行役を務め、そのあとの著書のサイン会が終わってからの時間をいただくことになっているので、たくさんの人間が押しかけて会えなくなってしまうよりも、確実にお話を伺えることを優先して、4人で臨むことにした。

11/3。
映画を鑑賞し、仲俣さんは著書にサインをもらい、終わるのをロビーで待っていると、田中さんがお友達二人とこちらにやってきて「私ね、この方たち(つまりウィキペディアの連中)に話があるの」と言った。

私は少し面食らったが、少しでも長くお話しできる時間が欲しいととっさに思い「もしよろしければお友達お二人もご同席いただいて、お話を伺えればと思います」と言った。
ふたりのご友人は、昔からのお友達の画家の山崎泰子さんと、『質問』の編集を担当した梅森妙さん。
堅苦しく、質問攻めのような形になるよりも、和気あいあいと談笑をするようにお話ができたら、と私は考えた。

結局のところ、「ノー残業デー」の閉館時間が来るまで、1時間20分にわたってお話を聞くことができた。
お墓のこと、戒名のこと、天井桟敷での日々、田中さん自身の素養や経歴、寺山修司にまつわる巷間伝えられている事柄と事実の違い・・・。
ワグナーと名付けられた犬のこと。

 
この日のお話の内容は、もしかしたら仲俣さんの「マガジン航」に掲載されるかもしれない。

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不思議なことがいくつかあった。
仲俣さんが「寺山修司展に行きたい」とFacebookで書いていたこと。
私はそれを見て招待券をお送りしたこと。
(実はほとんど面識がない)
存命人物記事に躊躇していた逃亡者さんが、イベントの日まで存在すら知らなかった田中未知という人物の記事を書こうと思ったこと。
田子さんの図書館に、田中さんの著書である『質問』があったこと。
私が寺山修司のお墓参りに行った日に、田中さんが私のツイートをリツイートしたこと。


起きたことを後から手繰り寄せて「偶然」「導き」と表現するのは陳腐なことかもしれない。でも、田子さんは図書館で『質問』を見つけたときに「呼ばれている」と感じたという。

映画『質問』にはこんな質問があった。

数字に色はありますか?
ーー6は緑色。5は黄色。4は青。3は赤。2は黒。1は白。

地図にない島の名前を知っていますか?

ーーシルバーシャークテスコボーイノーザンテースト

 

 田子さんと私は、笑った。