きっかけはこのふたつのツイート。
浅草の工事現場で、「十二階」こと凌雲閣の土台遺構が発掘されたと新聞で知った。これまで幾度か浅草に行っては「大体ここら辺に在った」程度しか判らなかった本当の所在地(資料によって曖昧だった)がついに判明した事になる。 pic.twitter.com/IbT3wV18ZR
— 小中千昭 Chiaki J. Konaka (@yamaki_nyx) 2018年2月11日
浅草二丁目の工事現場で、浅草十二階こと凌雲閣のレンガ基礎が見つかったと聞いて取材。綺麗なレンガ、そしてイギリス積み。 pic.twitter.com/qfjLDyRWyz
— 白土晴一 (@manetoke) 2018年2月11日
そして新聞記事。
www.tokyo-np.co.jp
このあたりが参考動画。
凌雲閣(浅草十二階)の残骸は陸軍によって爆破処理されたが、その様子は京都大学大学院工学部がデジタル化したフィルム『実写 関東地方大震災』で見られる。1度目の爆破が失敗して片側だけ残ってしまったところ、記念に爆破後の瓦礫に登る人々などが写っている。 pic.twitter.com/EAJmjIqqpL
— 海水 (@aquaarbor) 2018年2月12日
貴重なものには違いない。
基礎のラインがとても分かりやすいのはこちらのツイートにある画像。
浅草十二階(凌雲閣)の遺構らしきものが出土した‼️ pic.twitter.com/OD89ZsE9Rz
— Suwa Nobuyuki (@palmtokyo) 2018年2月9日
2018年2月13日の朝。仕事で浅草近くまで行くので、一時間ほど早めに家を出てスマホで撮影しようと思い立った。新聞記事によれば、工事はそのまま進められ、保存されることはないそうだ。すると工事が再開されて破壊される前に撮影しなければ二度と見られないし、基礎工事で開口している現場は普通に考えればすぐに仮囲いが復活するだろう。そうすればもう撮影はできない。
あとでツイートした通り、いろいろな人がこの件に興味をもって撮影をするだろう。その中の誰かがウィキメディア・コモンズなどにアップロードしてくれるならば、記録として残っていくだろう。報道で使われた写真も残るだろうけれども、ネットニュースはいつの間にかアクセスができなくなってることもよくある。自由に使えるような形で残しておくことは必要。
だから、ダメもとでも、とにかく現場に行こうと思った。自分が撮影できればそれに越したことはない。
現場につくと、現場の親方らしき人が誰かと話をしている。話が切れたところで恐る恐る声をかけ、レンガ部分を撮影していいですかと許可を得る。快諾を得る。
親方と話をしていた人物がこっちを向いた。見覚えがある顔である。
凌雲閣の基礎が見つかったとのことで写真を撮ってきた。
— 海獺 (@Racco_Wiki) 2018年2月13日
ALFEEの坂崎幸之助さんがいらした。気さくな良い方でした😆 pic.twitter.com/b80zWWdvEE
あとで知ったが、坂崎氏は凌雲閣マニアだそうだ。
坂崎氏にも写真を撮ってよいかと尋ねた。快諾をいただいた。
後日談。この時について坂崎氏は自身がパーソナリティを務めるラジオで言及してくださったそうで、ウィキペディアの凌雲閣の記事に使われている画像に、坂崎氏の脚が写りこんでいることにも触れてくださった。
さて、当日の様子。
他の方の前日までのツイートで見た現場とは、少し違い、基礎のコンクリート部分の一部がすでに斫(はつ)られていた。
この日、私が現場を離れてすぐの時間帯に(私が訪ねたのは工事現場のいわゆる一服の時間である午前10時過ぎ)希望者にレンガを配っていたそうだ。
大正ロマン。と言えるものだと思う。
ウィキペディアの編集イベントでもそうだが、その時に記録しておかないと、取り返しのつかなくなるものは確かにあって、自分の人生の中で凌雲閣というものがあってもなくても大差はないかもしれないが、自分が撮影しアップしておくことで、誰かの知識が一つだけでも増えるかもしれない。
坂崎さんが持っていたカメラは、オリンパスのOM-Dだった。
貴重なものを撮影するときに、良い機材で鮮明に残していくことも重要な要素ではあると思う。
でも、その対象を撮影できるチャンスには、機材は選ばなくていいと思う。
私がこれまでウィキペディアにアップした画像はいくつかあるけれども、スペイン語版、ロシア語版、中国語版でも使っていただいているこのヒガンバナの画像は、ガラケーで近所を散歩しているときに撮影したものだ。
記録とはそういうものだろうと思う。
街を歩いていて、見慣れた通りの景色の中、更地になっていたり、工事が始まっている場所を見たとき、ここに何があったか思い出せないことはないだろうか。
古くからの友人と地元のことを話しているとき、あの場所はもともと何があったのかを思い出せないことはないだろうか。
地域をアーカイブしていくという行為は、その瞬間しかできない行為なのだなと改めて思う。
さて、現地に撮影しに行ったよというツイートに対してはこんなうれしい反応もあった。
こういう方が居るお陰で充実していくんだな…ありがたいこと https://t.co/3eY7ypDOSa
— 綿100%@左道雪風 (@men_100) 2018年2月13日
帰宅して、画像をウィキペディアにアップ。
凌雲閣 - Wikipedia
右上のわずかに見える赤い靴ひもの方が、坂崎氏。
歌川国貞による絵はまだアップされていないようだし、
まだまだ、加筆の余地がありそうな題材だと思うけれど、今はこれでちょっと満足。
あまり偉そうに書いてしまうのもアレなんだけども、これを読んだ人たちが、記録を残すことは必要だと感じてくれて、いろいろな貴重な画像を(もちろん肖像権とか著作権とかに配慮されているものです)ウィキメディア・コモンズにアップしてくれるようになるといいなと思う。
2/15追記
浅草観光連盟 事務局の方のツイート。
本日凌雲閣遺構の対象地の所有者兼事業主さんから連絡いただきました。
— 飯島邦夫 (@asakusakumasan) 2018年2月14日
台東区(生涯学習課文化財担当)と相談されているとのことです。出土したレンガ、コンクリートを台東区へ寄贈、記念碑を設置する方向で調整しているとのことです。 #凌雲閣 #浅草 #十二階 pic.twitter.com/47zy1l8O7x
今回、たくさんの人がレンガをもらっているという話をツイッターで多く目にした。
凌雲閣のレンガについてちょっと思ったことを書きますね。
— ナカネくん (@u_saku_n) 2018年2月13日
レンガを貰えてもちろん嬉しいのですが、あの現場から出た瞬間から "ただのレンガ" になってしまうと思うんです。つまり、凌雲閣のレンガと証明できません。このままだと後世に、凌雲閣のレンガを引き継げないことになるかと →#凌雲閣 pic.twitter.com/u8mJ2FPhdK
以前お会いしたLiam Wyattさんの座右の銘(?)は"Peace, Love & Metadata"というものだった。この言葉はかなり印象に残っていて、ある情報に対しての、それを説明する情報、付加されるデータというもの。
今回のレンガも、もらってきてそのままにしておけばただのレンガであり、由来はわからないことになる。それを撮影して、何月何日にこういう理由で手に入れた何々ですよという情報を付記して、現物と一緒に保管しておく。情報をアーカイブしていく上においてこれはとても大事なこと。
さてさて。
7月も注目。
凌雲閣のレンガ、隣の建物もレンガにそのまま乗っかってる感じ。近くの建物も7月頃から解体するのでそちらからの出土品にも注目 pic.twitter.com/NkyRPTF2Tt
— 打切△特急 (@keihanktokkyu) 2018年2月14日
いろいろなまとめ。
浅草十二階 凌雲閣の赤レンガ遺構(とみられるもの)を見てきた: 骨まで大洋ファンby革洋同
特にこの図がわかりやすい
デイリーポータルZさんは、高さにこだわり。
建物そのものについての資料
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4791758935/