WikipediaTown 沼津 ~沼津の古墳をデータ化しよう!#2~  6/3

WikipediaTown 沼津 ~沼津の古墳をデータ化しよう!#2~
らっこれぽーと。
 
沼津駅北口に8:30集合だよっ!
これはなかなかのハードルなのですが、お天気もいいので移動中にテンションが上がります。
前回は小田原からパスモで行ってしまい、沼津で「ピンポーン。係員のいる改札で・・・」と止められましたが熱海から先(?)はJRの区分が違うとかで交通系ICカードだとそのまま通れない模様。
 
 
時間より少し前に沼津駅に着くと、もうすでに笑顔がいつも素敵な主催者のNozomi Ichikawaさんが待っていてくれました。ここから会場までを車で送ってくださることになっています。
裾野市坪井 正人 (Masahito Tsuboi)さんもほどなくいらっしゃり、今回の講師の(ウィキペディア日本語版の管理者のひとりである)ハロワンドさんも到着。遠路京都から前泊ので参加のStroly 高橋さんも少し遅れて到着。早朝からホテルの自転車を借りて、Nozomiさんオススメのおいしい朝ごはんを堪能なさったようです。Code forの若手Shuta Kudoさんはもっと遅れるとのことで置いていきましょうということに。
 
 
一路「沼津市役所 金岡地区センター」へ。沼津駅の北側2Kmほどのところにあり、歩くと2~30分はかかってしまうので、車で快適移動です(バスもあるはずだけど)。
参加者は20人ほどかな。
ここで、Nozomiさん、市川 博之 (Hiroyuki Ichikawa)さん、によるイベントの趣旨説明と、ハロワンドさんによるウィキペディアウィキペディアタウンの説明、高橋徹さんの地図に関する説明があり、学芸員さんによる古墳の説明がありました。そうこうしているうちに10時。
本日はじめてお目にかかるウィキペディアン、創田季近さんからメッセージがあって「沼津市役所 金岡地区センター」の場所を聞いたら「沼津市役所」(駅の反対側の狩野川の向こう)に案内されてしまい少し遅れますと書いてあるので「もしわかんなくなったら泣いてください」と返信。めでたく10時少し前に着いて、合流。初めまして。
ウィキペディアの重鎮のりまきさんの姿が見えません。
(・_・ ) ( ・_・)キョロキョロ
 
 
さて、再び数台の車に分乗して(私はCodeForの髙木さんの車に、たかぎさんのぼっちゃんと、創田さんと一緒に乗せてもらい「清水柳北1号墳」へ。古墳のそのものについてはウィキペディアに出来上がった記事を見ていただくとして。
既に昨日レポートした通り、今回も学芸員さんが現地まで同行してくださって、学術的な背景から、公表されていること、研究結果としては未公表のこと、それに対する考察など、そこにいる人しか味わえない知的な情報がもたらされます。
工業団地開発に伴って移築されていることや、ウィキペディアでは記載できない類いの情報など(主に情報の合成となってしまうような見解)エピソードが多い古墳でした。
 
 
再び車で移動。次の場所は子ノ神古墳。
ウィキペディアの中の人のひとりとして、記事の題材という視線で対象を見るとき、どれくらいの特筆性があって、記事の文章量はどれくらいになるだろう、編集作業分担はどうすればいいのかななどと、考えながら現地調査の場所に赴きます。
ひとつめの「清水柳北1号墳」でも「北の他に南はある?」「1号のほかには2号3号はある」とか、そういっためちゃくちゃ単純な疑問点をつぶしていって、閲覧者が理解しやすくて他の関連情報に行きやすいような記述をイメージを膨らませていました。
 
 
この「子ノ神古墳」は、1956年に行われた近くにある長塚古墳の発掘調査の時に測量調査が行われ、1970年には沼津市の史跡に指定され、その後は1999年沼津市の遺跡発掘調査は本格的な発掘は行われず周溝が確認されるなどの簡易的なことしか行われていないようで、いわゆる未調査の遺跡。前方後円墳の(壊された? 崩れた?)前方部分跡には神社が建っているけれども、それもよくわからず。未調査なので年代の確定もなかなか難しくて、あっちにあるあの古墳と形状や規模が似ているなどの説からの推測しかできません。(教育委員会による記述もちょっとあてにならない面があるとかないとかむにゃむにゃ)
さて、ウィキペディアにどう書くか。
 
 
お昼ごはんは食べたいもので挙手をして(海鮮、洋食・・など)それぞれ車に分乗し、13:30に沼津市立図書館の4階で合流しましょうという流れ。
私の今回の最大の目的は海産物を食べることでもあるので、Nozomiさん、高橋さん、創田さんとともに、駅前の流れる(回るではなく)お寿司屋さんのランチへ。私は炙り丼をいただきました。冷奴とアオサのお味噌汁がついて丼は結構なボリュームで税込み1,000円。ああ、地元にもあればいいのに。
となりの創田さんがアオサの味噌汁で幽体離脱してましたね。
 
楽しいごはんの後は、いよいよ編集作業。駅をはさんで南側の沼津市立図書館へ車で向かいます。
 
 
50人弱がセミナーで使えるくらいの規模の部屋で、ホワイトボードもスクリーンも完備。機種によってはWi-fiルータが多少入りにくい?
 
ここで改めて自己紹介コーナー。司書さん多め?
どこまで紹介して良いかわからないのでお名前を出しにくいですけども、前回から引き続きの方も多くて、アットホームなムードで編集スタートです。
 
難航しそうな「子ノ神古墳」の編集サイドに私はいるようにし、創田さんと「子ノ神古墳」の名称をググるなどしながら、曖昧さ回避ページの作成と、記事名の決定、インフォボックス埋めを任せちゃいました。
 
坪井さんには交通アクセスなど、高橋さんは画像などと分担してくださり、お三方の司書司書ロッカーには、内容をお任せ。これでだいたい役割が決定。
私が持ち込んでいるノートPCにて、それぞれログインとログアウトを繰り返しながら、少しずつ記事を作成していきます。
 
「清水柳北1号墳」のほうはハロワンドさんと Keiko Fujiiさんがいるのでもうお任せ。
 
 
ここでのりまきさん登場。
前回のウィキペディアタウン沼津での題材「高尾山古墳」について、今日のイベントに同行せずに前乗りで沼津図書館にこもって文献を調べていたのだそうで、少々興奮気味に計画道路と古墳の関係の真実を突き止めたーとおっしゃっていました(この辺はおいおいウィキペディアに反映されることを期待します)。
 
途中書きかけのものをいじっている最中に、私のノートPCの電池がなくなってふーっと消えていくなどのアクシデントはあったものの、なんとか形になりました。
 
「清水柳北1号墳」
 
「子ノ神古墳 (沼津市)」
 
成果発表の後の創田さんによるコメントは、多くの人の心に響いたようです。Nozomiさんが取り上げてくださっている文章を、こちらにも再掲させていただきます。
ウィキペディアタウンで初めてウィキペディアを入力してみて、上手に書けなかった部分、できなかった部分があると思う。
うまくいかなかったから辞めてしまうのは自由だけれども、自分が出来た部分を見つめて欲しい。」
 
 
同様に、限られた時間の中でここまでできたということを、もっとたがいに褒め合いたいものです。
 
今これを書いている時点で、私のPCからのグーグル検索では
「清水柳北1号墳」「子ノ神古墳」も検索結果の3番目に昨日作ったウィキペディアの記事が、表示されるようになっています。
 
今回のイベントに参加したみなさんが成し遂げたことは、きっととてもすごいことであるし、関わった記事を今後も可愛がって下さったらなと思います。
 
あ、そうそう。
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