Racco

ウィキペディアのこととか。

Wikipedia講座 初級編

福岡県福岡市城南区の「長尾コミュニティスポットわくわく」で行われた「Wikipedia講座 初級編」は無事に終わりました。

今回、私は福岡には行かず、自宅からZoomを使って「ウィキペディアとは何ぞや」という話と「編集の仕方」の話をしました。

まず城南区出身の「カンニング竹山」さんの記事の履歴を参照して、生年月日が1971年から2000年に書き換えられたイタズラ編集も、ウィキペディアでは記録が残るので過去版から閲覧できるんだよ、自分では消せないんだよというところから、ウィキペディアの編集システムの説明を始めました。

「カンニング竹山」の版間の差分 - Wikipedia

 

例題としては「福岡地方」という記事の定義文をZoomを通じて参照していただきながら、まずは私がリアルタイムで出典をつけてみました。
また、単に既存の文章に出典をつけるだけではなく、人口252万人という記述が古いデータだったことから、福岡県が公表しているデータをもとに数字を更新しつつ、出典をつけてみました。

「福岡地方」の版間の差分 - Wikipedia

 

ウィキペディアの編集イベントやそれに派生するイベントの目的や効果を説明のあと、それぞれ既存記事に出典をつけていくワークショップに突入。

約1時間後には参加した方全員が何らかの形で出典をつけ、記事の本文と出典の関係性、記述のシステム、履歴の残り方などについて理解を深めていただけたのではないかと思います。

 

毎回のように最近は説明しているのですが、ウィキペディアに反映していくことそのものが目的ではなくて、そのプロセスを通じて、いろいろなものが引っ付いてくることを意識したり、気づいたり、応用を考えたりという部分を共有していければと思います。

 

主催者、ファシリテーター、ご参加の皆さん、お歌の上手なMちゃん。お疲れさまでした🙂

【ウィキペディア】「記事名のつけ方」と「曖昧さ回避」と「ここが落ち着くんです」

 

 

f:id:RaccoWikipedia:20190214151929j:plain

ここが落ち着くんです

先日、沖縄県国頭郡(くにがみぐん)の恩納村(おんなそん)で、ウィキペディア編集イベントが行われました。

一般向けのイベントではなく、恩納村文化情報センターで職員の方の研修として行ったもので、編集体験を通してウィキペディアがどういうものなのかなどを知ってもらうものです。

成果として「仲泊遺跡」「万座毛」「山田城 (琉球国)」に加筆や出典の追加が行われ、全くの新規項目として「国頭方西海道」(くにがみほうせいかいどう)が作成されました。


実は、イベント開催前に新規記事作成候補には、今回作成対象にはならなかったものの恩納村に伝わる民謡の項目がありました。

今回はその項目(まだこの時点では記事はないですが)をサンプルとして、

  • 記事名のつけ方
  • リダイレクト
  • ふりがな

などについて、私なりの説明を書きたいと思います。

 

目次


谷茶前節

本題に入るまでが少し長いですがご容赦を。


谷茶前節という民謡をご存知でしょうか?

谷茶は恩納村の地名です。「たんちゃ」と読みます。

 

この地域の北西には砂浜が広がり、その浜は「谷茶前(たんちゃめー)」と呼ばれています。

漁村の漁の風景を踊りと共に琉球王に披露したという謂れを持つのが「谷茶前節(たんちゃめーぶし)」です。

www.youtube.com

この民謡の歌詞の碑が、谷茶前にあります。

「谷茶前の浜碑」という名前がつけられています。

www.jalan.net

 

記事名のつけ方(だからなんなんだという人はここから読んでください)

ウィキペディアにこの民謡「谷茶前節」の記事を作るとして、記事名はどうしましょう。

ウィキペディアガイドラインはこのページ。

Wikipedia:記事名の付け方 - Wikipedia

この文書の「正式名称」の解釈については論争の的になりがちです。「がいし」などでは実に一年をかけて議論が続き、「これが正式である」という根拠を示す、その根拠は希薄である、あるいはおかしいなどの論争に発展し、なかなか収拾がつかなくなることもあります。

ノート:がいし/過去ログ1 - Wikipedia

 

「谷茶前節」の記事を作るにあたっての、気を付けなければならないことがあります。

これは民謡の名前は歌碑にあるように「谷茶前節」であろうということ。つまり「谷茶の前の浜の民謡」という意味です。
しかし本来なら海岸を指す「谷茶前」という言葉でも、民謡を指す場合があるようなのです。


ハイサイおじさん」で著名な、喜納昌吉 & チャンプルーズの音源では「タンチャメー」あるいは「谷茶前」が楽曲の名前になっています。

https://www.amazon.co.jp/dp/B005C8QOJ6/ref=ap_ws_tlw_trk9

喜納昌吉&チャンプルーズOFFICIAL WEB » MUSIC

教育芸術社のサイトでも同様に「谷茶前」と表記されています。

https://www.kyogei.co.jp/shirabe/kyoudo/text47.html#02

またウィキペディアには「コーラル・ブルー 沖縄民謡「谷茶前」の主題による交響的印象」という記事があります。

コーラル・ブルー (吹奏楽曲) - Wikipedia

 

このように「節」がなくても民謡を指すことがあり、読者が「谷茶前」と検索する場合があるので、記事名は「谷茶前節」とした上で「谷茶前」をリダイレクト作成します。


この時

「何故 ”谷茶前” としているタイトルが多いのに、記事名を”谷茶前節”としたのか」

のような論争になる場合もありますが

「現地の歌碑がそうであるから」

乃木坂46生田絵梨花さんが”谷茶前節”としているから」

【乃木坂46】可愛すぎる生田絵梨花の沖縄民謡「谷茶前節」 - YouTube

などの理由を考えておいてもいいかもしれません。

 

曖昧さ回避

お寺や神社はウィキペディアの編集イベントの題材として適しています。

資料がある程度残っていることが多く、文化財があったり、お祭りがあったり、などの理由からです。

 

ただ、同名の寺社はとても多いです。

2015年10月に 第3回ウィキペディア街道「大山道」(海老名)で 海老名市にある総持院という寺院の記事を作成することになりました。

総持院 (海老名市) - Wikipedia

記事名を決める際に

「総持院という名前の寺院は海老名市にしかないのだろうか」

を調べました。グーグルの検索とグーグルマップ、それとウィキペディア内検索を行い、全国にある総持院を調べ、曖昧さ回避のページを作成しました。

総持院 - Wikipedia

その上で「総持院 (海老名市)」という記事名と決めて、これでウィキペディアでは一意となり落ち着くわけです。

 

2017年の尾道市立大学でのウィキペディアタウンでは尾道市にある「艮神社」(うしとらじんじゃ)の記事を作成しました。

艮神社 (尾道市長江) - Wikipedia

当初、「艮神社」で記事を作成したのですが、調べてみると尾道市内だけでも御調町と山波町にあり、(尾道市長江)までを記事名に含めて一意の記事名としています。

その後同じ広島県内の福山市にも艮神社があり、本来ならば曖昧さ回避のページを作成しておいてもよかったのですが、他の「艮神社」を作成する際に作られる場合もあります。

記事名を一意にするために「曖昧さ回避」について検討しなければならないことがある、ということだけ覚えておいてください。

Wikipedia:曖昧さ回避 - Wikipedia

 

 

 

リダイレクト

”リダイレクトとはある記事へリンクしたときに、別のページに転送する機能のことです。また、そのようなページをリダイレクトページ(転送ページ)と呼びます” 

Wikipedia:リダイレクト - Wikipedia

ウィキペディアでは定義されています。

これを作っておくことによって「荒井由実」と検索しても「松任谷由実」の記事に自動で飛ぶようになります。

https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E8%8D%92%E4%BA%95%E7%94%B1%E5%AE%9F&redirect=no



松任谷由実への記事には

ユーミン

荒井由美」(実と美の誤字)

呉田軽穂」(松田聖子への提供曲である「赤いスイートピー」などでの別名義)

などなどいろいろなリダイレクトがあります。

「松任谷由実」へリンクしているページ - Wikipedia

 

言わずもがなですが、リダイレクトの乱立と、一意でないリダイレクトの作成は厳禁です。

 

表記ゆれとふりがな

ウィキペディアは記事対象の正式名称を定義づけるという役目を担うのではなく、読者が調べ物をしたいときに、煩わしくなく目当ての項目にたどり着くようにということを考えなくてはいけません。

いろいろなことを踏まえると「谷茶前節」の記事の定義文は、こんな風になるのではないかと思います。

谷茶前節(たんちゃめーぶし・たんちゃめぶし)は、沖縄県国頭郡恩納村の海岸「谷茶前(たんちゃめ)」での漁を題材とした沖縄民謡である[1]。

単に「谷茶前」と表記されていても、民謡を指す場合がある[2]。この項では民謡及び海岸をついて記す。



このように表記しておけば、読者が混乱することはないと思います。

「谷茶前」でリダイレクトページを作成するのを忘れずに。

 

NPOVに配慮

NPOVとは「Neutral Point Of View」のことで、ウィキペディアで「WP:NPOV」と検索すると、

Wikipedia:中立的な観点 - Wikipedia

に転送されます。

記事名で留意すべき「中立的な観点」とは何でしょうか?

竹島 (島根県) - Wikipedia

독도 - 위키백과, 우리 모두의 백과사전

Liancourt Rocks - Wikipedia

これら言語版が異なる三つの記事は、同じものについての事です。

厳密にいえば、同じ記事名になるのが好ましいのですが、各言語版でそれぞれの異なる記事名を検索しても、ちゃんとたどり着く状態になっています。

 

ケーススタディ

東京電機大学ウィキペディアタウンでは「千住郵便局電話事務室」という記事を新規作成しました。

千住郵便局電話事務室 - Wikipedia

昭和4年に竣工したこの建物は現存しており、2019年(平成31年)現在は「NTT千住ビル」という名称の建物です。

昭和7年から平成14年までは「足立郵便局電話分室」という名称でした。つまりこの名称でいた時期が一番長いのです。

電話局の建物が、ウィキペディアの単独項目として成立するのはなぜかというと、

Wikipedia:独立記事作成の目安 - Wikipedia

この建物が日本武道館京都タワー永代橋、聖橋などを設計した山田守の数少ない現存する建築であるということが挙げられます。

 

この建物の記事名をどうするか、ということをイベントの最中にお話ししました。
私の考えが正しいかどうかは別としてお話したのは、

「この建物の特筆性は山田守が千住郵便局電話事務室の設計をしたことによるものなので、NTT千住ビルという記事名とするのは、現在POVではないだろうか」

もちろん、現状使われている名前で「NTT千住ビル」という記事名でもいいとは思いますが、名称が変わるたびに記事名の変更をしていくのもどうなのかなぁと思った次第です。

 

 

 

 

 

【ウィキペディア】記事どうしをつなぐコツと内部リンクをビジュアルエディターでぺたぺた

              f:id:RaccoWikipedia:20190212092927j:plain

ウィキペディアには内部リンクと呼ばれる、ウィキペディア内の記事どうしをつなぐためのシステムがあります。通常単語が青い字で表示され、クリック/タップすることで、びゅーんとその記事に飛べるというものです。

このシステムがあるからこそ、ウィキペディアではわからない単語が出てきてもその場で解決することができ、そっちに行っちゃいけないよという声も聞こえないまま「あれ? アタシはなんで台所に来たんだっけ?」状態のように、当初何を調べていたかもわからなくなるほどいろいろな記事を読みふけってしまうというアリジゴクでもあります。

 

今回は記事同士をつなぐにあたってのチェックポイントと、ビジュアルエディターを使った内部リンク付加についてのお話。


記事同士をつなぐにあたってのチェックポイント


まずはこのページを見て解説します。

国頭方西海道 - Wikipedia

 

f:id:RaccoWikipedia:20190212093558j:plain

赤い矢印のところに「リンク元」とあります。これは「この記事がどこからリンクされているか」を調べることができます。

「国頭方西海道」へリンクしているページ - Wikipedia

以下のページが、国頭方西海道 にリンクしています:

(前の50件 | 次の50件) (20 | 50 | 100 | 250 | 500 件) を表示
Portal:歴史 (← リンク | 編集)
Portal:歴史/新着項目 (← リンク | 編集)
Portal:道路 (← リンク | 編集)
Portal:道路/新着項目 (← リンク | 編集)
九州・沖縄の史跡一覧 (← リンク | 編集)
歴史国道 (← リンク | 編集)
仲泊遺跡 (← リンク | 編集)
利用者:佐藤莞嬴/テスト1 (← リンク | 編集)
(前の50件 | 次の50件) (20 | 50 | 100 | 250 | 500 件) を表示

こんな風に表示されます。
つまり他の記事から、この記事へたどり着くリンクは

九州・沖縄の史跡一覧
歴史国道  
仲泊遺跡  

の3つということになります。
むやみやたらと増やしてもいいものではありませんが、他の記事で言及されていると当該記事にたどり着きやすくなる=読んでもらえる機会が増える=読者の知識が増える という図式にはなります。

逆側から考えると、これを増やしていこうという考え方が、関連記事の作成や充実の足掛かりにもなります。

このリンク元に何もない状態ならば、ウィキペディア内の検索ならば直接記事に行かなくても検索結果からたどり着くことができるかもしれませんが、検索サイトからウィキペディアの記事に来ていただくには一字一句違いがない状態の検索語でないと、たどり着けなくなる可能性が高くなります。

ざっくりとした考え方としては以上です。
ちゃんと知っておきたいという方は

Wikipedia:記事どうしをつなぐ - Wikipedia

を参照してください。


ビジュアルエディターを使った内部リンク付加

ワークショップなどでは「ソースを編集」を使用することが多いと思います。

理由はいろいろありますが、「ソースの編集」のほうが機能的に広く、書き方と反映のされ方の仕組みが理解できやすく、記事の中身を見ることで、他の記事のスタイルを真似てみたいときなども役に立つなどの利点からです。


ここではあえて、だいたい記事ができたなーのあとにビジュアルエディターを使って内部リンクをつけてみましょうというお話を書いておきます。

またまたこの記事

国頭方西海道 - Wikipedia

これを書いている現在、内部リンクがほとんどないのです。
つまり、この記事から他の記事に飛んでいける機会が少ない。

f:id:RaccoWikipedia:20190212095939j:plain

ここをクリック。

f:id:RaccoWikipedia:20190212100111j:plain

赤枠のところが出現しました。

 

この状態で、一行目の「琉球王国」を文字列を選んでから、上のほうの「∞」のような鎖のマークをクリック。

f:id:RaccoWikipedia:20190212100545j:plain

 

 

するとこんな風に、リンクの候補が出ます。

f:id:RaccoWikipedia:20190212100806j:plain

 

適切な記事を選んで「完了」を押す。たったこれだけで内部リンクができました。

以降も、そのまま次々と内部リンクを付加したい場所を選んで、鎖マークをクリックして、を繰り返します。

終わったら、右上の「変更を公開」を押し、念を押されるので「ソースを編集」での「プレビューを表示」と同じ役割の「変更内容を確認」を押して、再度間違いないかチェック。

問題なければ投稿。という流れです。

 

本日はここまで。

 

【ウィキペディア】出典と注釈と脚注と関連書籍と参考文献と部屋干しとTシャツと私

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部屋干しとTシャツと私


【まずは基本】

Wikipediaの編集には出典を伴うことがルールで決められています。『検証可能性を満たせ』ということです。

Wikipedia:検証可能性 - Wikipedia

Wikipedia:出典を明記する - Wikipedia

 

つまり、ある項目に

『〇〇は✕✕である』

と書いたら、その典拠となる情報ソースを付加しろということです。

すると

『〇〇は✕✕である[1]

のような表示になり、文章と情報源が紐付けられ、読者がより深く知りたい時の手掛かりとしても機能します。

 

【出典と注釈と脚注】

Wikipediaで言う出典と注釈と脚注とは、私なりに噛み砕いて説明すると……

 

出典:情報源。典拠。

注釈:内容に関する注意書き。注釈に対する出典が記される場合がある。

脚注:出典や注釈がまとめてあるところ。多くは欄外。

 

となります。

これがごっちゃになっている記事はたくさんあるので、違いを意識して、見出しも書式も分けてもらえたらなと。

 

もうひとつ気をつけたいのは、注釈に独自研究を書いてしまう場合です。

      ^ 1 ただし〇〇については、✖✖とする説もある。

などの注釈がついてる場合があり、読んだ人にとっては根拠があるのかないのかすらわからない状態になります。ですから注釈にも出典をつける方が好ましいでしょう。

 

【関連書籍と参考文献】

このふたつも統一されずに使われています。

こちらについてもWikipediaではこんな風に考えてねというポイントを私なりに書きます。

 

関連書籍(Related books):その項目をより深く知るにあたって、助けになるような資料だが、項目執筆には使用してないもの。発展資料(Further reading)を指す場合も。

参考文献(References):その項目を執筆するにあたって使用した資料。

 

ざっくりこんな感じなのですが、ここでも気をつけなければいけないのが『その項目を執筆・加筆していないのに、この本も役に立つよ、とばかりに関連書籍リストに加えていくのは、Wikipediaにおける振る舞いとしてはあまり良くないこと』ということ。

 

どうしてかと言うと、自分の関係する本を滑り込ませる人がいるからなんです。もっといえば中立的な観点かどうか推し量りにくいし、独自研究が入り込みやすい。

追記:
関連書籍のリストに入れたくなるほどの資料ならば、その資料を使って少しでも加筆しましょう。

 

これは『外部リンク欄』にも言えることで『ここを見るともっとわかるよ』というリンクを本来張るはずが、自分の執筆する観光ガイドへのリンクを観光地の項目に張りまくっていた人もいました。

こういうのはまあ、その、かっこ悪いし良くないことです。

 

ケーススタディ

 ここで、出典と注釈と脚注と関連書籍と参考文献についての例として、ウィキペディア日本語版でとても評価の高い記事である「地方病 (日本住血吸虫症)」を見てみましょう。内容を読むのではなく、見出しに注目します。

地方病 (日本住血吸虫症) - Wikipedia  2019-02-05T07:49:10の版より

8 脚注

  8.1 注釈
  8.2 引用
  8.3 出典

9 参考文献

「脚注」セクションの下に「注釈」「引用」「出典」のセクションが分かれて整理されています。

さらにその下のセクションは「参考文献」があり「関連書籍」のセクションはありません。 

この記事の「出典」と「参考文献」の関係を見てみましょう。
"以下5点の文献を主に用いた。"
とある通り、主となる5つの文献があり、複数の著者による文献は、収録された個別のタイトルも付記してあります。

参考文献のトップには
小林照幸、1998年7月20日発行、『死の貝』、文藝春秋 ISBN 4-16-354220-5
と記されており、この本からの出典は、

    127 ^ 小林(1998) pp.9-17
    128 ^ 小林(1998) pp.105

という風に整理されて書いてあります。

これらのソースを見てみると、当該箇所は単に
<ref>小林 (1998) pp.9-17</ref>
<ref>小林 (1998) p.105</ref>
と書かれています。

これらは

Template:Sfn - Wikipedia  を使用して
{{Sfn|小林|1998|p=9-17}}
{{Sfn|小林|1998|p=105}}
のような書き方も可能です。

これらの方式はいずれも同一文献のいろいろなページを多数出典として使用する場合、とても便利です。
参考文献に書誌情報をしっかり書いておき、出典には略した形で記すという考え方です。

同一文献を多用する場合は、
<ref␣name="名前">書誌情報</ref>
も使用できますが、ページの指定ができないことから、この書き方はWeb出典などのほうが有効です。


【編集イベントでは・・・】
さて、どうしてこんなことを長々と書いているかと言いますと、ウィキペディア編集イベントにおいて、新規記事を作成するときセクションごとに担当を分ける場合があります。その時、この文献はきっとよく使うだろうという資料については、事前にミーティングボードに
「【小林照幸、1998年7月20日発行、『死の貝』、文藝春秋 ISBN 4-16-354220-5】は、【小林1998】で統一します。この本からの出典は、{{Sfn|小林|1998|p=〇〇}}って入れてください。<ref>とかは必要ありません」
とでも書いておけば、書誌情報の表記ゆれも、長い呪文を生成することも、出典欄の取っ散らかりも未然に防ぐことができます。

ですので、新規記事を作成するとき「出典」と「参考文献」の欄をあらかじめ作ってしまい、あとは紐づけていくだけ、というやり方もあるということです。

追記:Wikipediaには、ものすごくたくさんの出典、参考文献に関するテンプレートが用意されています。

Wikipedia:出典テンプレート - Wikipedia
Category:出典テンプレート - Wikipedia

これらは「こうなっていると便利だよね」という善意が生み出しているものなのですが、数の多さや複雑さに面食らってしまう場合もあります。

幸いにしてWikipediaは、編集画面を開けばどういう風に記述されているか何となくわかるようになっているので「この記事のこのやり方を参考にしたい」と思ったら(間違ってへんな編集をしちゃわないように)そーっとのぞいてみてごらん、でいくらでも真似ができます。

ただし、出典のつけ方にも機能強化などの理由から流行り廃りがあるので、なるべく最近できた記事を参考にするといいでしょう。

アカウントを持っていれば、自分の利用者ページに「下書き」のページがあります。
参考になりやすい体裁や呪文を、一旦「下書き」にコピペしてきて、いろいろ試してみるのも良いと思います。

コピペをする際はどのページから持ってきたということを必ず要約欄に書いてくださいね。

f:id:RaccoWikipedia:20190206010754j:plain

わかったような、わからないような。

 

落ち込みマネジメント

 

アンガーマネジメントという言葉がある。一言で言うと怒りをコントロールすることで、怒りによってもたらされるマイナスを減らしていく方向に持っていくことだ。

怒っていることで周りを不安・不快にさせたり、また『怒っている』(ポーズの場合もある)とアピールすることで、周りに自分の主張を受け入れさせるという些か幼稚な振る舞いも時々見かける。

どちらにしても厄介な感情である。

幸いにここ数年、怒りで自分の感情がいっぱいになってしまうことはないが、心底がっかりしたり、理不尽な思いに心が捕われることがある。

また、ストレスマネジメントは、より広い範囲でのストレスそのものをコントロールしていこうというものだ。

こうした内面のマネジメントは自身をコントロールするものの、原因の根本の部分は相変わらず存在しているということを意識せざるを得ない場合もある。

さて。

受験シーズンとなり、合否以前に自身の試験の出来が良くなかったと自覚しているというひともいることだろう。

結果を知る前に、このわずかな時間である程度の枝分かれを想定して準備を進めなければならないというストレスまでがつきまとう。

試験などの合否を待つストレスは大きく、個人的にも『結果待ち』は1番心に重たい。

『自己採点ではあるが、子供の試験の出来が悪かった』とある人が話題にしていた。
とても落ち込んでいて、第一志望は難しいだろうと思い込んでいる状態で、その感情が『では、今は何をすべきか』という切り替えを妨げている、と。どんな言葉を掛けていいかわからない、と。

他人様の大事なお子様のことなので、偉そうなことも言えないし、第一私には子供がいないので、気の利いたアイデアもないな、と思っていたその時、ふと、もう一段階俯瞰する感情マネジメントが浮かんだ。

落ち込みマネジメント。

こんな風に考えた。

受験という人生の中でも大きなイベントにおいて(まあ、先々もっと大事なイベントはあるし、受験が人生の全てのように思う期間は実はそれほどないし、後々まで受験が一番自分にとってでかいイベントだったと思い続ける人は多分ツマラナイ人なんじゃないかと思うけど、カッコの中が長いと読みにくいですよね)、例えばそれが失敗に終わるかもしれないと不安になった時、あるいはそれが失敗に終わったと思い知らされた時、そこから立ち直るために、あなたが要した時間、人、言葉、手段はなんだったのか、記録をしておくのはどうか。

問題そのものを客観視することで、やるべき事とやっておいた方が良いことを振り分け、さらに今後の人生においてあなたが困難な状況に臨むとき、この記録はとても役に立つのではないか、と。

などと言うことを話した。

『こういうケースだと私は立ち直るのには3週間かかるから、4週間めからの私は大丈夫かな』なんて考えると少しはココロが整理できるのかもしれないなと。

2016年1月24日の「ウィキペディア15周年イベントTokyo」のレポートまとめ

これはFacebookに書いた、2016年1月24日の「ウィキペディア15周年イベントTokyo」のレポートをまとめたものです。

3年前に何をして、何を感じていたかの備忘を兼ねて。

 

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#wp15tokyo  その1

ウィキペディア15周年イベント 東京は無事に終わりました。

けが人はゼロです。

 
そんなわけでほかに発表する場もないので、この場でつらつらと何回かに分けて書き連ねます。

 
このイベントに先立つこと半年くらい前。

さかおりさんとウィキペディア街道で初めて実際にお会いしました。正確に言うと私が誘ったのですけども。

そのあとのウィキペディア街道でのりまきさんと会いました。さかおりさんも来てくれました。

 
WP15Tokyoにいらっしゃった方はピンとくると思うんですが、のりまきさんが本当に熱心に、執筆者で会いたい人がいっぱいいるんだよ、すごい記事を書く人たちと会ってみたいんだよ、とおっしゃるので、メールで会いたい人リストを送ってもらいました。

 


12/6にそうそうたる執筆者が(くさかさんは除く:入れてもいいんだけどさ)7人集まり、私から見れば高い高い空で行われている空中アクロバットを見ているような濃いお話が展開されました。

 
その時にくさかさんが「来年1/15にウィキペディア15周年なんだけど、関西はなんかやるみたいなんだけど、関東もやれみたいな気配なんだけど、どうする?」的な、出たよ、いつものくさかさんの投げっぱなしジャーマン、とでもいうべき、誰かやれイベントの話になりました。

 
結局関西では行われなかったみたいです。

日本では何もやりませんでした、という形にならなくて本当によかったと思うし、すいすいさんがおっしゃっていた「日本語版をめんどくさい存在だと思われたくなかった」の故事をギリギリ回避できたのです。

 
# 出てこないキーワードとして「ドーナッツ」「タルト」がありますが、それはわかる人にだけわかるキーワードです。

 
で、私がそれを持ち帰り、お風呂の中で歌いながら考えた結果、今までのウィキペディアの名前が入ったイベントは、ウィキペディアをどう活用するかという面や、その存在そのものにスポットをあてたものが多くて、肝心の執筆・編集によって記事を増やしたり充実させたりしてる人たちのためのものはあんまりないなーと思い、ほんだばせっかくなので、さかおり・のりまきの両巨頭に講演依頼するべと思ったのが発端です。執筆をどのようにしているか? 興味がある人はたくさんいることでしょう。

 


さえぼーさんもやはりウィキペディア街道にお誘いしたことがあり、ウィキペディアに対する実績からご登壇をお願いしました。教育現場とウィキペディアという視点からのお話が期待できます。のり・おりコンビではカバーできないビジュアルも魅力ですが、あまりこういうことを書くと怒られるので見なかったことにしてください。

 
くさかさんにもお話をいただくとして、運営上、こまごましたことが苦手な私をフォローしてくれる若いもんがどうしても必要なので、あらいしょうへいさんにお願いしました。あらいさんは今後のウィキペディアのスポークスマンになりうる人ですから、トップバッターでプレゼンをさせるという、親心もセットにしてお願いしました。

 
すいすいさんとはなんだかんだで連絡を取っていました。勝手な想像ですけれど、体調のことがなければ(かつ、飽きていなければ)ウィキペディアにまだ携わっていた方だと思うし、その功績が忘れられていくことも、私にとっては不満でした。

なのでダメもとで、ギャラも交通費も出ないけど、移動と前に出て話す体力があるならお願い、と依頼しました。

 
すいすいさんが、あこさんと海獺の組み合わせは面白いかもみたいなことをぼそっと言って、それならば、あこさんの活動を伺った上で、あこさんにも登壇依頼をしました。あこさんも教育機関+ウィキペディアのテーマでということになります。

 
ウィキペディア街道でお邪魔したカタリストBAはとてもとてもすてきな会場で、イベントもできたらいいなと勝手に考えてました。そこで高橋さんに会場をお借りできないかと打診。

残念ながら17日の週末は既に予約が。なので24日に何とかと無理をお願いしました。そして、めでたく開催に協力ということで、カタリストBAさんに会場提供いただくことができ、おそらく私には見えてない部分を含めての高橋さんのご尽力があって24日の全日、会場が使えることになりました。

私は全く物事に臆さない面がありますので、高橋さんにご登壇もお願いしちゃいました。地域情報とウィキペディアのテーマ。

 
私がずっとお邪魔しているウィキペディア街道で、お世話になっている小池さんにもご登壇をお願いしました。2015年だけで5回も開催しているということだけでも驚異的です。

 
こうして(敬称略)

バリバリ執筆のさかおり、のりまき

教育機関+WPのさえぼー、あこ

地域情報+WPの高橋、小池

そして、すいすい、あらいしょうへいのウィキペディアの中のことを話すよ組、

くさかさんには締めのコメントを、ということで固まったわけです。

 
こんな風に、私は何もできないんですけど、草々たる登壇者のメンツが揃ったというわけです。

 
司会はワタクシ、らっこでございます。

 
(続く)

 
#wp15tokyo その2

 
取材の方々にも感謝です。

共同通信社さん、フジテレビさん、Jタウンネットさん(中身はウィキペディアン)、そしてWikimedian Asian Newsletter向けにTakotさん。

 
取材が記事や放送となって現れるかどうかというのは出来上がるまでわかりませんけれども、このように興味を持ってくださってることはとても光栄ですし、内容的に面白いものを司会の立場で何とかできるとことはするぞというキモチでした。

あとは、できるだけポップに。ウェイ系ではないあったかい感じのPOPで。

 
さて、エラソに所感を

 
あらいちゃんの役目はほんとうにいろいろあって、その上プレゼンはきつかっただろうと思います。

ウィキペディア15年のあゆみと日本語版の13年半。そして100万記事達成の成長とともに、ご自身も成長したあらいちゃんをトップバッターにしてほんとによかった。内容もかっちりまとまっていて導入としてはすごくわかりやすかったと思います。

 
高橋さん(Yoitさん)も会場でのいろいろな調整をしつつのプレゼンでした。早めに登壇から解放してあとは運営に専念できるようにと思い、2番手にお願いしました。

プレゼン内容はとても興味深く、牛の画像のインパクトには会場がどよめきましたね。

ウィキペディアよりも自由なLocalWikiがもっともっと充実して、いろんな地域で情報発信するようになったらいいなと願ってやみません。

その上ビールの買い出しまでやってくださって・・・

 
さえぼーさん。皆さん気づいたでしょうか。膝に猫があしらわれた可愛いソックス。私は気付きましたとも。ひざ裏にはしっぽがあると教えてくださいました。ツイッター上ではコワイ時もあるさえぼーさんですが(以下36文字抹消)

さえぼーさんの活動はウィキペディアにおいて非常に大きなものとなっています。2015年の一年だけで約100の翻訳記事が増えました。100の記事だけ添削し、整え、採点をする。約3日に一本ですよ。しかも軒並み5000バイト以上という。

そのノウハウを他の方にも伝授するよーとあの場で言って下さったこともありがたいし、さえぼーさんの活動に刺激され理解をしというからも増えたと思います。

 
のりまきさん。

私は鉱山に少し詳しくなりました。

本当にこの人の頭の中はどうなってるんだろうというほど、知識の宝庫です(数学は苦手らしいよ)

印象に残ってるのは「執筆者はマケズ(負けず嫌い)」という部分で、12/6の執筆者の集まりや自らが会いに行った執筆者との交流、そして今回のイベントを通じて、もっと良い記事を書きたいぞというエネルギーがのりまきさんの中に新たに芽生えたとしたら、嬉しいことです。

プロジェクタを使わないのりまきさんのフォローで、あらいちゃんが話の内容に沿った形でウィキペディアのページを表示させていて、ナイスプレイ!

 
で、飲み会でも言ったけど、次回はもっと執筆のノウハウについても時間内にたどり着けるようにしてね、のりまきさん(笑

 
(続く)

 
#wp15tokyo その3

 
壇上の横のテーブルにトロフィーがふたつ。

Yahoo Internet Guide誌のWeb Of The Yearの対象をウィキペディアが受賞した時のトロフィー。

持ってきてくれたのはSuisuiさん。

なぜスチュワードになったのか、始まった当初のウィキペディアはどうだったのか、など会場ではどよめきにも似た反応が見受けられました。

ウィキペディアが普通にそこにあるものとして扱われていることが嬉しい」というのは本当に重みのある言葉でした。

当初は平気で一日以上つながらなかった、エラーが出てせっかく書いたものを投稿できなかったなど、15周年の今があるということを実感として喜ぶとき、Suisuiさんの受ける感情はひとしおなのだろうと。

無理やりだけど、出てもらってよかった。本当に。

あまり話ができなかったけれど、近いうちにまた会いましょう。お互い生きてるうちに。

 
小池さん

いつもお世話になっています。

5回のウィキペディア街道を通して、その実現に至るまでの下準備って結構大変なんだなーという部分が印象に残っていて、でもでもいろいろな場所で開いて欲しいのでノウハウ共有という意味で、実りのあるプレゼンでした。小池さんの中で明確なビジョンがあって緻密な計画があってというのが良くわかりました。

ウィキペディアタウンならぬ、ウィキペディア街道ってすごいと思うんですよ。だって場所が移動するから飽きないんです。毎回新鮮な気分で、ウィキペディアンとしての目でその街を見る。でも単発じゃないから経験もノウハウも蓄積されていく。皆さんもぜひ参加してください。

 
あこさん。Saichi31さん。

今回が初対面でした。すごくプレゼン慣れしていて勉強になりました。成果を発表してアナウンスしなければ、次回につながりにくいと思うので、ネット上のやり取りの中で忌憚のない意見も言わせてもらっていたのですけど、あこさんが持っている情熱と人柄で今後がますます楽しみになりました(偉そうだわ私)

Suisuiさんが、「あこさんとらっこの組み合わせはおもろいかも」と言ったのが何となくわかる気がしました。

 
さかおりさん。

さかおりさんは話が上手なんですよ。地方病に関する話、なぜ書こうと思ったか、どんなフィールドワークをしたかなど、すごくわかりやすくて、これは(内緒の)本業でのテクニックを使っているに違いないと感じました。この人は悪い人じゃないぞ、と思わせる笑顔がまたよくて、微笑みながら話をされると思いテーマでもスッと入ってきます。

会場に来られなかった人にお教えしますが、「ウィキペディアの地方病という記事をまだ読んだことがない人」と、私が質問をしたら会場では3人だけでした。すげぇな地方病。すげぇなさかおりさん。

そんなさかおりさんですが、「私が書いたみたいに言われてますが、いろいろな意見も頂いてのものですし、セクション丸ごと書いてくださった方もいるので、決して私が私がというわけではないんですよ」とあくまで謙虚におっしゃっていたことを、書いておきます。

 
(続く)

 
#wp15tokyo その4

 
会場に来てくださった方は本当にすごい方ばかりで、いいカードをたくさん持ってる方ばかりだと、鈍い私でも気づきました。

 
むかし、ロックコンサートに行ったときに、ベーシストにアクシデントが起き「ヘイ、だれか俺たちの曲を弾ける奴はいないか」と言われておもむろに自分がステージに上がる姿を妄想したものですが、ここまでのプレゼンを見た方々も、もしかしたら内容が刺激となって「俺もなんか話をしてぇぞ」という気分になってもおかしくないし、なによりもいろいろなクラスタの人がそれぞれの分野の中でカードを出し合うとそのほとんどがウィキペディアにフィードバックしうる状況なのです。

それはコラボであったりノウハウの共有やヘルプであったり。

 
そんなわけで時間が押している中、会場をうろうろしながら海獺隊長はライトニングトークを募っていました。

直にウィキペディアに関係なくてもいいんです。こういうことをやっている、やる予定、が伝われば、ここで何かが進むかもしれないぞ。

 
というわけで6人の方がお話をしてくださいました。

 
LinkData.orgの下山さん。

http://linkdata.org/

ページもカッコいいけど、下山さんがまたカッコイイ。

「表データを公開するのに便利なサービスがあるのでよかったら使ってくださいねー」とのことなので、みなさまよろしくお願いします。

すげープレゼンがうまいの。勉強になったわん。

WikiDataとの可能性についてきらっと目を光らせていたのを見逃してはおりませぬよ。

 
図書館総合展 運営委員会の増井エドワードさん。

図書館総合展に来てねというものなのですが、私はここで脱線します。

昔読んだ4コマ漫画で

「ああ、私も美人に生まれたかったなー」→「ほーれ」(屋根からバケツで水を流す)→「ああ、屋根から水をぶちまけても美人になれるわけじゃないのに」みたいな不条理モノがありまして、増井さんを見てると屋根から水をまいてみたくなるくらいのイケメンでしかもいい声でしかもいいヤツなんです(初対面だけど)。

なんでいいヤツかというと、もう少し下の方に再登場しますので、ご期待を。

第18回図書館総合展 教育・学術情報オープンサミット2016

展示会:2016年11月8日(火)~10日(木)

図書館総合展週間:11月6日(日)~12日(土)

会場:パシフィコ横浜

 

オープンデータ京都実践会の青木さん

関西でのウィキペディアタウンの活動についてのお話です。

私は東京と京都のハーフなので、機会があればぜひ行きたいのですけども。

特に2/6のWikipediaArtsは本当に心惹かれるのですけど・・・いかれませぬ。https://artlogue.doorkeeper.jp/events/36855

スライドにうぃきぺたんが出てきたりして、ポップなプレゼンでした。

やはり開催したという事実とその報告が伴って、次回の糧になる気がするので、こういうイベントの時は成果報告はどんどんしてほしいなと思いました。

 

カン・ショウさん。

中国語版のウィキペディアについての現状と、中国語翻訳チームを立ち上げたのでよろしくねというお話。

四川省のご出身だそうですが、日本語版のウィキペディア四川省の項目の「文化」のセクションは空欄で(今もだよ?!)画像は麻婆豆腐しかないということを自虐的に。会場からは笑いとともに嘆く声も。

で、カンさんはとてもシャイな方で、そんなカンさんと同じテーブルになったイケメンエディ(勝手に命名)こと増井エドワードさんが私にカンさんを紹介してくれて(私とエディすらあいさつしてない段階で、だよ?)カンさん活動を私にプッシュして微笑みながら「彼をライトニングトークに出すべきだと思わないか?」と目だけで訴えてくるんですよ、イケメンが。

私も長いこと生きてるので増井エドワードさんの考えてることは(初対面未満なのに)なぜか理解できて、カンさんに「発表するべきだ」と励ましたというわけです。

この時点で増井エドワードさんは図書館総合展のことを話す予定ですらなかったのに、まずはカンさんのことを考えて私に引き合わせた。いいヤツでしょ?

 
小俣おとうさん

小俣さんにも毎回ウィキペディア街道でお世話になっています。

新丸子/武蔵小杉でのウィキペディアタウン開催のお知らせ

詳細はこちら

http://www.slideshare.net/homata/wikipedia-town-wikipedia15-20160124

このレポートを読んでいる方やイベント参加者でウィキペディア街道に参加したことのない方。ぜひご参加ください。

実はロックファンで、世代的にも趣味的にも私と合致することが最近明らかに!

 

ハヤシユカ姉さん。私の中では「猛毒コリラックマ」(いい意味で)

ハヤシさんの「彼氏」こと E2D3のご紹介。http://e2d3.org/ja/

ウィキペディアと関係ないかもーと躊躇されていましたが、まったく問題ないです。いろんなクラスタの人がここで出会えば、きっと誰かの役に立つし、その人たちは「ああ、そういえばウィキペディアのイベントで知ったんだっけ」となっていつか恩義に感じてくれるかもしれなせぬ。

無料ですので、一度お試しくださいませ。

 

そんなこんなでライトニングトークも終了。

あとはあのおやじに締めてもらえば、めでたしめでたし。

 

くさかさん

忙しいのはとてもわかるんだけども、今日前に出て話をするってことになってるんだから、ちゃんと準備してちょうだいな。

当日いきなりの登壇ならともかく、他の人ががんばってお話している中、会場の後ろの方でパワポで資料作るのはどうかと(笑

 

内容については割愛いたします。

 

以上、海獺がお送りしま。

 

あ。

 

「こういうイベントは定期的にやってるんですか」

「東京ウィキメディアン会に入りたいんですが」

「次回はいつやるんですか」

「イベントの告知はどこを見てれば見逃さずに済みますか」

 

等の反応をいただきましたので、今回のイベント、一応の成功の手ごたえを感じつつ、最低でも年一くらいには何かやった方がいいよねとくさかさんに振ったところ、「誰かがやるなら手伝う」と、コーナーポストから動かないやる気のないタッグマッチのパートナーみたいなことを言っていましたので、また巻き込みながらぼちぼち計画したいと思います。

 
漠然と考えているのは、会場で執筆者にインタビューをライブで行って、それをみんなに聞いてもらう感じ。ちゃんとログを取ってWeb上にアップしておけば、執筆のコツとかヒントが共有できるかも・・・とか考えてます。

 
なにかこういうイベントが良いとかいうアイディアがあったら、あらいさんまでメールで。

(若いもんに任せて)

 

 #wp15tokyo 番外編

 
ご登壇はいただいていませんが、イベント当日は素晴らしい記事をたくさん書いている方が何人か参加していました。

 
会場にいる数人だけで、一体何本のFAGAがあるのかと思うくらい。

 
いずれ劣らぬ執筆者を見て、

タモリさんの名言と言われる言葉を思い出します。

「真剣にやれよ!仕事じゃねぇんだぞ!」

 
ウィキペディアの執筆って、まさにそうですよね。

 
オフでほかの執筆者に会うことによって、また刺激になったりして

今後もすごい記事を書いていただけることを祈ります。

 
あとは、私が普段ウィキペディアについて考えてることや、ウィキペディアタウンを開催するにあたって、ウィキペディアンはどんなことをすればいいかなんて話もしたかったのだけども、結構司会者にしてはでしゃばったので、また今度ね。

 
すごくエラソに最後に書いておきますけど、あのくらいの規模のイベントで司会をするとき、一番大事だなと私が思ってることを、内緒で皆さんに教えましょう。たぶん、こういうことを言った人は今までいないと思うので、目からウロコのTipsですよ。

 
それはね・・・

 

質疑応答タイムで会場の質問者にマイクを持っていくときは、必ず駆け足。

参加者は無意識にそういうところを見てるし、そこがテキパキしていないとイベントがダレて見えます。

 
ここ、試験にでますよっ(。・_・。)ノ

【イベントのレポート】

 

1/12 1/21と(いずれも21:00から)2回にわたって、ZoomとUDトークで遊んでみる的なオンラインイベントを開催しました。

今回は東北から九州まで同じ時間を共有して、顔も見ながらワイワイと。のべ18人が一堂に会して。予定時間を大幅にオーバーして遊んでしまいました。ごめんなさい🙇💦

さて(反省してない)、ざっとこちらでも説明を書いておきます。

 

https://zoom.us/jp-jp/meetings.html

Zoomというアプリを使って、無料でどこまで何が出来るか(個々の通信環境やデータ通信容量はありますが)、ここではわかりやすく3人の参加者で説明します。

まず、いわゆる『テレビ会議』が出来ます。
AさんのPC(またはスマホタブレットなど)の画面共有ができ、BCの端末に映し出されます。
BからAC、CからABも同様に出来ます。各自の資料を見せあったり、リアルタイムで説明などが簡単に。
動画+音声も共有可能で、例えば上映会も可能ですが、データ容量や遅れの問題があります。
なので、例えば共有したい動画がある場合はYouTubeなどに上げておいて、各自参照する方が現実的かなとも思います。
文字チャット機能もあります。
各自のカメラオンオフ、マイクのオンオフも出来ますから、すっぴんでも、部屋が見せられない状態でも切り替えられます。

これによって、例えば私が講師役としてイベントに参加したいのだけど、現地まで行かれない事情がある時に、ある程度のことが可能になるというわけです。

Wikipediaのイベントにおいて、主催者とは切り離した形でウィキペディアンが現場にいるメリットは沢山あるので、できる限り現地には行きたいのですが、なかなかそうも行かない場合もあるので、ひとつのツールとしてみんなで何が出来るか確かめようというイベントでございました。

 

http://udtalk.jp/

UDトーク
こちらの方が馴染みはないとおもわれます。
これはAndroid/iOSのアプリで、音声を入力する、つまりスマホに向かって話すことで、その言葉を文字にし、各国語に翻訳し、録音も出来るというものです。読み上げも出来ます。

今回、このアプリの紹介をおこなった理由は、参加者がライブラリアンや教育関係者が主なので、使うことによって、またZoomなどと組み合わせることで何が出来るかを考えたいなと。

私が思いついたのは、例えば朗読会などでは、
(もちろん一字一句たがわずとまでは行きませんが)、読み上げたものを文字としてプロジェクターなどにもリアルタイムで表示できるので、
聞き取るということが困難な環境・条件でも色々対応出来るのでないか、あるいは講演の同時多言語通訳の一助になるのではないか、はたまた会議の議事録作成に便利じゃないか……などなど、アプリの存在を知ることで、使い方のアイデアが広がるのではないかとおもい、河野さんにお手伝い頂きました。
昨日はZoomでワイワイしながら、みんなが話してることがどんどん文字になっていくのを見る機会でもありました。

こうやって説明しても、なかなか上手く伝わらない感じがするので、希望される方がいましたら、また機会を持ちたいと思います。
『ちょいとやりましょか』で、出来てしまうので気楽にまた。