ウィキペディアのアカウント作成と利用者ページの説明スライド

ウィキペディアタウンを開催するときには、事前にアカウントを取っていただくご案内をすることが多いです。


その理由は:

1.当日作る時間がもったいない

2.イベント当日に同じ場所からアカウントを作る場合、ひとつのIPアドレスから一日に6個までしかアカウントが作れない
3.そもそも当日の会場からアカウントが作成できない状態になっている場合がある

などなどあるのですけども、参加希望の方に事前にお伝えするにしても、なかなか手順が難しいと感じる方もいるのではないかと。

それとともに、イベント内では利用者ページの機能や使い方などは、説明しないことが多いです。いろいろ後でいじってみてくださいねという感じです。

 

イベント後にいろいろやってみるという余地を残すことも大事なので一概には言えませんが、ちょっとしたガイドがあってもいいと思いました。

なにせウィキペディアのヘルプや方針、ガイドラインは、長年編集を続けている人でもどこにあるのかすぐにわからなかったり、存在を知らない文書があったりと、たどり着くまでに複雑この上ありません。

そんなわけでスライドを作りました。とさ。

www.slideshare.net

相模女子大の学生さんたちとウィキペディアの記事を加筆したよ

相模原市立図書館のメヂカラマブダチさん(仮名)から繋いでいただいたご縁で、相模女子大学の「図書館基礎特論」の授業にて、司書課程の3年生12人に向けて、「ネットリテラシーウィキペディア」についての講義を行い、宮原先生のご指導のもと、ワークショップとしてウィキペディア日本語版相模原市立図書館の記事を加筆してみました。

授業前の記事のお姿はこう。

相模原市立図書館 - Wikipedia 2017-05-25 19:58:09 の版。

定義文と全体の沿革の箇条書き、分館を含めた他の館の名称・・・あまり情報量は多くありません。これがどう変わるのかなぁ。

宮原先生は

1.司書課程と図書館との協働による地域活性化への貢献
2.学生の情報リテラシー能力(情報を取捨選択し、加工・編集して発信する能力)を高める

の二つを到達目標としており、今回については地域活性化に一足飛びにつながらなくとも、自分たちが通っている大学がある市立図書館の情報を、ウィキペディアという百科事典に記載するにあたって、どのような資料をどのように収集していくのか。そしてもちろんウィキペディアへの記載方法なども含めて、90分の授業6回で(うち海獺が赴いたのは2回)どこまでできるだろうという大変興味深いものです。

相模原市立図書館という名称は相模原市にある私立の図書館の総称でもあり、淵野辺駅の近くにある図書館単体をもさす場合があってちょっと紛らわしいのですけれども(この辺も少しずつ加筆がされるでしょう)、今回は12人の学生さんが3班に分かれて、相模原チーム、相模大野チーム、橋本チームとして4人一組で加筆を行いました。

 

一回目の講義、90分の中で40分ほどの講義を行いました。

そのあとはワークショップ。

私からは、講義でのリテラシーの話の中で「ウィキペディア編集履歴が残るんだよ」ということ、それと基本的なウィキペディアの編集マークアップ、この項目を書くにあたって参考にすべき既存の図書館記事を紹介しました。

図書館のことを百科事典的に書く。
これは参考例がないとなかなか難しいものです。
図書館の成り立ちにドラマがあるとこんな風にも書けるよと

近江八幡市立図書館 - Wikipedia を紹介し、

3館がひとつの項目にあるよという同じ例として

丸亀市立図書館 - Wikipedia を紹介しました。
何を書けば百科事典的になるのか、それぞれの記事をよく読んで、見出しや構成を見て参考にしてくださいと。それと、非常に基本的な部分だけを試しに書いてアップして、一回目の講義を終えました。

中4週間で資料を集め、参考記事を読み込み、ウィキペディアの記法でローカルに書きためるという授業を行ったようです。

5週間後、海獺は再び相模女子大学を訪れ、学生さんがローカルで書いたものをいよいよアップしてみましょうという流れで、学生さんたちの疑問にリアルタイムで答えつつ、修正を加えながらアップ。とは言うもののやはり90分の授業の中では非常にタイトで、細かい体裁の部分はあとで海獺がやりますー、という風な終わり方。

その1週間後、私が少しだけ手を入れて、あとはこんな風にしてくれるといいなあと宮原先生に伝言をして、最後の授業で学生さんたちが編集を重ね、記事はこのように変化しました。

相模原市立図書館 - Wikipedia 2017-07-26 13:29:59の版

参考記事のようなどこか重厚な感じはまだ出ていないものの、3つの班の個性もあり、また百科事典的な書き方を理解して書いてくださったように思います。

かんたくんの感想が聞きたくて、現在進行でお願いしています(急いでない)。

学生さんたちからの感想も読ませていただき、私に対する感謝の言葉も頂いてうれしい限り。感想で特に目立ったのは、授業によって情報を発信する側としての責任感の変化について触れている方が多かったのと、ウィキペディアがどのように作られているかを考えたことがなかったので興味深かった、そしてウィキペディアを編集したという自慢ができるというものもありました。

まだ具体的ではないものの、宮原先生自身も大いに楽しんでくださったようで、今後も相模女子大ではウィキペディアを使った授業を行う予定があるそうです。
私もできる範囲でお手伝いできればと思っています。



共同作業は、リアルタイムだけではないと、改めて思えるお話

昨日(20170723)の甲府のイベントで執筆された「謝恩碑」。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AC%9D%E6%81%A9%E7%A2%91_(%E7%94%B2%E5%BA%9C%E5%B8%82)
は、本日もさかおりさんが引き続き手を入れています。
 
このようにイベントが終わったら記事は完成ということではなくて、以降もどんどん改良が重ねられていきます。
履歴はこんな感じです。
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E8%AC%9D%E6%81%A9%E7%A2%91_(%E7%94%B2%E5%BA%9C%E5%B8%82)&action=history
 
たぶんさかおりさんのことだから少し納得がいくことろまでは加筆ができるように昨日資料を借りて行ったのではないでしょうか。
 
さて、本日のさかおりさんの加筆で、甲府城天守台からのパノラマ画像が記事に追加されました。
謝恩碑がどんな地元の人にとって存在なのかということが、景色の面からとてもよくわかる画像です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AC%9D%E6%81%A9%E7%A2%91_(%E7%94%B2%E5%BA%9C%E5%B8%82)#/media/File:Panorama_from_site_of_Kofu_Castle_(South).JPG
 
この画像を撮影したのは「そらみみ」さんという方で、2014年3月に撮影した写真をウィキディア・コモンズにアップロードしてくださっており、そこからウィキディア日本語版の記事に呼び出されて表示されるという仕組みです。
 
昨日執筆された謝恩碑のトップに現在表示されている画像は、あらいしょうへいさんが昨日撮影したものです。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Shaonto_Tower_in_the_site_of_Kofu_Castle_20170723_4.jpg
 
昨日のイベントでの、オープニングセレモニーのテーマ紹介では、テーマのほかに画像があったほうが紹介するときに執筆者の方々のイメージがわきやすいと思い、簡単な概要と画像、アクセスと図書館甲府駅現地の位置関係を落とした地図を一枚にまとめて作成したのですが、作成時には当然あらいしょうへいさんによる謝恩碑の画像は存在していないので、「恩賜林」の記事に表示されていた画像を使用しました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%A9%E8%B3%9C%E6%9E%97
この画像もまた「そらみみ」さんによる画像で、今回のパノラマ写真と同じ日に撮影されたもののようです。


そらみみさんは精力的に撮影画像をウィキディア・コモンズにアップしてくださっている方であるということが、投稿履歴からわかります。
https://commons.wikimedia.org/wiki/Special:Contributions/%E3%81%9D%E3%82%89%E3%81%BF%E3%81%BF
 
ウィキペディアへの関わり方は本当に様々で、いろんな視点から、それぞれの得意分野で、やりたいことをやれるという魅力があります。
 
いつからか投稿履歴には感謝ボタンがつくようになっています。編集をしていて、あるいは閲覧をしているときに、誰かのおかげで知識が得られるということを表現したくなったら、感謝ボタンを押してみてください。

 

「Citation Hunt」
https://tools.wmflabs.org/citationhunt/ja

 

 

太田 尚志 (Ota Takashi)さんがこのシステムにウィキペディア日本語版を追加するようご尽力してくださったのは少し前でした。

 

 

ウィキペディアの編集では、文章に出典をつけることが基本的な決まりごととして重要な方針となっています。
このシステムは、記事の中にある”{{要出典}}タグ” をランダムに表示し、出典をつけてみませんかと促すものです。

 

 

誰かの手によって「ここには出典が不足してるので、出典をつけてください」という印(タグ)がつけられている部分を抽出しているわけです。
そんなタグをつけるほど知りたいのならば、タグをつけたい人が自分で調べるなどすればいいのですけれども、まあなかなかそういうわけにもいかない事情があるのか、このタグがついたまま何年も経過しているものあります。

 

 

さて、今日「Citation Hunt」を見ていたら、「平和祈念像」(長崎県にあるもの)の記事中の
"平和祈念像のモデルはハッキリと特定されておらず、長崎県大村市(旧 東彼杵郡)に住んでいたこともある力士・プロレスラーの力道山とする説と、徳島県脇町出身で柔道・レスリング等の指導者であった吉田廣一(通称、「せんとうはん」)という説がある[要出典]。"
が表示されました。

 

 

より詳しく記事のソースを見ると、
{{要出典|date=2012年9月|title=力道山説、吉田廣一説、それぞれの出典をお願いします}}
と、書かれていましたので、さしあたってWeb上にこれらの説を記載している場所がないか探してみました。

 

 

気を付けたことは、ブログやSNS、質問サイトなどは出典に適さないということと、ウィキペディアに書かれていたことを参考にしているサイトではないことです。
後者は日付などで確認するのですが、なかなか難しい。

ただし、今回の場合は、「このふたつの説がある」ということだけ示す根拠があればいいのですから、そこまで厳密な根拠が出典に求められるわけでもなく、”ないよりもあるほうがましである出典をつけること”は有効ではないかと考えました。

 

そんなわけで、こんな編集をしました。

https://ja.wikipedia.org/w/index.php?diff=64491253&oldid=64404460

 

で、何が言いたいかと言いますと、
ウィキペディアの編集に慣れるために

「Citation Hunt」
https://tools.wmflabs.org/citationhunt/ja

Wikipedia:出典を明記する」
https://ja.wikipedia.org/…/Wikipedia:%E5%87%BA%E5%85%B8%E3%…

などを活用していただけると良いなーと。

 

第1回ウィキペディアタウン 沼津 4/9

【海獺レポート】
沼津のウィキペディアタウン編

まずは『実は』の話になってしまいますが、最初に沼津でウィキペディアタウンが開催されると知った時(後から小俣さんがやるなら大丈夫かなと思ったものの)、なにかあってせっかくの開催がうまくいかなかったりしたら、続けてやっていくモチベーションが下がってしまうかも、との老婆心から一般参加を決めました。なにかあったら対応するつもりで。

それと古墳に詳しい、のり″インテル入ってる″まきさんにも早めに声をかけ、ご都合が合えばいきませんかと。これも後で聞いたら沼津はのりまきさんにとってゆかりの場所なのだそうです。

参加を表面した時、主催者の市川さんご夫妻とはFacebookでもお友達ではなく、お会いしたこともありませんでした。ただ坪井さんとはお友達だったので間接的には繋がりがあり、坪井さんにはたぶん市川さんご夫妻に『あいつらは、こんな奴らだ』的なお話をしてくれていたかも知れません。

さて、主催者の数だけウィキペディアタウンのやり方があります。
今回、とても感心したのは、記事編集対象がきちんとフォーカスされていて、地元の古墳記事を充実させるという目的がしっかり提示されていたことです。
これにより、参加者もウィキペディアタウンはよくわからないが、古墳のことをなんかするという共通認識があったように思います。

市川さん夫妻による、主催の目的に関するお話でもそれは顕著で、国、県、市の指定文化財の話、古墳の話があり、私はいつものウィキペディアウィキペディアタウンのお話をしました。

ここにも事前には多少の懸念がありました。
昨日Googleマップを見てくださいとポストしましたが、高尾山古墳は道路計画線上にあり、参加者の中には古墳の保存寄りの運動をしている地元の方もいるとの事。
私は保存なのか道路計画を推進するのかの意見は持っていないし、ウィキペディアでも当然偏りがあっては行けないデリケートな題材です。
もしかすると展開によっては、プロパガンダ的な編集が行われる可能性もあるのでは?と。
結論からいうとこれらは全くの杞憂でした。

私は話の中で、中立的な観点のところをいつもよりも少しだけ詳しく、原発推進反対の例も交えつつ、個人がどう考えていても、偏ることのないように、偏りは自分では気づきにくいものでもあるという話と、ウィキペディアは誰でも編集できるので、行った編集が書き換えられる所でもあるというおはなしを強調しました。
はい、杞憂でした😃

もうひとつ感心したポイントは市の文化振興課の学芸員さんによる古墳の解説です。たくさんの資料を携えてお話を頂きました。私のような古墳なにそれ?おいしいの?のものにもわかりやすく、興味を抱かせる内容で、学芸員さんはフィールドワークにもご同行下さって、現地の説明をして下さいました。

のりまきさんはウィキペディアの編集者として、古墳記事はどのような点に注目して書くのかのレクチャーを3分(10分)して下さいました。
Facebookのタイムラインでもそれ聞きたいという声が出ていましたが、こちらも参加者の方が身を乗り出して聞いてくださってました。

会場を後にし、2箇所の古墳へ。
ご飯はそれぞれ別々に。
編集会場の市立図書館は駅の反対側なので、市川のぞみさんの車ににハロワンド、のりまき、海獺がのせてもらい、ランチ。

午後からはいつもの濃密な時間。
プロジェクター、電源コードなどの機材を主催者がちゃんと用意して下さっていて、図書館や大学などの団体が行うのでなはいイベントにしては(いや、だからこそ?)痒いところに手が届く運営でした。(*゚▽゚ノノ゙☆パチパチ

メディアの取材もあり、写真のアップロード講座もあり成果発表まで、参加者の皆さんの笑顔と自然発生拍手は起き続け、大成功です。

沼津でのウィキペディアタウンは今後、遺跡コンプリートまでガンガン開催予定とのことで、毎回私が行けるかどうかということも含め、地元に近いお住まいのハロワンドさん(ウィキペディア日本語版管理者)に今後はメインを任せるつもりで、バックアップしていきたいと、画策してまいりました。

いやー良かった良かった。
雨が心配されてましたが、降られた感じはほとんどなく。傘もいりませんでした。

晴れ男 のりまき恐るべし😆

加筆!

参加者のお1人が沼津市立図書館の司書さんでした。リファレンスどんとこいの感じが頼もしかったですし、ブックトラックにいっぱいの資料も用意されていました。
実は沼津市立図書館の記事はまだないんです(ご存知ですよね? Cantabrio Asturioさん)。
お話を振ってみたところ、身内やイベントで記事が出来るより、どなたか作ってくれた方が個人的には嬉しいとおっしゃってました😊

WikipediaTown 沼津 ~沼津の古墳をデータ化しよう!#2~  6/3

WikipediaTown 沼津 ~沼津の古墳をデータ化しよう!#2~
らっこれぽーと。
 
沼津駅北口に8:30集合だよっ!
これはなかなかのハードルなのですが、お天気もいいので移動中にテンションが上がります。
前回は小田原からパスモで行ってしまい、沼津で「ピンポーン。係員のいる改札で・・・」と止められましたが熱海から先(?)はJRの区分が違うとかで交通系ICカードだとそのまま通れない模様。
 
 
時間より少し前に沼津駅に着くと、もうすでに笑顔がいつも素敵な主催者のNozomi Ichikawaさんが待っていてくれました。ここから会場までを車で送ってくださることになっています。
裾野市坪井 正人 (Masahito Tsuboi)さんもほどなくいらっしゃり、今回の講師の(ウィキペディア日本語版の管理者のひとりである)ハロワンドさんも到着。遠路京都から前泊ので参加のStroly 高橋さんも少し遅れて到着。早朝からホテルの自転車を借りて、Nozomiさんオススメのおいしい朝ごはんを堪能なさったようです。Code forの若手Shuta Kudoさんはもっと遅れるとのことで置いていきましょうということに。
 
 
一路「沼津市役所 金岡地区センター」へ。沼津駅の北側2Kmほどのところにあり、歩くと2~30分はかかってしまうので、車で快適移動です(バスもあるはずだけど)。
参加者は20人ほどかな。
ここで、Nozomiさん、市川 博之 (Hiroyuki Ichikawa)さん、によるイベントの趣旨説明と、ハロワンドさんによるウィキペディアウィキペディアタウンの説明、高橋徹さんの地図に関する説明があり、学芸員さんによる古墳の説明がありました。そうこうしているうちに10時。
本日はじめてお目にかかるウィキペディアン、創田季近さんからメッセージがあって「沼津市役所 金岡地区センター」の場所を聞いたら「沼津市役所」(駅の反対側の狩野川の向こう)に案内されてしまい少し遅れますと書いてあるので「もしわかんなくなったら泣いてください」と返信。めでたく10時少し前に着いて、合流。初めまして。
ウィキペディアの重鎮のりまきさんの姿が見えません。
(・_・ ) ( ・_・)キョロキョロ
 
 
さて、再び数台の車に分乗して(私はCodeForの髙木さんの車に、たかぎさんのぼっちゃんと、創田さんと一緒に乗せてもらい「清水柳北1号墳」へ。古墳のそのものについてはウィキペディアに出来上がった記事を見ていただくとして。
既に昨日レポートした通り、今回も学芸員さんが現地まで同行してくださって、学術的な背景から、公表されていること、研究結果としては未公表のこと、それに対する考察など、そこにいる人しか味わえない知的な情報がもたらされます。
工業団地開発に伴って移築されていることや、ウィキペディアでは記載できない類いの情報など(主に情報の合成となってしまうような見解)エピソードが多い古墳でした。
 
 
再び車で移動。次の場所は子ノ神古墳。
ウィキペディアの中の人のひとりとして、記事の題材という視線で対象を見るとき、どれくらいの特筆性があって、記事の文章量はどれくらいになるだろう、編集作業分担はどうすればいいのかななどと、考えながら現地調査の場所に赴きます。
ひとつめの「清水柳北1号墳」でも「北の他に南はある?」「1号のほかには2号3号はある」とか、そういっためちゃくちゃ単純な疑問点をつぶしていって、閲覧者が理解しやすくて他の関連情報に行きやすいような記述をイメージを膨らませていました。
 
 
この「子ノ神古墳」は、1956年に行われた近くにある長塚古墳の発掘調査の時に測量調査が行われ、1970年には沼津市の史跡に指定され、その後は1999年沼津市の遺跡発掘調査は本格的な発掘は行われず周溝が確認されるなどの簡易的なことしか行われていないようで、いわゆる未調査の遺跡。前方後円墳の(壊された? 崩れた?)前方部分跡には神社が建っているけれども、それもよくわからず。未調査なので年代の確定もなかなか難しくて、あっちにあるあの古墳と形状や規模が似ているなどの説からの推測しかできません。(教育委員会による記述もちょっとあてにならない面があるとかないとかむにゃむにゃ)
さて、ウィキペディアにどう書くか。
 
 
お昼ごはんは食べたいもので挙手をして(海鮮、洋食・・など)それぞれ車に分乗し、13:30に沼津市立図書館の4階で合流しましょうという流れ。
私の今回の最大の目的は海産物を食べることでもあるので、Nozomiさん、高橋さん、創田さんとともに、駅前の流れる(回るではなく)お寿司屋さんのランチへ。私は炙り丼をいただきました。冷奴とアオサのお味噌汁がついて丼は結構なボリュームで税込み1,000円。ああ、地元にもあればいいのに。
となりの創田さんがアオサの味噌汁で幽体離脱してましたね。
 
楽しいごはんの後は、いよいよ編集作業。駅をはさんで南側の沼津市立図書館へ車で向かいます。
 
 
50人弱がセミナーで使えるくらいの規模の部屋で、ホワイトボードもスクリーンも完備。機種によってはWi-fiルータが多少入りにくい?
 
ここで改めて自己紹介コーナー。司書さん多め?
どこまで紹介して良いかわからないのでお名前を出しにくいですけども、前回から引き続きの方も多くて、アットホームなムードで編集スタートです。
 
難航しそうな「子ノ神古墳」の編集サイドに私はいるようにし、創田さんと「子ノ神古墳」の名称をググるなどしながら、曖昧さ回避ページの作成と、記事名の決定、インフォボックス埋めを任せちゃいました。
 
坪井さんには交通アクセスなど、高橋さんは画像などと分担してくださり、お三方の司書司書ロッカーには、内容をお任せ。これでだいたい役割が決定。
私が持ち込んでいるノートPCにて、それぞれログインとログアウトを繰り返しながら、少しずつ記事を作成していきます。
 
「清水柳北1号墳」のほうはハロワンドさんと Keiko Fujiiさんがいるのでもうお任せ。
 
 
ここでのりまきさん登場。
前回のウィキペディアタウン沼津での題材「高尾山古墳」について、今日のイベントに同行せずに前乗りで沼津図書館にこもって文献を調べていたのだそうで、少々興奮気味に計画道路と古墳の関係の真実を突き止めたーとおっしゃっていました(この辺はおいおいウィキペディアに反映されることを期待します)。
 
途中書きかけのものをいじっている最中に、私のノートPCの電池がなくなってふーっと消えていくなどのアクシデントはあったものの、なんとか形になりました。
 
「清水柳北1号墳」
 
「子ノ神古墳 (沼津市)」
 
成果発表の後の創田さんによるコメントは、多くの人の心に響いたようです。Nozomiさんが取り上げてくださっている文章を、こちらにも再掲させていただきます。
ウィキペディアタウンで初めてウィキペディアを入力してみて、上手に書けなかった部分、できなかった部分があると思う。
うまくいかなかったから辞めてしまうのは自由だけれども、自分が出来た部分を見つめて欲しい。」
 
 
同様に、限られた時間の中でここまでできたということを、もっとたがいに褒め合いたいものです。
 
今これを書いている時点で、私のPCからのグーグル検索では
「清水柳北1号墳」「子ノ神古墳」も検索結果の3番目に昨日作ったウィキペディアの記事が、表示されるようになっています。
 
今回のイベントに参加したみなさんが成し遂げたことは、きっととてもすごいことであるし、関わった記事を今後も可愛がって下さったらなと思います。
 
あ、そうそう。
画像にあるように、ログイン状態で「履歴表示タブ」の右の星が青い状態だと、その記事はあなたのウォッチリストに入ってます。青くなかっったら、ぽちっとクリックすると青くなります。
すると、記事が編集されるたびに、ウォッチリストに反映されますので、編集されていく様を眺めることができます。活用してみてくださいね

5/27 その2

5月27日
成蹊大学鶴ヶ島ウィキペディアタウン その2

鶴ヶ島市は、東京から行くと川越の少し先。車に乗る人にとっては関越道の鶴ヶ島JCTとして馴染みがあるところ。お祭りなどに詳しいかたには4年に一度の『脚折雨乞(すねおりあまごい)』が知られています。

この日、吉祥寺から、砂生さんが迎えに来てくれる東武東上線若葉駅までの移動時間は1時間17分。新宿と池袋で乗り換え。

いつも笑顔の絵里奈様が(あ、砂生さんのことです)可愛い車で既に駅のロータリーで待ってくださいました。今日もサロンがステキ。
車のなかで鳥越館長に『図書館、カッコイイんだよー』と私から説明(あまり具体的でない)。

カッコイイ鶴ヶ島市立中央図書館について、会場に入るともうほとんどスタンバイOK。
(OKだったってことでいいですよね?律子様)

今回は時間の関係で、フィールドワークなし、資料はあらかじめ用意されている、講義は20分となっていますが、図書館関係者のかたばかりなので、内容を絞ってお話。

新しい試みとしては、先に財団の『事実が重要』という短い動画を見てもらい、自己紹介のあと、方針の話など。
最後に前述の『脚折雨乞』のウィキペディア日本語版の記事をプロジェクターに映して、記事の現状を見てもらい、さしあたってどうすればもっと良くなるかということで、用意しておいたWeb出典を使って、その場で編集しました(出典の追加)。

この動作により、
1.記事がどう変わったかの『差分の比較』
2.記事の編集履歴と、版が重なっていくということ
3.投稿者の投稿記録
4.要約欄とプレビュー
5.ウォッチリストとは何か
などが、一度の編集でどう紐付けられるのかが可視化され、理解しやすいと考えました。

その説明をした後に、もう一度、ほかの箇所に出典を付け、再度説明しながら、再確認しつつ、編集が利用者:海獺によって2回行われたことを印象づけました。

ええ、時間を見たら40分経過してましたね😨

今回のウィキペディアタウンの編集対象は、『鶴ヶ島市立図書館』の新規作成と、出典がほとんどついていない『鶴ヶ島市』の記事に出典をつけるというふたグループです。
絵里奈様チームは『鶴ヶ島市』、律子様チームは『鶴ヶ島市立図書館』の新規作成。

あらかじめ『鶴ヶ島市』の記事を大きめの紙にプリントアウトして下さっていて、出典がつけやすいところに赤ペンで印を付け、載っていそうな資料を探す方式。マークアップが印刷された資料の他に、同じものをwebにアップしてURLを短縮してメモってもらい、複雑なマークアップを手打ちせずとも、コピペでできるようにしました。
萬谷さんがとても積極的にテキパキと把握し、1人ひとつは出典をつけるという経験が出来たようです。鳥越館長も編集デビュー。
ちょっとの加筆もありました。資料から文章を作るという、藤井さんが再三おっしゃっていた壁が少しあったようです。

新規作成はちょっと難航しました。
インフォボックスを埋め、定義文を書いたところで、律子様のPCのウィキペディアの編集タブだけがフリーズ!あえなくロストで振り出しに戻る…という惨事が。
それでも林泰子様、岡本紀子様の不屈の闘志で乗り切り、律子様はダッシュで図書館を撮影するというフットワークを見せ、鶴ヶ島の『ヶ』を『ケ』にしたりしなかったりなど混乱を見せつつも、なんとか体裁を整えアップできました。
『もっと明るい時に撮影すればよかった〜』と嘆く律子様。

成果発表をしていただき、エラソに講評を。
いつも言ってますが『お家に帰ってもウィキペディアタウン』です。私のウォッチリストに入ってるので全然編集がされていないとわかりますよーと脅して、めでたく終了。

その後は図書館ツアー。
布製の本を、100円ショップの、中が透けて見えるファスナー付きのA4サイズの書類入れに入れて、フェイス陳列していたアイディアが素敵でした。

帰りも砂生さんが若葉駅まで、萬谷さんと、鳥越館長と私を送ってくれて、新宿まで両手に花で移動。
さすがに疲れて新宿までの電車で寝そうになってしまったけど、バレてないよね?😑

椎名林檎さんの『歌舞伎町の女王』の歌詞の話(じぇいあーる しんじゅく↑ー えきのー ひがしぐちをー でたルあー)などしながら鳥越館長を宿の前まで送り届け、ミッション完了。

みなみなさま、お疲れ様でした。

あ、えっと。
ウィキペディアタウンに前半だけいらしたお兄さんと、鶴ヶ島図書館のお兄さんが文中に出てこないのには、深い意味はありません😆

いつも不思議なのですが、絵里奈様と律子様は、海獺を見ると何故か笑います🤔🤔