Racco

ウィキペディアのこととか。

映画『ボヘミアン・ラプソディ』の評価を訂正します。

このブログでは、自分が知っている情報をもとに映画『ボヘミアン・ラプソディー』について何回かに分けて書いてきた。

これを書いている時点でまだ映画はロードショー上映されていて、海外でも応援上映が検討されているというニュースが入ってきている。

そんな中、ブライアンとロジャーのゴールデングローブ賞の2部門受賞に伴うインタビューが同賞を主催するハリウッド外国人記者協会によって行われ、新しい事実が判明した。

eiga.com



これにより、この映画の印象を変えざるを得ないので、訂正の意味も込めて書かせていただく。

上記のインタビューでブライアンはこういっている。

――ではライブ・エイドのときは、彼がHIVに感染していることは知らなかったのですね。

メイ「いや、彼が問題を抱えているのは知っていたし、放射線治療を受けているのも知っていた。彼が自分で告白するまでのあいだ、僕らはずっと疑っていたけれど、直接問いただす勇気がなかったんだ」

 またその前には

僕らは脚本を書いていないが、この映画でいくつかのを出来事が起きた時期をずらすことを許可している。

 とも発言している。

つまり時系列については、彼ら(May&Taylor)は許可という形である程度の意見を聞かれる立場ではあった。

とすると、史実でもライブ・エイドの時点で、フレディはフレディで自身の健康状態について何らかの異変をすでに察しており、少なくともブライアンは、フレディが問題を抱え、放射線治療を受けているのを知っていたという心理状態の中でライヴエイドに臨んだということになる。

役者による演技はもちろんのこと、彼らの楽曲とパフォーマンスが映画の感動を呼んでいるというだけでなく、そのパフォーマンスには彼らなりの理由が存在していたということになる。

つまり、映画で描かれた結束は、(知られていなかった)事実ということだ。

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これまではジム・ハットンによる本「フレディ・マーキュリーと私」の中で、1987年に検査を受け、フレディは自分がエイズにかかっていることを知り、アルバム「The Miracle」(1989)を製作中にメンバーに伝えたということが事実として伝わっていた。

Lesley-Ann Jones.による「フレディ・マーキュリー~孤独な道化~」ではBarbara Valentinによる発言として、1985年にフレディは検査を受けたと書かれていることを教えてくださった方もいて、「多くの報道とちがい、バーバラはこれを85年だったと信じている」というような注釈がついていることから、ながらくは1987年のジムの記述が信じられてきた。

しかし、ブライアンの今回の発言は、時系列からしてもバーバラの記憶と合致してることになるので、「フレディはライヴエイドの時点で、体の異変に気付いていた」ということになる。

ブライアンは知っていたからこそ、この映画の多少の時系列の前後を気にしてなかったのかもしれない。

映画が成功すると、こうしていろんなことが明らかになるのだなと改めて感じる。


初心者のためのクイーン楽曲ガイド

YouTubeのクイーンのオフィシャルチャンネルでは、なんとクイーンのほとんどすべての楽曲が聞けます。https://www.youtube.com/user/queenofficial

なので映画『ボヘミアン・ラプソディ』のサントラやベスト盤を聴いてみたけど、もうちょい沼に浸かりたい方向けに、このあたりを聴いてみて、よかったらアルバム単位で聴いてみてくださいのガイド的なものを書くことにしました。

クイーンは1978年の『Jazz』まで、レコーディングするときはアルバムを作り、シングルは出来上がったアルバムから選ぶというやりかたを守ってきました。
つまりある意味で、アルバムという姿を通して聴くのが、クイーン自身が聴いてもらいたいスタイルであると言えます。
ですから、ベスト盤に飽き足らず、よりもっとクイーン堀り下げたいという方は、せめて『Jazz』まではアルバムを通して聴いていただきたいなと。

1980年の『The Game』以降は、シングル先行になったことと、シンセサイザーの導入により、楽器のプレイについては70年代ほど冒険をしなくなったような気もするので、絶対にアルバム単位で聴いてねというお勧めはしません。

 

『The Game』までのアルバム順と主な曲はこんな感じ

1973 Queen 「KeepYourself Alive」

1974 Queen Ⅱ 「The Seven Seas Of Rhye」

1974 Sheer Heart Attack 「Killer Queen

1975 A Night At The OperaBohemian Rhapsody

1976 A Day At The Races「Somebody To Love」

1977 News Of The World 「We Are the Champions

1978 Jazz 「Don't Stop Me Now」

1980 The Game 「Another One Bites The Dust」

 

年代順に古いアルバムから聞いていただくのがいいのですが、それはそれとして、 今回は「こんな曲があるよ」という感じで進めます。


では、はじまりはじまり。

 

【ブライアンのギターに興味を持った方は】

「プロセッション」  Queen

youtu.be


ジョン・ディーコンが作ったアンプ「Deacy Amp」によるギターの多重奏がアルバムのオープニングを飾ります。

 

「グッド・カンパニー」A Night At The Opera

www.youtube.com

この曲では、クラリネットトロンボーン、トランペットなどのディキシーランド・ジャズをギターで再現しています。


「タイ・ユア・マザー・ダウン」A Day At The Races

www.youtube.com



無限音階とよばれる、音程はどんどん上がっていくのに、まるでだまし絵の階段のように昇り詰めることなく続くイントロ。

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などはいかがでしょうか?

それまでは、ブライアンのようにギターの音を幾重にも重ねて録音して、オーケストラのような効果を得たり、色んな楽器を模したりを突き詰めた人はいませんでした。

 エレクトリック・ギターの歴史からいけば革命的な試みで、ジミ・ヘンドリックス、エディ・ヴァン・ヘイレンマーク・ノップラー、などのギタリストのように、ギターの可能性を拡げたギタリストと言えると思います。

ブライアンの使っているギターは手作りのものであるというのも有名です。

レッド・スペシャル - Wikipedia

 

初期のアルバムには「シンセサイザーは使っていません」とわざわざ表記されていました。


【ジョンのベースに興味を持った方は】
ベーシストとしてのジョンは、派手なプレイはあまりないという印象や評価が多いようですけれども、ルートをダダダダダダと弾き続けるようなシンプルなプレイは驚くほど少ないです。


「ジェラシー」Jazz

www.youtube.comいわゆるロックのベーシストのアプローチとしては、とても珍しいベースラインです。

「ミスファイア」Sheer Heart Attack

www.youtube.comこちらはジョン自身の作曲によるものですが(アコースティック・ギターのほとんどもジョン)、この曲にベースをつけろと言われても、なかなか思いつかないラインです。
曲の骨格は「ブレイク・フリー」に近いところもありつつ、両極のベースラインのアプローチで全く違う曲調に聞こえるというわけです。

 

「ゲット・ダウン・メイク・ラブ」News Of The World

www.youtube.com

「アンダー・プレッシャー」はベースのリフが印象的な曲です。この曲も同様に、フレディのピアノの左手に合わせつつも、ベースが独立しているような雰囲気を醸し出し、曲を彩る細かい動きがちりばめられています。


【ロジャーに興味を持った方は】
70年代のロジャーの楽曲は、ロジャー自身がギターやベースをプレイしているものがあります。

 

「さまよい」A Day At The Races

www.youtube.com

ロジャーには「Radio Ga Ga」や「カインド・オブ・マジック」「輝ける日々」などの評価が非常に高い楽曲がありますが、個人的にはロジャーが歌った曲の中ではこれが一番素晴らしいと思っています。


「フリック・オブ・ザ・リスト」Sheer Heart Attack

www.youtube.com

テンポとしては速いと言えるほどではないのに、ロジャーのドラムのアプローチでサビ部分やギターソロ部分からはものすごい疾走感を感じます。

「シーサイド・ランデブー」A Night At The Opera

www.youtube.com

クリームのジンジャー・ベイカーみたいなドラマーとしてブライアンの前に姿を現したドラマー、ロジャー・テイラーが、フレディによる様々な曲調の楽曲にどのようにドラムアレンジをしていったのかは興味がつきません。

0:58からの不思議な音は、フレディとロジャーがマイクに口を押し当てて出している音で、まあるい優しい感じの音がフレディ、金管楽器を真似ているのがロジャーです。


【フレディの歌に興味を持った方は】

「谷間のゆり」Sheer Heart Attack

www.youtube.com

 

「ネヴァーモア」Queen

www.youtube.com

 

「ドゥーイング・オール・ライト」Queen

www.youtube.com

これら3曲はいずれもファルセットの美しさが際立つ曲で、後期の力強い声とはまた違った、繊細で嫋やかな歌唱が印象的です。


【バンドとしてすごい】
すごいにはいろいろあると思いますが、この3曲を挙げます。

「デス・オン・トゥー・レッグス」A Night At The Opera

www.youtube.com

ピアノによるロックソングでこんな風にエッジを残しながら且つエレガントに聞こえてしまうという不思議な曲です。ブライアンは、フレディの作ってきた曲にギターを載せていくのはいつだってチャレンジだというようなことを言っていました。

 

「ザ・ミリオネア・ワルツ」A Day At The Races

www.youtube.comこの曲こそが「豪華で華麗なクイーンの集大成」ではないでしょうか。楽曲に対する深い理解がなければ、メンバーひとりひとりのプレイに昇華されなかったと思います。
ボヘミアン・ラプソディ」の衝撃があるのでこの曲は埋もれがちですが、ポップからも逸脱しかけている危うさもあり、非常に完成度が高いように思います。

 

「フェアリー・フェラーの神業」Queen

www.youtube.com

挙げた3曲はいずれもフレディの作曲ですが、フレディのイメージする世界を超えたレベルでメンバーのプレイが光っています。

ただし、この曲は複雑なコーラスワークも含め、錯綜するアレンジの緻密さは、インスパイア元の同名の絵画と同じく、フレディの偏執狂的ともいえる細部まで神経が行き届いた仕上がりになっています。

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Richard Dadd
The Fairy Feller’s Master-Stroke
1855–64

 

 

 

映画『ボヘミアン・ラプソディ』を数回見て気づいた結論

ロックフィールド・スタジオでのシーン。

 

ポール・プレンターと『Love Of My life』を作曲中のフレディの間のやり取り。

フレディのことは理解できてるというポールに対して、


『願望を投影してるだけだ』と返す。
( "You just see what you want to see." )

 

これはあくまでポールに対するセリフで、それ以上もそれ以下でもない。おそらく脚本家が書いたセリフだろう。

 

フレディは生前、自身の生い立ちや健康状態などをほとんど公にしてこなかった(ザンジバルバルサラは明かしていたが)。

 

死後に明らかになったいろいろな関係者による言葉が紡がれて、フレディ自身の情報が明らかになった。もしかすると、今、″事実″として共有されている情報にはフレディが公にしたくなかったものも含まれているかもしれない。

 

何度か映画を見て、フレディについて、彼が書いた曲について、色々と分析をしていくことは、誰かの、或いは自らの『願望を投影してる』に過ぎないと、改めて感じる。

 

 

 

映画『ボヘミアン・ラプソディ』と実際の時間軸の対応表

追記:これを書いていた時点で知られていなかった事実が判明したため、2019年1月11日に訂正記事を書きました。併せてお読みください。

映画『ボヘミアン・ラプソディ』の評価を訂正します。 - Racco

 

 

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一覧にしてみた

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映画『ボヘミアン・ラプソディ』を見終わった人へのガイドみたいなもの その3

映画を見てから読んでくださるほうが良いと思います。
ネタバレを多く含みます。

追記:これを書いていた時点で知られていなかった事実が判明したため、2019年1月11日に訂正記事を書きました。併せてお読みください。

映画『ボヘミアン・ラプソディ』の評価を訂正します。 - Racco

 


 

CBSからのソロのオファー

いよいよ時系列がややこしくなる。ポール・プレンターがジョン・リードに「CBSからフレディにソロの話が来ている」と伝えるシーン。

1978年1月にジョン・リードとクイーンのマネージメント契約は解消された。フレディのロールスロイスの中での契約解消は史実として伝えられていることと同一。ただし映画のようなやりとりがあったかどうかは不明。

ジョン・ディーコンが中心となってマネージメント周りの再考がなされ、1978年の初頭にジム・ビーチとバンドでクイーン・プロダクションを設立している。

We Will Rock You」の発表後すぐにジム・ビーチと離れた、という部分では流れとして合致しているが、実際には1977年のことであり、ロジャー・テイラーがソロ・アルバムをリリースしたのは1981年であるので、ソロ活動についてフレディがオファーを受けることについての反応から映画上では1981年以降のエピソードとなるはずである。
ともかく映画ではここでフレディへのソロ・アルバムのオファーの話があり、今後のグループとしての活動に影を落とすという流れになっている。

Another One Bites The Dust

「Another One Bites The Dust」はアルバム『The Game』(1980年リリース)に収録されている曲で、ジョン・ディーコン作曲。
1980年8月にシングル・カットされ、全米1位を獲得した。マイケル・ジャクソンがシングル・カットを勧めたとも伝えられている。

Another One Bites the Dust - Wikipedia

訳詞:http://www5f.biglobe.ne.jp/~lerxst21/queen/game.html#bitedust

映画ではディスコっぽい曲調に他のメンバーが難色を見せているように描かれているが、前作アルバムの『Jazz』にはロジャー作の「Fun It」というディスコ調の曲が収録されていることから、さほど抵抗はなかったと想像できる。むしろ他のメンバーが作ってきた曲の素材を(自分自身の好みとは切り離して)どう生かしていくかに注力されてき始めたのがこの時期である。
この曲のシンセサイザーのように聞こえる音は、実際にはピアノやギターなどの逆回転音である。

また、映画ではフレディとロジャーがケンカをしているが、実際にはブライアンとロジャーのケンカのほうが多かったようである。なだめる役がフレディ。

ジム・ビーチがマネージメントも請け負うシーンもあり、史実は1978年。

映画はレコーディングのシーンからすれば1979年から1980年にかけてのエピソードをモチーフにしている。

Hot Space

アルバム『Hot Space』リリースに伴う、記者会見のシーン。
『Hot Space』は1982年5月のリリース。
前述したように、ロジャーのソロ・アルバム『Fun in Space』は1981年の4月。
それ以前にもロジャーは単発のシングルを1977年7月にリリースしている。

『Hot Space』にはデヴィッド・ボウイとの共演作「Under Pressure」やアルバム全体のファンクやディスコっぽいイメージと、クイーンとしては最も異質な問題作と位置付けられている。

史実としての時系列を追っていくと

  • 1979年10月のシングル「Crazy Little Thing Called Love」がリリース(ジョン・レノンを音楽活動に戻すきっかけになったと言われている)
  • 1980年6月、アルバム『The Game』リリース
  • 1980年11月、ジョン・レノンが5年ぶりのアルバム『Double Fantasy』をリリース
  • 1980年12月8日 ジョン・レノンが殺害される

1982年リリースの『Hot Space』には2曲のジョン・レノンへの追悼曲が収められている。

つまり、フレディからしてみれば「自分が敬愛したジョン・レノンが、自分の曲によって音楽活動を再スタートさせたために殺されてしまった」と解釈できる時系列になっている。

クイーンは、1982年が終わるころから1983年の前半までグループとしての活動を休んでいる。ソロ・アルバム等の作成のため当初一年間休もうという話だったようだが、休止中もメンバーはよく会っていたようだ。 

I Want To Break Free 

I Want to Break Free - Wikipedia

訳詞:http://www5f.biglobe.ne.jp/~lerxst21/queen/works.html#breakfree

「I Want To Break Free」 (ブレイク・フリー 自由への旅立ち)は1984年2月にリリースされたアルバム『The Works』からの2枚目のシングル曲。シングルのリリースは1984年4月。作曲はジョン・ディーコン。
この曲はプロモーション・ビデオでメンバーが全員女装をし(いわゆるソープ・オペラの「コロネーション・ストリート」のパロディ)、中間部ではフレディがバレエの「牧神の午後」のニジンスキーに扮するなど、非常に話題になった。

映画ではこの女装のアイディアで、一部のテレビ局でビデオが放送禁止になりアメリカの聴衆を失ったなどの諍いの種として描かれるが、史実としてはその他にももう少し深刻な背景があった。

この曲の歌詞からメッセージ性を感じ取ったアパルトヘイトに反対する団体やアフリカの民族会議運動に参加している人々にとっては、文字通り自由を勝ち取るためのテーマソングになっていた。

1984年の10月に南アフリカサンシティでライヴを行ったこと自体も物議をかもしたが、フレディはアンコールでこの曲を歌う際に、ビデオと同様の女装をして現れ、ときには衣装を持ち上げて作り物のバストを聴衆に見せるパフォーマンスを行った。
これに対して一部の聴衆は曲の威厳を損なうものだとして、ブーイング。
1985年1月の「Rock in Rio」でも同様の演出をし同様の反応があった。もっともこの後の曲でブラジル国旗をまとって登場したため、すぐに騒ぎは収まったようだ。

なお、時系列からすれば、ブライアンは1983年の10月にエディ・ヴァン・ヘイレンらとともに『Star Fleet Project』として、実質的なソロ・アルバムをリリース。
ロジャーが一部参加している。

1984年6月にはロジャーの2枚目のソロアルバム『Strange Frontier』をリリース。フレディ、ブライアン、ジョンがそれぞれ一部参加している。

Under Pressure

Under Pressure - Wikipedia

訳詞:http://www5f.biglobe.ne.jp/~lerxst21/queen/hotspace.html#underpressure


「Under Pressure」はクイーン&デヴィッド・ボウイ名義の曲。
この曲のリリース経緯は複雑で、当初クイーンにとって初のベスト・アルバムとなる『Greatest Hits』(1981年10月)がリリースされた際に、同時にシングルとして発売され、かつ『Greatest Hits』にも収録されていた。そののちに1982年5月リリースの『Hot Space』にも収録された。2018年現在では『Greatest Hits Ⅱ』に収録されている。

『Greatest Hits』は1981年のリリース当初、世界各国で収録曲が微妙に異なっていた。例えば日本盤には「Teo Torriatte」(手をとりあって)のシングル・バージョンが入っているなど。

曲の製作経緯は、1981年7月、クイーンが『Hot Space』のレコーディングをスイスで行っていた際に、ボウイがスタジオに遊びに来て、ジャム・セッションしているうちにアイディアが形になったものだという。

ロジャーはこの曲についてとても誇りに思っている。

 Who Wants Live Forever

Who Wants to Live Forever - Wikipedia

訳詞:http://www5f.biglobe.ne.jp/~lerxst21/queen/magic.html#liveforever


1986年6月リリースのアルバム『A Kind Of Magic』からの曲。
つまり、時系列的にはLive Aidよりも後の曲で、映画の中ではフレディが自分の体の不調に気付き、診察を受け、鏡に向き合うシーンで流れる。

上記サイトから訳詞を一部引用する
 

僕たちに、残された時はない
僕たちに、残された場所はない
ともに築いてきた夢を支えてきたものは、
僕らの手をすり抜け、何処かへ行ってしまった

永遠に生きたいと、誰が思うだろう
永遠に生きたいと、誰が望むというのだろう

 

ブライアンによるこの曲の歌詞は映画のシーンにぴったりだが、実はこの歌詞はフレディの病気とは全く関係がない。

この曲は映画「ハイランダー」のために作られた曲で

ハイランダー 悪魔の戦士 - Wikipedia

主人公は首をはねられない限り永遠の生命を持ち続ける設定で、全く老いていかない彼と、死んでいく妻との別れのシーンのためにブライアンが書き下ろしたもの。

 Mr. Bad Guy / I Was Born To Love You

ソロ・アルバムのためにメンバーと仲たがいし、曲作りをするシーン。
後に「Mr. Bad Guy」として1985年4月にリリースされることになるこの作品の曲は、『Hot Space』(1982年)、『The Works』(1984年)のために作られた曲のうち、グループでは受け入れられなかった曲も含まれている。つまり曲の素材そのものは1981年には既にあったものが含まれる。

前述した通り、ソロ・アルバムを作るのか?!という映画上での他のメンバーからの反発は、実際にはなく、ロジャーは2枚、ブライアンはソロ・プロジェクトとして1枚、すでにリリースをしており、1983年のグループとしての休暇を利用して制作されたアルバムである。ただし、映画にあるようにCBSとの契約金は相当な額だったようだ。

満を持してのフレディのソロアルバムだったが、結果的にグループのものほど売れ行きが良くもなく、評価も飛びぬけてよいものではない。映画にあるようにスイスで雇ったミュージシャンへの失望もフレディにはあったようだ。

では、この時期にメンバー間の確執はなかったのかというとそうではなく、1983年に一年間の予定で休もうということになったのも、アルバム、ツアー、アルバム、ツアーとずっと働き詰めであったためにあまりにもメンバー間の距離が近くなりすぎて、少しのことで諍いが起きていたようだし、解散という文字もちらついた時期があったようだ。

1984年2月のサン・レモのバックステージでは、ブライアンとロジャーが壮絶なケンカをしたというエピソードも伝えられているし、1985年5月まで続いた日本公演(実質的に最後の日本公演になった)の後にも、グループとしてのモチベーションは上がらず、解散するのではないかと言われていた。

映画の中で活動再開の条件として「作曲クレジットを全員にする」というものがあったが、実際にはライヴ・エイド後のアルバム『A Kind Of Magic』でも、1曲を除いてメンバーの名前(共作もあり)になったままで、作曲者が「Queen」と統一表記されるようになったのはその次のアルバムである『The Miracle』(1989年リリース)からである。

つまり、実際には、ライヴ・エイド前に、フレディと他のメンバー間で曲のクレジットをめぐる取り決めをしなければいけないような軋轢はなかった。またフレディに対して不信感を持つなどもなく、単にグループとしての方向性が見えず雰囲気があまりよくない時期であった。
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Live Aid

映画では、ライヴ・エイドのリハーサル中に、病気のために声が思うように出ないフレディが描かれ、メンバーたちに自分の病気について告白するシーンになる。

この映画を見た方の多くが言及しているが、このライヴ・エイドの前は、フレディは自身の病気に気づいていないし、おそらく感染もしていない

喉の炎症はあったと伝えられているが、それは病気のせいではなく長年の酷使によるもので、まして喀血をしたという事実も伝わっていない。

フレディに対して診断が出たのは1987年と言われており、ライヴ・エイドの2年後である。メンバーがフレディから聞いたのはさらにその2年後、1989年である。

映画の演出や物語として「グループが険悪になり、フレディが病魔に侵され、歌に対する不安を抱える中、ライヴ・エイドで素晴らしいパフォーマンスをした」ということをクライマックスにすることは、史実とは全く違うが、致し方がないのかもしれない。

事実はもっとシンプルだ。
グループのモチベーションが上がらない中、これ以上ないほどのビッグステージを与えられ、クイーン自身がクイーンというのは何者なのかを気づく機会になったのがライヴ・エイドである。


その後の『A Kind Of Magic』(1986年)でも、映画のための曲作りという外的な刺激を伴ってアルバムづくりをし、1986年をもってツアーをやめ、さらに2年以上かけて『The Miracle』(1989年)ではQueenの作曲クレジットと顔をひとつに合成したジャケットで一体感を出したが、時期的にはこの結束こそがフレディの体調によるものだった。


3回にわたって書いたが、言いたかったことはこうだ。


ライヴ・エイドのクイーンは、ただただすごい。
「世界中にクイーンのすごさを思い知らせてやる」とばかりに、本人たちが気合を入れて臨んだ結果なのである。

そこには映画のようなメンバー間の契約条件も、フレディに対する他のメンバーとの軋轢も、フレディの体調も全く関係がない。

 

 

 

 

 

 

 

映画『ボヘミアン・ラプソディ』を見終わった人へのガイドみたいなもの その2

映画を見てから読んでくださるほうが良いと思います。
ネタバレを多く含みます。

追記:これを書いていた時点で知られていなかった事実が判明したため、2019年1月11日に訂正記事を書きました。併せてお読みください。

映画『ボヘミアン・ラプソディ』の評価を訂正します。 - Racco

 

 

 

『Sheer Heart Attack』の次のアルバム

先日も書いたが、映画に登場するEMIの担当者であるレイ・フォスターは架空の人物である。同席しているのは、マネージャーのジョン・リード、グループの世話係のポール・プレンター、そして弁護士のジム・ビーチ。実際にジムは”マイアミ”と呼ばれていたらしい。

史実ではジムは1975年1月にクイーンと出会っている。トライデントとの契約に関して相談を受けた。
1975年4月には初来日を果たし、その歓待ぶりはメンバーに強い印象を残す。


1975年5月1日の武道館が初来日の最終公演で、ビデオ撮影が行われている。

Queen - Live in Tokyo 1. May 1975 - Killer Queen / In The Lap Of The Gods revisited - YouTube

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トライデントとの関係を断ち切り、ジョン・リードがクイーンのマネージャーになるのは1975年9月。ただしトライデントとはすっぱり切れたわけではなく、以降の印税の1%を支払い続けるという条件が課せられたそうだ。1977年までこの条件は継続した。
そのためか『A Night At The Opera』の当時のアナログ盤の中ジャケットには、Management - John Reidと記されているものの、その下に大きくトライデントのロゴが記されている。


『A Night At The Opera』のレコーディング準備は、日本公演の直後の5月から始まり10月までレコーディングが続いている。

つまり、映画で4枚目のアルバムについてミーティングをしている時点では、実際にはジョン・リードも、ジム・ビーチも同席していることはあり得ないことになる。

さて、映画ではビゼーカルメンよりハバネラのレコードをフレディがかける。
マリア・カラスによる歌唱ではないかな。

Carmen - Habanera - Maria Callas - YouTube


映画のスクリーンに田園風景が広がる。Rockfield(ロックフィールド・スタジオ)で『A Night At The Opera』の一部はレコーディングされた。他にSarm, Roundhouse, Olympic, Scorpio, Trident, Lansdome等のスタジオをも使用したとクレジットされている。
Tridentのスタジオも1975年の7月から8月半ばにかけて『God Save The Queen』のレコーディングに使用されていることから前述のロゴ表記につながっているのかもしれない。

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Trident Studio。フレディとベヒシュタインのピアノ

このころのリハーサルの画像が多く残っており、大半はRidge Farmという農場の中の施設のもので、ここではリハーサルはしているがレコーディングは行われていないらしい。

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Ridge Farm。ジョンとロジャー。

また、伝えられるところによると、Rockfieldでメンバーたちはマルクス・ブラザーズの映画『A Night At The Opera』(オペラは踊る)(1935年)を見たという。

オペラは踊る - Wikipedia
仮タイトルとして制作中のアルバムをこの映画の名前で呼んでいたということらしい。

 

Love Of My Life

Love of My Life (Queen song) - Wikipedia

訳詞:http://www5f.biglobe.ne.jp/~lerxst21/queen/opera.html#Mylife


フレディがメアリーのために作ったとされる曲。『A Night At The Opera』に収録。

スタジオ・バージョンではブライアンがハープを弾いている。

 

I'm In Love With My Car

I'm in Love with My Car - Wikipedia

訳詞:http://www5f.biglobe.ne.jp/~lerxst21/queen/opera.html#Lovemycar

映画ではこの曲をめぐって特にブライアンとロジャーの間で諍いが起こっている。

その背景となる史実は、この曲が『Bohemian Rhapsody』のシングルのB面になったため、作曲者であるロジャーに多額の印税が入ったことによって、後年メンバー間の不満が顕著になった原因と言われている。
それまでのシングルでは、フレディとブラインの曲でAB面とも占められており(日本でのみ『The Seven Seas Of Rhye』のB面にロジャー作曲の『The Loser In The End』がカップリングされたことがある)

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ロジャーとしては、シングルに自分の曲を入れたかったのかもしれない。

スタジオ・バージョンに入っている車の排気音は、当時ロジャーが乗っていたアルファ・ロメオのもの。

ライヴのこの曲は、1小節半歌って残りの半小節にドラムのフィルインをいれるパターンなので、非常にステージ映えがする。

www.youtube.com

Sweet Lady

Sweet Lady (Queen song) - Wikipedia

訳詞:http://www5f.biglobe.ne.jp/~lerxst21/queen/opera.html#Sweetlady

この曲のバッキング・トラックは少なくともベースとドラムは同時に録音されていて、

www.youtube.com

0:19~0:23あたりのベースのフレーズに、スネアのスナッピーが共振しているのが聞こえる。

また、サビに入るところではドラムのパターンが変わるが、歌の1番と2番のさびに入るところでは、ドラムだけ2小節ほど遅れてパターンが変わる(1:06と1:49)。4/4拍子の大サビ(2:15)あとの3回目のサビではしっかり切り替わるので(2:41)、もしかするとロジャーがこの曲の構成をしっかり頭に入れないまま、ベースがサビのパターンになったのを聞いてから合わせている可能性があり、これはこれでOKとなったのかもしれない。

Making Of ”Bohemian Rhapsody” 

ボヘミアン・ラプソディ」が作られるシーン。
ロジャーは小さいころ聖歌隊に入ってたらしく、フレディよりも音域が高い。コンサートにおいても高音パートをきちんと担当していた。ブライアンはコンサートではさほどコーラスに熱心ではないときがあるが、ロジャーは一時期「コンサートの役割の半分は歌うことだ」と発言していた。

ギター・ソロのレコーディングのシーンでブライアンが時折ギターに向かって話しかけている。エレクトリック・ギターのピックアップ(マイク)部分は、通常のボーカルマイクのようにコツコツとたたけばその音が増幅され、話しかければ(音量はどうあれ)ミキシング・ブースへアンプを通じて話ができる。

再びEMIのレイに会うシーン。
前々回も書いたが、レイは「この曲では車の中で頭を振って聞けない」というセリフは、1992年の映画『ウェインズ・ワールド』でレイ役のマイク・マイヤーズは「ボヘミアン・ラプソディ」に合わせて車の中で首を振っていたことに対する、ジョークが含まれている。

ウェインズ・ワールド ボヘミアン・ラプソディ Wayne's World Bohemian Rhapsody - YouTube
0:40~からそのシーンが出てくる。黒い帽子をかぶっているのがマイク・マイヤーズ=EMIのレイである。一度止まった後、1:33~から再び曲が流れる。2:07~からはまさに頭を振っている。
マイク自身によるこの辺の経緯はこの動画の冒頭に。

Queen-Queenという現象4 - YouTube


愛称として、映画の中でロジャーが発している "Bo Rhap"という呼び方は実際にも言われていた。

6分の曲がシングルとして適切でラジオでかかるか、プロモーションが可能かがこのミーティングの焦点だが、実は、フランスでは当時3:30に編集されたプロモーション用のシングルが作られている。

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ケニー・エヴェレット(Kenny Everett)はキャピタル・ラジオのDJ。出来上がったシングルをフレディが持ち込んで、というエピソードは史実に基づくもの。
このシーンで、シングルのB面が「I'm In Love With My Car」になったとわかる。

このあたりの話は、ここに詳しい。

The Story Behind Queen's "Bohemian Rhapsody"

歌詞についての分析は多くなされているが、この映画でも語られている通り「歌詞はリスナーの解釈」であり、フレディ自身から詳細な解説をしたことはない(つまり、得られる情報は誰かの解釈でしかない)。

 

You're My Best Friend

シングル候補として挙げられた「You're My Best Friend」はジョン作曲で、「Bohemian Rhapsody」の次のシングルとしてカットされた。

You're My Best Friend (Queen song) - Wikipedia

訳詞:http://www5f.biglobe.ne.jp/~lerxst21/queen/opera.html#Bestfriend

イントロから全編にわたって流れるエレクトリック・ピアノはジョンが弾いていて、一説によればフレディがグランド・ピアノ以外の鍵盤を弾きたがらなかったという話も伝わっている。しかしながらファースト・アルバム収録の「Liar」ではハモンド・オルガンをフレディが弾いているとされており、真偽はわからない。

ジョン・ディーコンはこのころ(1975年1月)結婚した。

 

Now I'm Here

訳詞: http://www5f.biglobe.ne.jp/~lerxst21/queen/sheer.html#NowIm

Now I'm Here - Wikipedia

映画で使われているバージョンは、1975年12月24日のロンドン、ハマースミス・オデオンでのもので、2015年に映像ソフトとして発売されている。

A Night at the Odeon – Hammersmith 1975 - Wikipedia

コンサートは『A Night At The Opera』発表直後のイギリス・ツアー最終日で、クリスマス・コンサートとして撮影と録音がなされた。


前回記したように、クイーンにとっての初のアメリカ上陸は、モット・ザ・フープルのオープニング・アクトとしてのものだった。「Now I'm Here」の歌詞の中には,

Down in the city just Hoople 'n' me

 という箇所があり、モット・ザ・フープルへの敬意が込められている。

なお、映画で使われている「Bohemian Rhapsody」「Now I'm Here」のライヴ・シーンは衣装や照明から推測すると1977年~1978年ごろのステージを参考にしているようだ。

 

Love Of My Life

自宅に帰ったフレディはメアリーに「Love Of My Life」を観客が一緒に歌ってくれているビデオを見せる。
このシーンに使われている音源は1985年1月18日の『Rock in Rio』のもの。時系列から言えば未来の映像となる。


この曲がライヴで演奏される際は、ブライアンのアコースティック・ギターのみの伴奏で歌われる。クイーンはライヴでもめったにキーを変えないのだが、この曲は短三度低く演奏される。1977年の11月に始まったアメリカ・ツアーからライヴで披露されるようになった。
1979年の『Queen Live Killers』に収録されたバージョンは1979年2月2日のドイツ、フランクフルト公演のもので、6月29日にシングルカットされた。イギリスでは最高位63位だったが、アルゼンチンとブラジルのチャートで1位となっている。南米で特に人気が高い曲で『Rcok in Rio』では25万人の観客が一緒に歌ったという。

このシーンで描かれる、フレディがメアリーに”告白”をしたのは1976年だという。

 

Delilah

映画は、ヒゲを蓄え始めたフレディがロジャーに新居を案内するシーンに変わる。
実際にフレディがヒゲを生やしている姿になったのは1980年ごろから。

新居には猫のためのスペースがあり、猫の名前がいくつか発せられ、その中に「Delilah」という名前の猫がいることがわかる。ディライラは長毛の猫で、実際には1987年ごろから飼われている。

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アルバム『Inuuendo』(イニュエンドゥ)(1991年)には「Delilah」(愛しきデライラ)という曲が収録されており、フレディの寵愛っぷりと、曲の後半に猫の鳴き声をギターで再現するブライアンのあくなき探求心が垣間見える。

Queen - Delilah - (Official Lyric Video) - YouTube

訳詞:http://www5f.biglobe.ne.jp/~lerxst21/queen/innuendo.html#delilah

映画をご覧になった方はわかると思うが、映画『ボヘミアン・ラプソディ』は効果的に、それも頻繁に、美麗な猫の姿と表情、愛情を感じられるシーンが随所にあり、ある意味で強力な猫映画でもある。

楽曲としては、ロジャーはこの曲をあまり気にいってないようである。


Crazy Little Thing Called Love

Crazy Little Thing Called Love - Wikipedia

訳詞:http://www5f.biglobe.ne.jp/~lerxst21/queen/game.html#crazylittle

映画ではパーティーのシーンに変わり、他のメンバーとの軋轢やギャップが描かれていく。フレディの服装は1985年のミュンヘンでの誕生日パーティーがモチーフとなっている。

Freddie Mercury's birthday party in Munich 1985 - YouTube

0:40あたりからパーティーの様子が映像として残っているが、ブライアンも楽しそうに参加しているのがわかる。

 

また1978年の『Jazz』のリリース・パーティでも、同様のパーティをアメリカで開催している。

 

さて「Crazy Little Thing Called Love」(愛という名の欲望)はアルバム『The Game』(1980年)に収録されているが、これはのちに収録されたという表現が正しく、シングルとして1979年10月にリリースされている。

年代順に少し整理をすると、

  • 1979年4月 3度目の日本公演
  • 1979年6月 『Live Killers』からのシングル「Love of My Life」発売
  • 1979年6月 アルバム『The Game』のための製作開始
  • 1979年10月 シングル「Crazy Little Thing Called Love」発売

当時のほとんどのクイーン・ファンがこのサウンドの変化に驚いたが、アメリカでは好意的に受け取られ「Bohemian Rhapsody」も「We Are The Champions」も成しえなかった全米1位を獲得する。

1980年1月には「Save Me」、5月には「Play The Game」がシングルとして発売され、アルバム『The Game』は6月に発売された。
今までクイーンはシングルはあくまでアルバムが完成してからどれにするかを決めるやり方を取ってきたため、このリリース順も大きな変化となった。

この曲は風呂に入っているときにできた曲だとフレディは語っており、映画の中でもそのシーンは撮影されたが、今回のバージョンではカットされている。

Live Aidでも演奏されているが、そのシーンも映画ではカットされている。こちらも実際には撮影がされている。

また 1975年から息子であるショーンの子育てに専念し、ハウス・ハズバンドとして生活してきたジョン・レノンがまた音楽を作ろうと思ったきっかけになった曲ともいわれている。

なお、続くシーンでジム・ハットンとの出会いがあるが、二人が出会ったのは1984年である。


We Will Rock You

We Will Rock You - Wikipedia

Queen - We Will Rock You (Official Video) - YouTube

訳詞:http://www5f.biglobe.ne.jp/~lerxst21/queen/news.html#Rockyou


We Will Rock You」は1977年10月にアルバム『News Of The World』(世界に捧ぐ)からの先行シングルとして「We Are The Champions」(伝説のチャンピオン)との両A面でリリースされた。

1977年1月から始まった『A Day At The Races』(華麗なるレース)に伴うツアーで5月29日のビングレー・ホールのでコンサートの後、

Bingley Hall - Wikipedia

観客が(サッカー・チームの)リヴァプールFCのサポーターソングである「You'll Never Walk Alone」をアンコール前に大合唱した。それに感銘を受けたブライアンは観客と一体になれる曲を作ろうと思い立つ。
Stomp,Stomp,Clap(休符)によって成る単純なビートで構成されるこの曲は、後半にブライアンのギターが入ってくる。最後の3回のフレーズは全く同一でひとつのフレーズをループさせている。

ライブではFast Versionがあり、コンサートのオープニングで演奏されることが多かった。

Queen - We Will Rock You (Fast) - Live at Montreal - YouTube

Live Aidでもこの曲は演奏されているが、映画ではカットされている。

 

映画と史実の時系列における強力な違和感として、「News of The World」の時期に、フレディはヒゲを生やしていないということが挙げられる。

 

ここまでのまとめ

  • 4枚目のアルバムのためのミーティング(1975-5~?)→1975年5月時点ではミーティングにはジョン・リードもジム・ビーチも参加できない
  • Bohemian Rhapsody」と「Now I'm Here」の演奏シーン→衣装などから1977~8年がモチーフ
  • 「Love Of My Life」大合唱と告白(1976年?)→大合唱は1985年の音源
  • ヒゲ→1980年ごろ
  • パーティ→1985年のパーティがモチーフ
  • ジムと出会う→1984年に出会っている
  • We Will Rock You」がどんどんぱん→1977年(フレディはヒゲなし)。

 

気が向いたらその3へ続く

映画『ボヘミアン・ラプソディ』を見終わった人へのガイドみたいなもの その1

映画を見てから読んでくださるほうが良いと思います。
ネタバレを多く含みます。


追記:これを書いていた時点で知られていなかった事実が判明したため、2019年1月11日に訂正記事を書きました。併せてお読みください。

映画『ボヘミアン・ラプソディ』の評価を訂正します。 - Racco



 初めに

映画のパンフレットにブライアン・メイ自身が

「これは伝記映画ではなく、硬い岩から掘り出されたような、純粋なアートだ。(中略)誰にとっても共感できるような物語として描かれている」

と書いている通り、宣伝文句や紹介のされ方はどうあれ、この映画はブライアンとしては伝記映画という位置づけではないようだ。


多くの批評で「史実と異なる部分がある」と書かれているが、野暮を承知で「史実、あるいは史実とされて伝えられていること」とこの映画の内容を比較してみようと思う。

 

コアなファンならずとも、クイーンに関しては一家言を持つ人々に取っては、いろいろ言いたいことが満載な映画だということはよくわかる。

ベスト・アルバムになんであの曲が入っていないのか、という思いに近い感情がこぼれ出すのもやむを得ない。それだけクイーンは多種多様な魅力があるということだ。

 

個人的には、『フレディが(若くして)45歳で亡くなったとしても、その出自や生い立ちやセクシュアリティや性格がどうであっても、クイーンの創り出した音楽そのものが偉大なのであって、死んで、伝説で、すごいってわけではない』というスタンスなので、映画ならではの演出や物語としての強調やクローズアップする部分は理解している。

 

あえて言うなら、フレディの生い立ちや出自やセクシュアリティを楽曲と結びつけて考えたり、分析したくなったりするのは、ひとりひとりのファンや批評家や映画のような作品にする時には仕方がないことで、恐らくフレディ自身からすれば『自分が何者であるかは関係ない、ただ楽しんでくれ』だと思う。

 

映画を見たあなた。

いくらあなたがクイーンに詳しくて、映画の設定やちょっとしたことに違和感を覚えたとしても、映画館の大きな音でさんざん聞いてきたクイーンの楽曲が流れてきただけで、胸の奥が熱くなったはず。

 

何よりも凄いのは、楽曲のちから。

 

さて。楽曲の素晴らしさはもちろんのこと、この映画の素晴らしさを踏まえたうえで、もうちょっとクイーンのことを知ろうと思ったときに、この文章が参考になればいいなと思う。

 

 

それでは  はじまりはじまり。

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20century Fox Fanfare

お馴染みの絵が映し出される。

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流れてくる曲はお馴染みだが、いつものオーケストラではなく、ブライアンによるレッド・スペシャルのサウンドで奏でられるギター・オーケストレーションによるバージョン。

Red Special - Wikipedia

ブライアンのギターによるイギリス国歌『God Save the Queen』はこちら。

Queen - God Save The Queen [Instrumental] (Official Montage Video) - YouTube

『A Night At The Opera』(オペラ座の夜)の「ボヘミアン・ラプソディ」の後に収められている。

 

こういったスタジオでのギターの多重録音に使われていたアンプは『Deaky Amp』(ディーキー・アンプ)と呼ばれていた。

大学で電子工学を学んだジョン・ディーコンが作ったものだからである。

 Deacy Amp - Wikipedia

Somebody To Love

映画の本編はフレディが咳をしながら起き上がるシーンから始まる。

1985年のライヴ・エイドの朝という設定だ。

最初に流れる曲はクイーンの5枚目のアルバム『A Day At The Races』(華麗なるレース:1977年)のB面の1曲目に収録されている「Somebody To Love」(愛にすべてを)。1976年の暮れに先行シングル・カットされた曲である。

誰か、愛する人を見つけて欲しい・・

毎日、起きるたびに少しずつ、(心が)死んでいくような気分がする

(by Sarie)

訳詞:http://www5f.biglobe.ne.jp/~lerxst21/queen/race.html#Somebody

ビデオ:Queen - Somebody To Love (Official Video) - YouTube

映画の後半では、このライヴ・エイドの日に「愛する人を見つける」ストーリーになっていることと、咳をしている、つまり健康状態が思わしくないことを示していることから、冒頭のシーンにはこの曲が選ばれたのかもしれない。 

映画のストーリーは後半にこの日に戻るので、史実との比較は後述する。

 

ステージへと向かうシーンで入れ替わりで階段から降りてきて、右側にすれ違うのは、衣装から推測するにU2 である。

U2 - Bad (Live Aid 1985) - YouTube

U2は実際のライヴ・エイドではクイーンのふたつ前の出番だった。

 

Doing All Right

ブライアン・メイがインペリアル・カレッジの伝言板でバンド・メンバーの募集を掲示し、最初にティム・スタッフェル(ベース&ヴォーカル)、そしてロジャー・テイラーが加わったことでSmileは形になった。1968年のことである。

 

映画ではティムが脱退した日にフレディと出会っていることになっているが、史実としてはティムはフレディと同じイーリング・アート・カレッジに在学しており、むしろブライアンやロジャーよりも先にフレディと知り合っているようだ。フレディはSmileを気に入っており、いろいろなアイディアを出したり、励ましたりしていた。

 

近年になりメアリーとブライアンは旧知の中であるという話がブライアン本人から語られ、フレディはブライアンを介してメアリーと出会った。メアリー自身によれば1969年だったという。

 

同じ1969年。ティム、ブライアン、ロジャーの3人からなるSmileは、アメリカのみで発売されたシングルの2曲を含めトライデント・スタジオで少なくとも6曲のレコーディングをしており、

Smile - Gettin' Smile - Full album (Japanese Edition) - YouTube

1982年に日本で6曲入りLPが「Gettin' Smile」というタイトルで発売されている。

その中の1曲が「Doing All Right」(Doin' Alrightなどの表記もある)であり、この曲はのちにクイーンのファースト・アルバムにも収録される。

訳詞:http://www5f.biglobe.ne.jp/~lerxst21/queen/debutq.html#Doing

映画のサントラに入っている「Doing All Right」はこれが恐らく初出である。もともとあった音源をもとに作り直したようにも聞こえる。

 

1970年3月に、ティムはHumpy Bongに参加するためにSmileを脱退。
残されたブライアンとロジャーは4月からフレディと活動を始める。この頃からフレディ・マーキュリーを名乗り始める。

 

フレディがメアリーが勤める店BIBAに行くシーンでクリームの「Sunshine of Your Love」(サンシャイン・ラブ)が流れている。

Sunshine of Your Love - Wikipedia

Smileのころブライアンはクリームのギタリストであるエリック・クラプトンに強い影響を受けており、ドラマーの募集広告には「(クリームの)ジンジャー・ベイカーみたいなタイプのドラマー」と書いていた。前述の「Gettin' Smile」に収録されている「Blag」という、のちの「Brighton Rock」の原型ともいえる曲では、ロジャーはまさにジンジャー・ベイカーのようなアプローチでドラムをプレイしている。

 

Keep Yourself Alive

訳詞:http://www5f.biglobe.ne.jp/~lerxst21/queen/debutq.html#Keepalive

映画では、フレディとジョン・ディーコンが加わった形でのライブのシーンに続く。バンド名は明示されていないが、ここではSmileとしてのステージという体裁だろう。

クイーンというバンド名についてメアリーとの会話があるのは後のシーンとなる。

 実際には、クイーンというバンド名になったのは1970年の6月であり、その間ベーシストは何人か入れ替わり、フィットしたベーシストが見つかるまで苦労していた。ジョンは7人目ともいわれている(名前が判明しているベーシストはジョンの他に4名)。

 

1971年2月、既にクイーンと名乗って活動していたバンドにジョンが加入する。ディスコで共通の友人に紹介されたとも、クイーンと名乗って2度目のコンサートにジョンが観客としてきていたとも言われ、オーディションを経ての加入だった。

 

映画で演奏されている「Keep Yourself Alive」(炎のロックンロール)はクイーンのファースト・アルバムの1曲目に収録されることになる曲で、最初のシングル。

Keep Yourself Alive - Wikipedia

映画に使われている音源は、1974年3月のレインボー・シアターでのライヴのもの。

http://www.queenconcerts.com/inc/tickets/1974-03-31.jpg

映画で、フレディはマイクの扱いに四苦八苦している様子が見て取れるが、ブームスタンドのマイクのブーム部分だけを外して歌うパフォーマンスの誕生という意味合いのシーンだろうと思われる。

車が故障したシーン。このころはロジャーの地元であるTruroでライヴを行うことが多く「ロジャー・テイラー&クイーン」名義での開催もあったと伝えられている。PAが会場に到着したのが開始寸前だったというエピソードが載っている資料もあるが、いつ、どこでかは定かではない。実際に車が故障したことがあったのかもしれない。

 

映画では、車を売ってアルバム作成の費用にしようとフレディが持ち掛ける。
史実では1971年にデ・レーン・リー・スタジオで5曲入りのデモテープを制作(Keep Yourself Alive, The Night Comes Down, Great King Rat, Jesus, Liar)。1972年11月、トライデント・スタジオとの契約で誰も使っていない時間帯にスタジオを使い、アルバムのための曲がレコーディングされた。トライデントに曲の権利を渡す代わりに契約金をもらい、EMIとのレコード契約を得る。

 

The Seven Seas Of Rhye

レコーディングのシーンは「The Seven Seas Of Rhye」(輝ける7つの海)の制作現場となっている。実際には歌が入っているこの曲はセカンド・アルバム『Queen Ⅱ』(クイーン Ⅱ)に収録されており、ファースト・アルバム『Queen』(戦慄の王女)の段階では歌が入っていないバージョンである。

Seven Seas of Rhye - Wikipedia

訳詞:http://www5f.biglobe.ne.jp/~lerxst21/queen/queen2.html#Sevenseas

曲名を発売当初の形で正確に表記するならば、ファースト・アルバムのほうは「Seven Seas Of Rhye...」とレコードジャケットに記載されており、セカンド・アルバムでは「The Seven Seas Of Rhye」と記載されている。このことからこのシーンでは歌が入っているので「The」をつけた表記で曲名を示す。

タイトルに入っている「Rhye」という単語はフレディの造語で、架空の国の名前である。この単語は「Lily of the Valley」(谷間の百合)(『Sheer Heart Attack』収録 1974年)にも登場し”King of Rhye”と書かれていることから”王国”であることがわかる。

2012年ごろから活動を始めたRhyeという名前のデュオ・グループがあるが、そこでは「ライ」とカタカナが振られている。

Rhye | Hostess Entertainment Unlimited

 

レコーディング・シーンでのアイディアの数々や完璧主義振りは、伝えられている話に近く、ジョンとともにミキサー卓の前に座っているのはロイ・トーマス・ベイカーだと思われる。

「変な学生バンド」というセリフがあるが、ブライアンとジョンは勉学を続けており、ロジャーとフレディは古着屋を続けていた。

フレディがクイーンのネーム・ロゴと、4人の星座を象ったマークをデザインしたのは1971年と伝えられている。
このあたり、クイーンと名付けた時期などは、映画と史実の時系列が大きく異なっている。

ベッドで「Bohemian Rhapsody」(ボヘミアン・ラプソディ)を逆さ向きで弾くシーンがあるが、このフレーズがこの時からあったかどうかは定かではない。

 

Lazing On A Sunday Afternoon

映画では「フレディ・マーキュリー」と改名してことを父親に告げるシーンで、ハッピー・バースデー・トゥー・ミーとピアノで弾いた後に「Lazing On A Sunday Afternoon」(うつろな日曜日)がワンフレーズ歌われる。

Lazing on a Sunday Afternoon - Wikipedia

4枚目のアルバム『A Night At The Opera』(オペラ座の夜)の2曲目に収録されている曲。
訳詞:http://www5f.biglobe.ne.jp/~lerxst21/queen/opera.html#Lazysunday

この曲はサウンドトラックに入っていないので、トリビアを書いておく。

 

クイーンの曲と呼べる作品(フラッシュ・ゴードンの収録曲や、メイド・イン・ヘヴンのyeahなどを除く)の中では最も短い曲のひとつで、サード・アルバム『Sheer Heart Attack』(シアー・ハート・アタック)に収録されている「Dear Friends」とほぼ同じくらいの1分07秒である。

 

曲調はボードビルであり、フレディにとってのさまざまな音楽的ルーツのひとつが表れている。

初期には「Bring Back That Leroy Brown」(『Sheer Heart Attack』)や「Seaside Rendezvous」(『A Night At The Opera』)など、どこかコミカルなテイストの曲がいくつか入っていた。

Seaside Rendezvous - Wikipedia

 

オリジナル音源をよく聞くと、ピアノのイントロの2小節めの後、レコーディングのテープをカットして繋いであることがわかり、元々のイントロはもう少し長かった可能性がある。

この曲の歌詞は1週間形式で、水曜日に自転車に乗っていることから、自転車のベルの音が入っている。つまり「クイーンの曲で、自転車のベルの音が入っている曲と言えば・・・Bicycle Raceともう一曲は何でしょう?」というクイズが出せる。

 

・・・さて、映画ではこのシーンでEMIからの電話でジョン・リードとのマネジメント契約にこぎつけてめでたくデビューとなる。

 

実際にはだいぶ後の1975年の8月にリードとの契約がされている。史実ではトライデントとの契約がなかなか解消ができず、サード・アルバムである『Sheer Heart Attack』まではその契約から、バンドにほとんど金が入ってこない状態が続いた。ジョンもブライアンもこの頃までは学校の先生としても稼いでいたという。

 

同アルバム収録の「Flick Of The Wrist」はその契約の酷さと苦悩と恨みについて歌ったものであり、

Flick of the Wrist - Wikipedia

訳詞:http://www5f.biglobe.ne.jp/~lerxst21/queen/sheer.html#Flick

「A Night At The Opera」に収録された「Death On Two Legs (Dedicated to...)」も同様だと言われている。

Death on Two Legs (Dedicated to...) - Wikipedia

訳詞:http://www5f.biglobe.ne.jp/~lerxst21/queen/opera.html#Deathon

おそらく、トライデントとのことは映画に含めたくなかったのだろうと思われる。

 

Killer Queen

イギリスの音楽番組『Top of the Pops』の出演シーンへと映画は進む。

演奏される曲は『Killer Queen』。

Killer Queen - Wikipedia

訳詞:http://www5f.biglobe.ne.jp/~lerxst21/queen/sheer.html#Killerq

後にブライアン・メイが『この曲がターニングポイントだった』と発言している曲である。

映画では、初めての出演で口パクであることに戸惑っている様子が描かれている。フレディの衣装や使っている楽器からすると、1974年の12月27日出演時の様子を参考にしていると思われる。

 

史実としては、この時の『Killer Queen』がTop of the Popsの初出演ではなく、それ以前にクイーンは1974年2月21日に『The Seven Seas of Rhye』で出演している。

 

この頃はテレビ出演が多いのだが、口パク(mimedと表現されることもある)によるものがほとんどで、普段使わない楽器を演奏している振りをしていることが、資料的価値として残っている。ブライアンはフェンダーストラトキャスター、ジョンはフェンダージャズ・ベースリッケンバッカーなどを使用している画像が残っている。また初期のツアーではブライアンがレス・ポールを使っている画像もある。

 

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Fat Bottomed Girls

映画での次のシーンは、メアリーにフレディがプロポーズするシーンである。
メアリー自身が語ったことによれば1973年にフレディはメアリーにプロポーズしている。正式な結婚という形にはならなかったが、フレディはそう望んでいたことは確かなようだ。

バンドのメンバーたちがぶしつけにフレディの家に乱入し、アメリカ・ツアーが決まったと告げる。映画の構成上しかたがなかったかもしれないが、クイーンというバンドにおいてメンバーの誰かが知らないうちに、(たとえ電話に出なかったとしても)ましてフレディ抜きでツアーが決定することはないであろうし、他の3人のメンバーがどやどやと部屋に入ってくることも恐らくしないように思うので、このシーンは少し違和感があるが、とにかくアメリカ・ツアーに話は続く。

実際のクイーンは1974年の4月から5月にかけて初のアメリカ・ツアーを行う。とはいってもヘッドライナーや単独ではなく、モット・ザ・フープルのオープニング・アクトとしてのものだった。

モット・ザ・フープルはイギリスのバンドで、1972年にデビット・ボウイが作曲した『All The Young Dudes』(すべての若き野郎ども)をヒットさせた。

All the Young Dudes - Wikipedia
この曲は1992年の「フレディ・マーキュリー追悼コンサート」において、ブライアン、ロジャー、ジョンの3人と、作曲者のデヴィッド・ボウイモット・ザ・フープルのメンバーだったイアン・ハンターとミック・ロンソン、デフ・レパードのフィル・コリン、ジョー・エリオットらによって演奏されている。

さて、アメリカ・ツアーのシーンでは「Fat Bottomed Girls」が流れている。

訳詞:http://www5f.biglobe.ne.jp/~lerxst21/queen/jazz.html#Fatbottomed

Fat Bottomed Girls - Wikipedia


この曲はアルバム単位では1978年発売の『Jazz』に収録されている曲で、クイーンが実際のこの曲をアメリカではじめて演奏したのは1978年の10月28日のダラス公演でのことである。
映画では1974年ごろのことを描いているので、実に4年ほどの時系列の開きがあるが、歌詞の内容がツアー・ソングであることによるものと思われる。

この曲についてのトリビア

キーがDであり、ツアーで演奏するときは6弦をEからDに落とす、ドロップDチューニングを使用する。クイーンの曲の中でドロップDを使用する曲は「The Prophet's Song」(予言者の歌)や「White Man」がある。
映画に使われているバージョンは1979年2月27日のパリでのライブ・バージョン。2月27日から3月1日までの三日間のライブはすべて録画されたが、正式発売には至っていない。動画としてYouTubeで閲覧できるのは、サウンドトラックに収録された日のものではない。

Queen Live In Paris 1979 Fat Bottomed Girls.mpg - YouTube

0:21あたりをよく聴いてみて欲しい。6弦をEからDに落としてチューニングしているのがわかる。

この曲は「Bicycle Race」とともに両A面シングルとしてリリースされた。 

2002年にキリンジがアルバム「Omnibus」でカバーしており、個人的にはとても秀逸なカバーであると思う。

Fat Bottomed Girls キリンジ - YouTube

ここまでのまとめ

映画の時系列
  • Smileからティム脱退
  • フレディとメアリーが出会う
  • ブライアン、ロジャーとフレディが出会う
  • ジョンを加えた4人でライヴを行う
  • 車を売った金でレコーディングを行う
  • 「The Seven Seas Of Rhye」のレコーディング中にEMIのA&Rが来る
  • フレディがロゴをデザイン。クイーンと名付ける
  • ジョン・リードとマネジメント契約
  • Top of the Popsに「Killer Queen」で初出演
  • 初のアメリカ・ツアーで「Fat Bottomed Girls」を演奏

 

史実とされている時系列
  • ティムとフレディ知り合う
  • Smileとフレディが知り合う
  • フレディとメアリーが出会う
  • Smileからティム脱退
  • フレディとブライアンとロジャーとベーシストでSmile継続
  • クイーンにバンド名変更
  • ジョン加入
  • デモテープを作る
  • トライデントと契約
  • Top of the Popsに「The Seven Seas of Rhye」で初出演
  • 初のアメリカ・ツアーでは「Fat Bottomed Girls」は演奏されていない

 

ここまで長くなるとは思っていなかったので、気が向いたらその2へ続く